五月人形で、織田信長と徳川家康が着ていた、鎧兜が売っていましたが、実際にその実物の鎧は発見されたのでしょうか?

A 回答 (5件)

うーん。

せっかくのお買い物にケチを付けてしまったようで、申し訳ありません。しかし、「南蛮胴」との事ですから、それほど捨てた物ではありません。何しろ家康公も信長公も、「南蛮胴具足」を使っていた事は確かなのですから。

後、東照宮には家康公の着用した「全部金塗り」の「金阿弥塗仏胴具足」
http://www.rakuten.co.jp/yoroi/117803/117896/
と言う物もありますので、「銀包み」などもそれほど変ではないんですけどね。

来年の大河ドラマは、変わり兜で有名な直江兼続です。ぜひ、直江の兜にも御注目下さい。

それはさておき、伊達の五枚胴具足を好まれるとはお目が高い。
http://www.rakuten.co.jp/yoroi/117806/117981/
私も好きです!
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この回答へのお礼

いいえ、とてもよくわかりやすい回答、感謝しています。
ありがとうございます、捨てた物ではないですよね。
それに、家康公も信長公も、南蛮具足使っていたんですね。
ほっとしました、根拠がまったくないわけではないんですね。
飾ってみると、たてものの、たいようが変わっていて、なかなか売っているのを、みないかっこなので、気に入りました。
桃山時代 すがけ威具足 伊予札胴丸鎧と一緒に飾ってみました、
10号を2つ飾ったので、迫力があります。太陽と三日月のようで、いいですよ、ですがスペースに困ってます、いろいろ付属をつけてもらいましたが、全部かざりきれていませんが。
本当にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/30 08:33

私もやっと意味が判りました。


二人が供に使用した鎧・兜、というのはまずありえません。
というのは、通常、鎧や兜を部下にあげる、という習慣はあり、家来には武勲などに応じて結構プレゼントする例があったのですが、甲冑一式という形にはせず、大抵は兜だけだったりしたようです。
また大鎧の一部分だけ、という例もあったようです。
それに前の方のおっしゃるようにこの二人は主従関係ではなく、信長も明智光秀を抜擢して接待に当たらせるなど、賓客の部類だったので、褒美に兜や鎧というのはむしろ失礼になっちゃいます。

甲冑一式というのは殆ど神社などに奉納する場合で、現存してる鎧兜などはこういう例が非常に多いです。
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この回答へのお礼

わかりずらい質問ですいません、やはりありませんかあ。でも今日人形が届いて 飾ってみましたら、なかなかかっこいいので、あまりこだわるのは、やめにしました。お付き合いくださいまして、ありがとうございました。ちなみに木札に織田信長公、徳川家康公、南蛮甲冑、旭日、銀包み塗り南蛮胴、塗り分けカルタ形佩楯と書いてあります。

お礼日時:2008/04/29 17:03

ご質問の意図がようやく分かりました。


信長公の着用した具足と家康公が着用した具足それぞれではなくて、信長公と家康公が「共用した(あるいは信長公が着用した具足を下賜した)具足」だったんですね。

でしたら「おそらく存在しない」でしょう。

一つには信長公と家康公の関係は「一応は同盟関係」なので、主従関係の様に「褒美として具足を与える」なんて事は失礼だからです。もちろん「贈り物」としてどちらかがどちらかに具足を贈る事はあり得ます。ただし、その場合は「自分のお古ではなくて新品を誂える」でしょう。お古が喜ばれるのは主人が家臣に授ける場合だけです。

その点で主従関係にない信長公と家康公が「同じ鎧を使う事」は相当に考え難い事です。
特に戦国時代以降、よほど貧乏な武士でもなければ、基本的には自分の具足は自分で誂え、よほどの謂れでもなければ代々受け継ぐなんて事はありません。ましてや家康公は信長公の御家中でもありませんから、まず、考えられないかと思います。

件の鎧と前回の回答で三番目にご紹介した「鎧」と同じ型式ならば、まず「家康公も信長公もどちらも着用してはいないだろう」と言えます。時代が違いすぎるので。
一番目の物と二番目の物は「南蛮胴具足」と言う型式ですが三番目の物は「大鎧具足」とでも言うべき物で、江戸時代中期以降にしか見られない型式です。
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この回答へのお礼

わかりずらい質問に、付き合っていただき、本当にありがとうございました。
詳しく答えていただき、勉強になりました。織田信長、徳川家康、と木札に書かれた五月人形だから、購入したんですが、この西洋甲冑を作った人は、何を根拠に、この2人の名前を書いたのでしょう?名前に惹かれて、買っちゃったんでデザインで言えば、他の人形、上杉謙信や、伊達政宗、のほうがかっこよかったんですが諦めます。今日届きます

お礼日時:2008/04/29 08:23

一般的に五月人形で飾られる防具の多くは「鎧(大鎧)」ですから、信長家康の時代の「具足」とは型式が異なります。


この両者の防具で有名なのが「南蛮胴具足」で、ヨーロッパから輸入されたPlate Mailを和風に仕立て直した物です。が、これらはほとんど「実戦優位の型式」ですから、五月人形などの「飾り」には使用されません。

五月人形では例えば兜に鍬形と言う大きく左右に張り出した飾りがあったり、防具の鉄板を上下に連ねている(「威す」と言います)糸が派手な絹で編んだ紐だったりします。
しかし信長や家康の時代はこんな事をしてはいられません。分厚い鉄板で防御力を重視して製作します。飾っても見栄えがよくありませんから、飾り物に使用される事はまずないと言えます。

http://syoubuya.com/?pid=3703782
これなどが信長公が使用したと考えられる南蛮胴具足となります。

http://www.sengoku-expo.net/design/J/armor/001-a …
こちらは日光東照宮に伝わる、家康公が所用したと伝えられる南蛮胴具足です。

http://item.rakuten.co.jp/miyage/gogatu-case-cyd …
こちらは正確を期すなら「家康風」五月人形飾りです。この型式を家康公が使用した事は「あり得ず」、純粋に「飾り」だと考えるべきです。

この回答への補足

詳しい情報ありがとうございます。丁寧におしえてもらってありがたいです。実は、もう契約してしまいました。実際、徳川家康と織田信長の両者が、着用したといわれる、鎧や兜はないんですか?

補足日時:2008/04/28 00:11
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こんにちは。


徳川家康のは、関が原で鉄砲で試し打ち(鎧をぶら下げて至近距離から鉄砲で銃撃して抜けない事を確かめた)した物が現存しています。
胴のしのぎ部分に銃痕が残っています。
それを確認した上で着用し、指揮鼓舞の為に馬にまたがって前線に向かったという記録もあります。
信長のもあるようです。
↓の「南蛮具足」というのがそうです。
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/sengoku-ar …

この回答への補足

ありがとうございます。2人が1つの鎧を身に着けたことは、ありますか?
あとそれらの鎧は、どこでみることができますか?おねがいします?

補足日時:2008/04/27 20:07
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