プロが教えるわが家の防犯対策術!

心理学のカテゴリでいいのか分かりませんでしたが、前から気になっていたことなので専門的に教えてください。

絵が趣味で、小さい頃から絵を描いていたのですが、色気づいたというのでしょうか。上手い人の絵をじっくり見たり、デッサンの練習などをしている時期から、ただ「絵を描くのが楽しい」→「絵が上手くなりたい」という感情に変わってしまい、絵を描いているときは「人前に出せるほどの実力がなくてはダメなのだ」と考えて楽しめなくなってしまっています。この状態がもう4年くらいは続いています。
確かにプロ級の人の絵に比べたら下手なのは当たり前ですが、同世代の友達の絵と比べたら自分でも上手いと思いますし、本当に上手いと褒めていただくこともかなりありました。
練習も積んでいるから、そんなに下手すぎるわけでもないと思うんです。
また、だいぶ昔の忘れてしまう頃に描いた絵が偶然出てくると、「この人結構絵上手い」と思ったものが自分の絵であったりすることもありました。
なのに、自分の絵だと分かると急に下手に見えて仕方がありません。
他の人の絵を見て「うわ下手だなー」と思うことは滅多にないのに、自分の絵だという概念があるだけでバランスが悪いだの、色に華がないだの、そういう悪い所ばかり見えてきてしまうんです。
おかげでスランプが悪化していくばかり。最後まで絵を描ききる気力も湧かなくなってしまっています。

それは絵だけではなく、字の上手さにしても、料理の腕にしても同じで、自分の作ったものとなると悪い所ばかり見えてしまうんです。
だからといって隣の芝生は青いと人を羨むこともなく、人間的に自分はダメだダメだと思っているわけでもないんです。
心理的にどういうものなんでしょうか。分かれば少しは良くなるんじゃないかと思うのですが・・・。

A 回答 (5件)

素人意見を述べさせて下さい。


ちょっと宗教チックになってしまった所もありますが・・・。

A.
・自分が楽しみたい
・他人から評価されたい
という二つの違ったベクトルを持つ心理が同居しているが故、どちらを優先すべきか分からず、あるいは両立できるかその方法が分からない為にジレンマを感じているように思いました。

絵のお師匠さんに当たる方はいませんか? その方に聞いてみたらどうでしょう。
あるいは、「スランプに陥っているが、どうすれば良いか? 」と美術カテゴリに直球で聞いてしまうのがいいかもしれません。

B.
また、心理学にはこんな言葉はありませんが、
凹埋め(欠点の克服)と凸出し(長所の昇華)で言ったら凹埋め形の人間なんでしょう。
私が観察した限り、凹埋め/凸出しは一長一短であり、
・凹埋め→欠点は少ないが、ヘコみやすい
・凸出し→長所は伸びるが、増徴しやすい
となり、両方をバランス良く兼ね備えた方が上手く成長していっているようです。

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以下、蛇足かもしれませんが・・・。

C.
他の人が上手いと感じるのは、自分が伸びる余地があるという事ですよ。
他人の絵と自分の絵が明らかに方向性が違うのであれば、「ああ、こう言う人もいるのだな」で片付けられると思いますが、
自分の方向性の延長線上にいる人に対しては比較対照となりうるので、欠点も見えてしまう。
ある意味、自分の描く絵しか知らなかったので、それで慢心してしまっていた。が、他の人のロジックを学んで、自分の欠点を見出してしまった。(延長線上の先にあるものが見えてしまった)。
しかし、最初はそんなんでいいんです。
自分が「ダメ」だ、と理解できるのであれば、それを打開する方向性も神様から個人的に与えられているんですから。

今、世界という劇場の中で、それを打開する人間としてその役割が割り振られているのです。
演技が下手であればさっさと交代させられてしまいますよ。
これはチャンスなので生かした方が良い。おおいに打開して下さい。

守破離という言葉はご存知ですか? 
1.最初は師匠や周りの忠告等の教えを「守」って
2.自分流の新しいロジックを見つけ(創造)、旧来のロジックを「破」り
3.更にそれを前進させて、旧来の形から「離」れる
と私は解釈しています。
http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~c066eb/senjin.s …

恐らく、自分の欠点が見えており何とかしたいというのは「守」の途中の状態なんでしょう。
他の人と比較してヘコむよりも他の人の技法をガシガシ学ぶべきでしょう。

D.
で、他の人の技法を学ぶと自分らしさが失われるのでは? と思うかもしれませんが、やって見ないと分かりませんよね? 
画家の紹介で、○○の影響を受け~なんてよくありますが、良いものにはビシバシ影響されるべきなんだと、私は思っています。
で、他の人を真似て真似て、で自分らしさをその上で作っていく。まずはここからスタートすべきでは? 

E.
人は与えられた天命を全うすれば良いのですよ。
人と比較して、私はああだこうだと言っても始まりません。

F.
また、どんな理不尽な環境でも物事をやり遂げる精神的スタミナが足りないのかもしれません。

また、個人的意見ですが、世の中の人間がすべき事を食事に例えると、
・理由(味・食管)は全く分からないが、栄養摂取の為に飲み込む事
・よく噛み砕いて、味わう(理解する)事
の二種に分かれると思います。このいずれかが欠けても、物事は完成しないと思っており、これを両方とも普段から身に付けるようにしております。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。知らず知らずのうちに他人からの評価を気にしだして来たのでしょうね・・・。
急にこうなってしまったので、何が原因なのか一応考えてみました。『○○な芸術はダメだ!』みたいなことを言っている人の本を読んでしまったことがきっかけだったのではないかと思っています。
成長する予知があると考えていいんでしょうか。

上手い人の絵は手元に常に置いておき、なにかと真似をしたり模写をしているんですが、不思議なことに、やっぱり他人の絵という認識があると上手く感じます。
欠点ばかりを見すぎですよね。

お礼日時:2008/05/08 14:03

評価する自分と評価される自分との違いだと思います。

あなたにとって他の人は評価される自分(その人の)しか知ることがないわけです。ところがあなた自身は常に評価する自分が出てくるために評価される自分が抑え込まれてしまうのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なかなか他人の立場で自分の絵を評価することができません。
絵の描き方を別カテゴリで検索してみましたが、他人の目から見るようにすることが上達には必要みたいですね。

お礼日時:2008/05/08 14:30

解ります。

心理的にどうかの答えにはなってませんが・・・
これって、プロ、アマを問わず他人の為に真剣にそのことをすることでステップが変わって来るんだと思います。
自分がどう思うかより先に、まずその他人がどう感じたか、真剣に取り組んでいたかどうかになって、自分の感覚の上手い下手、快不快はともかく、他人の目を意識して判断するので、次の作品へのアプローチが全然変わってくるはずなんですね。

他人の為だけに料理を作り、人に聴かせる曲を奏で、他人の家に飾ってもらう絵を描くことが次のステップなんじゃないかなと感じた次第です。
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この回答へのお礼

回答の意味と同じ状況なのかわかりませんが、
誰かのために(プレゼントのカードイラストなど)絵を描くと、変に気合が入りきれいに描けて、多少バランスが悪くても色が汚くてもあまり気にならなくなります。自分でもなぜだか分かりません。
人に飾ってもらうことを意識するというのも手かもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/08 14:10

あなたは、素質のある人かもしれません。


できれば、絵は続けてください。

ご質問の原因ですが、おそらく上手くなりたいと願う気持ちの表れかと思われます。
凡人以下のくせして、天才以上だと思い込んでいる輩が多い中で、その向上心は誇りに思ってよろしいかと存じます。
悪いところが見えない人もいます。
でも、まわりの人は褒めてくれはしても、悪いところは指摘してくれません。
悪いところが見えて羨ましいです。
スランプというのは、一見悪い兆候のようですが、上手くなる過程での停滞期間にすぎません。じたばたしていればいいのです。
らくをしようとするから、反対に辛くなるのです。
それに、らくをするとつまらなくないですか?

楽しく絵を書いていた頃と同じ気持ちで、絵を書きたいということでしたら、回答は異なります。
その旨、お知らせください
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この回答へのお礼

嬉しいアドバイスありがとうございます。絵は多分止めろと言われてもやめられそうにありません。

そうですよね。周りの人は気を遣うでしょうから、悪い所をいちいち言ってくれる人は滅多にいないですね。
無邪気に絵を描いている人は自分の絵の欠点を言うことはあまりないのですが、絵が上手い人は後ろ向きなのか「私の絵なんて・・・」と言うことが多いです。それでも人に見せるだけの自信はあるので、ちょっと私の場合はやりすぎなんじゃないかと思います。
楽をしたらそれもそれで楽しみはないですね。
ありがとうございます。

それから、楽しく絵が描きたいかと言われればもちろんです。
描いていて落ち込んでばかりなのは虚しいので・・・。

お礼日時:2008/05/03 21:13

簡単な言葉で言うなら、自分に対しては客観的に見られない、ということではないでしょうか。



人の描いた絵は客観的に見ますから、まぁそれなりの上手い人の描いた絵なら「上手い」と思うのです。
でも自分の描いた絵というのは、作成するプロセスを自分自身が一番よく知っているわけですから、欠点もすべて自分自身がわかっているわけです。
特に絵は芸術ですから、自分の力量のない部分をいかに乗り越えていくかを目的に描いているのですから、ネガティブな面にばかり目が行くのは当然ではないでしょうか。
私も芸術として料理を作っている時は、同じ心理状態でしたよ。
何を作ってもまったく美味しく感じないんです。
そりゃそうですよね、「こういう味を表現したい」という高い理想に向かって作った料理ですから、どうしても「理想に届いていない」引き算の評価しか出来ません。
これが単に「毎日食べるための料理」に目的が変わった時、私は自分の料理がすべて美味しく感じられるようになったのです。
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この回答へのお礼

分かりやすい表現で教えて下さってありがとうございます。
そうです。私は客観性が乏しいです。客観性があれば自分の絵でも「そんなに下手なはずがないよ」と言えると思うのですが。
どこを直せば上手くなれるのか知れるのはいいことだと思えるんですが、それがあまりに多すぎて自信も楽しみもなくなってきてしまいました。
料理を作るときにしても、家族が作った料理が美味しく感じても、自分の料理だと味がよければ見た目を悪く言い、それがなければ見た目に華がないなどとケチをつけてばかりです。
理想が高すぎるんでしょうか。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/03 21:08

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