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高校生の頃から、詩、俳句、短歌などを作って、同人誌のまねごとをして遊びましたが、よく考えてみると、それらについて正式な教育は受けたことがありません。最近考えるのは、詩って何だろうと言うことです。俳句などと違って字数の制限はありませんし、長いものになると40ページを越えるものもあると聞きます。散文などと詩では、何が違うのでしょう。詳しい方にお答えいただければ嬉しいのですが。

A 回答 (2件)

 言葉の元来の意味で言えば、韻文とは「定型詩」のことであり、散文とは『定型詩以外」です。

日本の伝統的な韻文は、(広義の)「和歌」(「今様歌」「連歌」なども含む)「俳句」「川柳」「都々逸」などであり、これは音数や使える語などに規定がありました。特に和歌は、音数以外にも、漢語を使ってはだめだとか「馬」は俗語だから「駒」を使えとか、非常に細かい制約の中での創作だったのです。
 明治になって西洋流の詩が輸入されたわけですが、欧米でいうpoetryとはまさに韻文で、一行の音数やら頭韻・中韻・脚韻やらの規則が厳然としたものでした。40ページを超えるような詩ですら、ひたすら音数と韻を守って書かれているわけです。こんなのは日本語ではことばの仕組みとして無理でしたので、せめて音数を一定にするといったくらいの制約の中で書けばよかろうという感じで新しい「定型詩」が生まれました。もちろん、定義からして「和歌」「俳句」なども「定型詩」の一種です。なお大正から昭和にかけて、日本語でも厳密に脚韻を踏んだ定型詩を作る運動として「マチネ・ポエティック」という運動があったそうですが、成功はしませんでした。話が飛びますが、現代のラップ音楽の歌詞は、あれは音数に制約があってかつ韻を踏んでますから立派な定型詩というべきですね。マチネ・ポエティックの失敗は、20世紀末になって達成されたとも言えるわけです。
 話を戻して「自由詩」は、一行の音数にも、韻にも何らの制約をなくしたものです。これは伝統的な「韻文」の定義を根底から覆すものですから、形式的には「散文」に属すると言うべきものです。実際に「自由詩」のことを「散文詩」と言うこともあります。形式的には小説やエッセイなど他の文体と区別することは不可能ですので、ある文芸を見て「自由詩」と判断するか「小説」と判断するかは見る者の主観でしか決められません。何を以て詩情とするか何てのは、決めようがないことです。
 なお論文や説明文などを散文ということはないようです。
 まとめますと次のようなところです。

韻文(定型詩)  和歌
         俳句
         川柳
         都々逸など
         狭義の定型詩  文語定型詩、ラップ音楽など
境界上      自由詩(散文詩)
散文       小説・エッセイ・紀行文など
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この回答へのお礼

懇切丁寧なご回答、誠にありがとうございました。以前から、ポエムと詩とは違うものではないかと思いつつ、自分の好みで定型詩を作ってきました。他人が作った自由詩に、なじめなかったからなのですが、それがもしかしたら、私の日本語に対する拘りだったのかもしれないと考えています。又あらためて、詩歌についておもしろくなってきました、ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/30 20:48

俳句は、5・7・5文字の言葉を順序よく繋げ、短歌とか和歌とか呼ばれる言葉の並びは、5・7.5.7・7文字を並べただけです。


季語と言って、季節が含まれてれば俳句で、含まれてなければ川柳とも言いますが、いい加減です。

詩、とか、散文とかは、書いた人、読んで感銘を受けた人がジャンルを決めていますが、どっちでもいいです。

詩は、語尾に往々にして【韻】を含みます。
たとえば・・・・・・

・・・・・・・・去り行く冬には・
・・・・・・・・来たりなん春は・

コンナのが韻になるんですから、やっぱりいい加減。
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