後漢書の金印と、魏志の金印?
歴史の勉強をしていて混乱してしまったところがあるので教えてください。
金印は2つあるのでしょうか。
卑弥呼は「親魏倭王」の称号とともに金印を送られた、とある問題集に書いてありました。
一方で、後漢書においても光武帝から印綬されたとあるそうです。
この印綬されたものは金印なのでしょうか。
よく教科書で取り上げられる「漢委奴国王印」はこちらなのでしょうか。
調べてもよくわからず混乱してしまいました。
詳しい方よろしくお願いします。
回答(5件)
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参考までに。
107年には安泰であったとも推測されます。
また、ここから70~80年とも推測され、時期の一致を見ます。
が、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%A5%E5%8D%87
金印が授けられてから+70~80年。(127~138年)
146~189年の支持者が多いのが特徴です。
この回答へのお礼
回答ありがとうございました。
金印が授けられてから+70~80年。(127~138年)
記録では178~184
金印を授けて120年後に国は乱れた事になります。
時期的には定かでは無いのですが、
恐らく卑弥呼の金印とは別の国家、別の金印です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD% …
この回答へのお礼
回答ありがとうございました。
漢より、奴国の委の王と認める
とあります。
後漢が220年で滅んでいますので、
魏志倭人伝は三国志の
親魏倭王(魏より倭王に送る)238年。
ですので、漢委奴国王印は57年。
238年よりはるか以前の物となります。
1、後漢興国後27年後に認められた。
2、魏は興国直後に朝貢した親魏倭王の金印を授ける
となります。
また、
漢委奴国王印は偽物であると言う見方もあり、確実ではありません。
また、授けたとは言え、船が確実に日本にたどり着いたかどうかまでは保障されません。
この回答へのお礼
回答ありがとうございました。
金印というのは、金でできた印章ですから、一杯あります。
古代のアジアは、冊封体制という中国を中心とした関係で、No.,1さんの述べている通り、中国の皇帝が、各地に王を任命して、その際に金印などを授けます。
王に任命されると、送った貢物以上に色々物がもらえて、しかも中国が何かあったら助けてやると言う関係です。
だから、皇帝は名乗れず、その下の王なんです。
中国は、各時代時代で前の王朝の歴史書を書く決まりになっていますが、その歴史書の名前は、国の名前です。
ですから、後漢書は漢の歴史、魏志は三国志の魏の歴史で、それぞれ皇帝が違いますから、当然違う印章になります。
「親魏倭王」は魏から、「漢委奴国王」は漢から送られたものです。
発見されたのは、「漢委奴国王」で国宝に指定されています。
この回答へのお礼
回答ありがとうございました。
No.1ベストアンサー10pt
光武帝からもらったのが、教科書の漢倭奴国王印で金印です。
福岡県から出土したものですね。
親魏倭王の印は魏志倭人伝という本に書かれているだけで、実物は発見されていません。
金印は、中国の国に朝貢した周りの国に対して、皇帝があなたをその国の王様として認めてあげますよ、という意味であげるもので、日本以外にもあげています。たやすくもらえるものではないですが・・・。
ちなみに、もし卑弥呼がもらったとされる金印が発見されれば、邪馬台国の存在した(近畿説、九州説等)に決着がつくのでしょうが・・・
この回答へのお礼
回答ありがとうございました。
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