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いわゆる南京大虐殺が行われたとされる地理的範囲の
問題で、戦後調査で日本側が「虐殺が行われたのは南京市
およびその周辺地域ですね?」と聞いたところ、中国政府の
人間が「いや、虐殺が行われたのは南京市内だけだ」と答えた
という話を読んだ記憶があります。

うろ覚えで本で読んだかネットで見たのか忘れてしまったのですが、
どなたかこの発言について知っている方はいないでしょうか?
(もしかしたら、「30万人という人数が殺されたのは」という
話だったかも知れません。

実際にこの話が載っている資料やサイトなどがあれば、それも
教えてもらえると助かります。

A 回答 (6件)

 この問題は、南京城とは南京城市という城壁外に広がる区域を含むという日本人の論をちらほら見かけます。

しかし、2005年7月21日の人民日報(​http://j.peopledaily.com.cn/2005/07/21/jp2005072 …​)によると、南京城とは南京市の正式名として使われているように見えませんね。
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1997年12月に東京で日中の歴史学者によるシンポジウムが行われた。

その一部を秦郁彦氏が『現代史の争点』に書いたのが発端だと思われる。
--引用--  
笠原十九司氏が中国代表団に配慮してか、「ラーベは五~六万と言っているが、彼の目が届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者を足すと三〇万ぐらいになるはず」と述べたところ、中国側代表格の孫宅巍氏が異議を申し立てたのである。「三〇万は南京城内だけの数字である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」というのだ。
------

このことが巷間、「日本の大虐殺派の学者は南京市だけでは犠牲者が30万人になりそうにないので大幅に範囲を広げたが、中国側に「勝手に範囲を広げるな」と怒られた」という趣旨のこととして伝えられている。

ところが、シンポジウムの記録(『南京事件をどうみるか』)p145によれば、その部分はおそらくこの部分だったと思われる。

--引用--
全体討論

藤原 もうひとつ問題を提起したい。笠原先生は近郊農村を含めた範囲についての報告だったが、孫先生の「南京大虐殺の規模について」という報告のなかで、範囲はどのようにとっておられるのか伺いたい。これがはっきりすると日本側との間で整合性ができると思うので。

孫 私は南京のまわりの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている三〇万というのは周りの六県その他地域を入れていない。これはあらたな課題として考えていきたい。
------

笠原氏は南京大虐殺の範囲は近郊農村、すなわち南京市郊外の農村部も含めるという立場であるのに対して、孫宅巍氏は虐殺はその地域でも起きているから、その立場にたった議論にも応じるが、三〇万人の犠牲者は南京市で数えたものだけである、と念を押したという話である。

いわゆる中間派に属する秦氏が「大虐殺派」と呼ぶところの、笠原氏に対する微妙な否定感情が含まれた著述であるというのが真相である。
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追記



一時間にも満たない
番組でしたが、
(福島県出身の農民出の三十代以降の補充兵)第65連隊
の「陣中日記」を中心とした構成で、生前の生存者&遺族の
インタビュー映像、南京市&(虐殺現場である)
南京市郊外、老虎山・幕府山近くへの小野氏の現地取材
も、地図上の具体的位置関係も含め、映像に収録されており
貴重な番組であったと個人的には感じております。
確認のため、昨日も念のため見直してみました。

 ただ今回のドキュメンタリー番組は、
捕虜への虐殺「不法事件」を扱ったものであって、
民間人への虐殺「非行」の点は、略奪の点が
少し触れられていただけです。

 民間人への虐殺「非行」の点は
最近の米国のドキュメンタリー映画「南京」の方が
詳しいのかもしれません。
ソフト化はまだされていないようです。
http://ameblo.jp/lm138443/entry-10023709391.html
http://folke.blog41.fc2.com/blog-entry-562.html
http://ameblo.jp/lancer1/theme2-10001536307.html
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末尾が途切れてしまいました。

すみません。

中国側が公表している「三十万人」という数値は
民間人への虐殺「非行」を含めた趣旨の広義の「南京大虐殺」
を示唆し、日本の外務省は諸説ありわからないといっている
のですが、捕虜への虐殺「不法事件」が
主眼に置かれる趣旨の狭義の「南京虐殺事件」の
みを広義の「南京大虐殺」と混同しているか、
民間人への虐殺「非行」の実態を把握しきれていないか
あえて伏せているのか分かりませんが、
そのあたりに両国の主張の差異があるように思われます。

 今回の番組の素材となった「下級兵士の陣中日記」が
小野氏が発見したもの以外でも、国内に多数残存している
可能性も高く、これらが信憑性の高い有力な証拠資料と
なるだけに、今後のこれらの発掘が全貌をより鮮明に
するような気が致します。

 ただ、日本軍の遺族側としては、罪悪感がかき乱されますので
公開せずに保管したままの方が多いような気が致します。
上層部の命令とはいえ、戦争とはいえ、非道な事を
した事は確かなのですが、今さら祖先の非道をあえて蒸し返す
ような事は、よほどの理解のある遺族でなければ協力姿勢を
とらないような気も致します。


 
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この回答へのお礼

その番組は観ていませんが、元となった本は読んでいました。
残念ながら本多勝一・藤原彰といった連中が係わったせいで信憑性が疑われること、日記の原文に手を加えてもとの記述と違う表現にしてしまっている点などがありましたが、一つの資料としては価値があると思いました。
番組のほうも機会があれば観たいと思いますが、この番組は私の質問である「地理的範囲」の説明が入っているでしょうか?

南京で起こった事件をどう捉えるかについて否定派・肯定派で食い違いがあるのは仕方ないですね。
ただ、南京事件が持ち出されたのは日本側からである以上、より多くの情報を調べて事実関係を知ることが必要だと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/02 17:16

つい先日2008年4月6日(日)


日テレ系「NNNドキュメント’08」
http://www.ntv.co.jp/document/
で放送された「兵士たちが記録した 南京大虐殺」
で詳しい経緯が説明されていました。

 まず一口に「大虐殺」といっても、
民間人への暴行・略奪・虐殺などを指す「非行」
捕虜への虐殺などを指す「不法事件」
と便宜上区別した上で、捕虜への虐殺「不法事件」が
主眼に置かれる趣旨で「南京虐殺事件」と狭義的に捉え、
それに、民間人への暴行・略奪・虐殺「非行」を加える
趣旨で「南京大虐殺」と広義的に捉えるのが分かりやすい
のではないでしょうか。

 今回の番組で取り上げられたのは
捕虜への虐殺「不法事件」、いわゆる「南京虐殺事件」
1937年12月16日~18日の3日間にわたり、
16日・・・約7000人
17日・・・約17000人
18日・・・約13000人
の(主として、蒋介石の率いる国民政府軍の)捕虜が
南京市郊外の揚子江沿岸(老虎山・幕府山近く)で
集中的に大量虐殺されました。
虐殺方法としては、有刺鉄線で張り巡らせた円形地に
捕虜が押し込まれ、両側から機関銃で連射し、
生き残りを銃剣で突き刺すという手法で、
事後処理(証拠隠滅)として、死体に重油をかけ
焼却後、18日&19日の二日間に渡り揚子江に
大量に流されました。
 南京市内には赤十字&外務省関連の各国の職員が
残存していため、情報が世界に漏れるのを恐れ、
事後処理(証拠隠滅)のしやすい揚子江沿岸が
選ばれたそうです。
 この事件に関与したのは、番組内でとりあげられた
だけでも
(福島県出身の農民出の三十代以降の補充兵)第65連隊
第19連隊
(奈良県出身の)第38連隊
(三重県出身の)第33連隊


 当時は、日本軍への食糧補給もままならず
(→そのため民間人への略奪行為「非行」も上層部も暗黙していた)、
ましてや大量の捕虜への十分な食糧供給などできるわけもなく、
捕虜達は(単なる汁食では足りず)草やネズミ等を食して
飢えをしのいでいたのですが、そのため捕虜の反乱も
危惧されていたわけです。更には(日本軍の優勢を
世界にアピールする)「(上層部の)南京入場式」が
17日に控えていたので、捕虜の扱いに軍も頭を
悩まされていたわけです。

 中国側が公表している「三十万人」という数値は
民間人への虐殺「非行」を含めた趣旨の広義の「南京大虐殺」
を示唆し、日本の外務省は
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当時の問題となった南京は、昔ながらの城市でしたので周囲を城壁にかこまれた、閉じた街でした。

その中で、ラーベらの安全区はごく一部です。
たとえは違いますが、新宿の高層ビル街の西新宿地区が南京だとしたら、ラーべの安全区は、比率としては西の端にある中央公園より小さかったかもしれません。
で、日本軍の先鋭が先に城内にはいり、中国兵と戦っていて、その後門を壊して突入した次に部隊が、すでにやられた日本兵が悲惨な状態で積まれていたのを確認していたと思います。

日本側が聞いたのは「(30万人とは)場外も含むのか?」と聞き、中国側もその意味がわからず「城内だけだ」と答えたのではないでしょうか。そうすると、ラーべの地区の20万+兵力になるため、30万が理屈であわないということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

質問に書いてあった問答は確か、中国人30万が殺されたという話を受け、虐殺肯定派が数的な整合性を取るために南京市外の近郊も含めた範囲ですよねと中国に念押ししたところを否定された、というものだったと思います。

とはいえ、確かに日本側と中国側で、意思の疎通がうまくいっていなかった可能性もありますね。
今となっては確認の取りようもないですが…。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/02 16:11

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