琉球王国の北山・中山・南山の内、北山だけが面積が広大なのは何故ですか?

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …

A 回答 (4件)

考えられる事としては、山が多く決して豊かとは言えない地勢のため運天の港で財力を蓄えた今帰仁に対抗できる勢力が生まれなかったのはないかと思います。


そのため本島北部一帯を支配下に置けたのかも知れません。

しかし山原や名護の丘陵地帯など人が住むのに適さない場所が多いため国力は三山のなかではもっとも低かったと言われています。
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なぜ、といわれても確かに困りますけれども(笑)、もし北山だけが大きい(というか南山だけが小さい、というようにも見えますがね)ことに意味があるとして、一つの仮説を書きます。



この当時、最も重要な意味を持ったのは港でした。特に農具としての鉄など、海外の産物を配下の人民に配分するため、為政者は必ず良港のそばに本拠を構えました。三山で言えば、北山の良港は運天、中山の場合は勝連と牧港(のちに那覇)、南山は佐敷、という案配です。
それぞれを質問者の示された地図にマークすると、三山の国土は、この港を中心にした円でまとめることができそうです(中山の場合は、勝連の大名を那覇の大名が滅ぼして1つになったので、中心が2つある格好になります)。つまりは、港を中心に勢力を広げた(港に向けて人々が集まった)結果、だというのが私の仮説ですが、どうでしょうかねぇ。説得力、あるでしょうか。
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なぜといわれても困りますが・・・



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …

沖縄本島の地形を見ると、「地形は平坦で、100mを越える丘陵地はほとんどない」という中南部に比べ、北部は「400m程度の低山が続く・・・平地はごく少ない」とのことです。
面積が広くても、山ばかりでは、国力的にはあまり意味がなかったかもしれません。

現在でも中南部都市圏(県土の5分の1に)県民人口の80%が集中しているということです。
昔からそうだったとするなら、北山は、国土は広いが人口密度は低い、山がちの国だったということになります。
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北山の領地としてある部分は、ほとんど人がいません。

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