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こんにちわ。
現在、普通学校に通っている高校1年です。
しかし、障害者です。聴覚障害をもっています。
生まれつきだと言われています。
右は中度難聴で補聴器かけてます
左は重度難聴、ろうあで補聴器はつけてません。

だから片耳で生活しているようなもんです。

毎日、なんで障害もっているのかと悩んでいます。
カテゴリーにまよったのですが
人生相談に近い?のでライフにさせていただきました。

現在、都立難関と言われている学校にいっています。
小学校に上がる前までは聾学校小学校中学校は普通学校と進んでまいりました。無事卒業してきました・。
高校は卒業できるのかと不安です。
友達に理解してもらわないといけないですし
授業は疲れますし、本当に毎日が楽しくないんです。
ほとんどが耳が絡んでくるのでなかなか解決できません。
英語は高度な授業なので大変です。
でも英語がやりたくて入ったので
がんばりたいのですが
限界です。入学したばかりなのですが。
聴覚障害によって、なぜ好きなことができないのかと
苦しみばかりです。
聞こえれば普通に授業受けれるのに、
普通に友達としゃべれるのに、、、、、、、、、、、、、、、

乗り越えろとか言うけど
無理です。
なんで、こんなつらい思いしながら生きなきゃいけないんですか??
と考えます。
また、聴覚障害は悪いんですか?とか、いろいろ、、、、。

冷たい人にたくさん出会いました。
いい人にもたくさん出会いました。

でも、何のために生きているのか分かりません。

聾学校に行けば楽なのでしょうが
健常者に負けたくない、健常者に追いつきたい気持ちでやっているので
聾学校には行きたくないのです。

でも最近は聾学校のほうが、、、、
楽しいのでは、、、と思います。

もう、こんな自分が嫌です。
泣きたいです。

どう思いますか?どうすればいいでしょうか?
ちょっとでもいいので返事くれるとうれしいです。

障害に対して偏見もってらっしゃる方もこのHPを見てらっしゃるかと思います。どうか、偏見をなくしてください。
こんなにがんばっているんです。
誰が悪いというわけではありません。
障害が悪いのです。
どうか、手をさしのべてください。
障害者はつらいのです。
健常者が羨ましいのです。

どうか、障害がまったくなくなるように祈っています。

A 回答 (14件中1~10件)

はじめまして。


養護学校の教員をしています。

手話の学習もしていて、ろう者との交流もある者です。

>どう思いますか?どうすればいいでしょうか?
>ちょっとでもいいので返事くれるとうれしいです。

苦しい状況にあることは、よく分かります。
おそらく今は、とても孤独で無力感が高まりやすい状況だろうと思いますし。


アイデンティティ、という言葉をご存知ですか?
聴覚障害者は、自分の障害を意識するとき、自分のアイデンティティを見失いがちになるものです。

こういう団体を、ご存知ですか?

関東聴覚障害学生懇談会
http://kankon-web.hp.infoseek.co.jp/
高校生会員も募集していますね。


私の知り合いで、学生の頃に関東に住んでいたろう者も所属していた(いる)組織で、聴覚障害者のネットワークをつくることで、情報保障を効率よく行ったり、悩みを共有したりすることで、孤立しがちな聴覚障害者を助ける組織です。

まさに、今のあなたに必要なのは、こういった組織による仲間づくりなのではないでしょうか?
早速5/25に、集まりがあるようですね…。

今後、あなたには、大切な仲間ができるでしょう。
あなたが生きていく上で、自分がプライドをもって、誇り高く生きていけるような仲間です。
あなたの今の悩みと、まったく同じ悩みをもち、あるいはそれを解決してきたような、心が通い合うことができる仲間です。
あなたが障害者として、ではなく、一人の人間として、生き生きと生活していくことができるような仲間です。

こちらの団体を訪ねるかどうかは、質問者であるあなたの自由です。
ですが私としては、このサイトで健常者や障害者、という枠組みで考えるよりも、もっと有効なアドバイスが得られると思っています。
おすすめです。

何かの参考になれば幸いです。
それでは。
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うん…確かに「人は人の事がわからない」生き物なんだと思うよ。


差別も、偏見も…誤解や嫉妬やいろんな気持ちが、相手と向かい合っていると湧いてくることがある。
人は人の事が理解できない…それは確かに、そう。

だけど「理解しようとしてない」とは言っていない。
「理解しようとして、理解できる」かどうかも、正直言って「未知数」なんだ。
生まれつきの障害があった人がいるとしても、その人の事を「理解できる」なんてことは「無い」よ。
「理解出来るように努力し続ける事」は出きるし、その「可能性」というヤツは否定しない。
でも「完全に理解してもらえる」ことは、今のところ「ありえない」。
これは厳粛な事実だ。

「現実に目を背けるな!」

…これは君が「生きていくために」も、キチンと知っておかないといけない事。
「そんなこと、毎日イヤってほど経験してる!」って君は言うかもしれないね。
確かにそうなんだろう…でもそれを「嫌がって」いようと、疎ましく思おうと、否定したくても…事実は、事実だ。

「否定」することで、自分の「生き様」まで曲げてしまうのは、すごく惨めだぞ!。
何が惨めって言ったら…自分自身がすごく惨めだ。
「俺はこうやって来た」って、いくら「血を吐くような叫び」をしたところで、人が人を理解できない以上は、空に向かって唾を吐くようなもんだぞ。
だから「そんなところ」で立ち止まってたらいけないよ。

偏見や誤解を受けやすい…時に差別されたり、不快な事が続く事も有る。
不当な偏見や、無理解で、窮地に追いこまれることだってあるかもしれない。
下手な同情や、憐憫の為に、心を引き裂かれるような経験をするかもしれない。
…確かに「ハンディ」というものは「存在する」。
そしてそれが「不幸な結果」を招くという事も、ありえる。

でも「それでどうするか?」って答えは、障害があるということから導き出されるものじゃないぞ。
大事なのは「君がどう生きたいか?生きるつもりなのか?」ってことだろ?。
それに「ハンディキャップ」を混ぜるのは…止さないか?。
混ぜたとしても…「答え」が「マイナス」にばかり行くのじゃ、それは良くないことだろ?。
それに…誰よりも君自身が「身をもって」体験していく事なのだから。

先の事を考え込んでしまうのは、君だけじゃなくて「誰でも」そうなんだよね。
そうすると…大概は悪いほうにしか考えが及ばない…経験数が少ないから、当然なんだけどね。

「聴力障害」については、身をもって良く知っている君だけど、でも「未来の歩き方」は、全然知らないはずなんだよね。
それは「これから」の君の気持ちいかんで決まるところがある。
自分に甘えても誰も助けてくれない、っていう事も知っておいて欲しいんだ。

人が一人で出来る事なんか、本当にたかが知れている。
悩み事の解決や、生き方の方向性だって、自分だけじゃ何一つわかりはしないんだ。

「みんな」に理解させる、なんてことは大き過ぎるよ。
どんな宗教、国家だって、全ての人を満足させられた歴史は存在しないだろ?。
自分が理解させることができるのは、目の前の何人かが関の山。
それも「理解に差がある」のが現実で、努力する行為が虚しくなる事もあるよね。

あわてないで。
まずは一歩ずつ行かないか?。

目標を立てて、それに向かって邁進する。
学業でも良いし、将来の「夢」でも良い。
ひとつづつのステップを踏み、出会った人達と戦ったり、理解し有ったり…時には泣いてみたりする。
そういう「経験」をしながら「生きる」という真実を自分の中に形成していって欲しい。

「高み」を知る事が出来たとき…今の君の考え方が「小さいもの」であったと同時に「切ない」ものだったのだと気付く事が適うと思うよ。
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こんばんは。



私は健常者ですが、吃音です。
子供の頃は「いっそ耳が聞こえなかったら良かったのに」
「口がきけなかったら良かったのに」と本気で思っていました。
(本当に耳の聴こえない方には失礼なことですよね)
一番身近な母親と話す時でさえ
「あ、あ、あ、あのね、き、今日、学校でね、
せ、せ、せ、せ、先生が・・」という具合でした。
おつかいに言ってお店の人に欲しい品物が言えなくて、
泣いて家に帰ったり。
周りに嘲笑われることが多かったです。
からかわれることも、しょっちゅうでした。
就職しても電話が怖くて取れなくて、三ヶ月で自主退社しました。
(居づらくなって)
私は聾者の貴方の苦労は何もわかりませんが、
貴方にも私の気持ちはわからないと思います。
自分を追い詰めても苦しいだけです。

健常者だって、色々あるんですよん。
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30代♂です。



私の友人は、事故で頚椎を損傷し、車椅子の生活となりました。

当時、友人がよく言っていたのが、あなたと同じで、これ以上どうやって頑張ればいいのかという言葉でした。

健常者には自分たちの事は理解できない。この言葉は我々近親者には重い言葉でした。

理解したいのに、理解できないもどかしさがありました。どうやっても本人と同じ障害を実際に受けてみないことには、心からは理解できないのです。

でも、あれから12年が経った今、友人がよく言う言葉に、「出来ない事を悲しむより、出来る事に喜びを感じる」というのがあります。

どうかあなたにも、失った聴覚に嘆くよりも、今あなたに残っている力を生かして、この先の人生を歩いて行って欲しいと切に願います。

健常者に負けたくないという気持ちは良い事だと思います。私の友人も今でもよく言っています。そうした気持ちで、いてくれればと思いますよ。

私は、友人を見てきたからか、障害という言葉自体があまり好きではありません。あくまでも鼻が高いとか、身長が高いとか、足が長いとか、そうした個性の一つだと私は理解しています。

世の中には、まだ理解に苦しむような人達もいるのも事実ですが、あなた達が負けないで、生きて欲しいと心から願う者もいるという事を、どうか忘れないでください。

あなたの本当の苦しみも分からないまま、生意気な事を言ってすみません。でも、私は友人やあなたや他の人達が住みやすい世界になって欲しいと心から願っています。
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私も聴力障害者です


補聴器つけないと人の声は聞き取れません。
でも仕事は補聴器なしでやってます
汗をかく仕事場なのでずっとつけておけないので。

まず
耳が聞こえないということは相手や周りにに言わないとまずわかってもらえません。
それは外見上パッと見でわかる障害じゃないから。
「私聞こえへんねん」
これで相手が理解してくれる人なら今度もお付き合いできますが、そうで無い人もたくさん居ますね。
世の中障害をもつ人に皆優しいひとばかりじゃないです。

偏見をなくすというよりも「障害のある人とどう接しれば良いのかわからない・わかってない人が多い」ことをどうにかしなきゃならんでしょうね。
例えば私たちのように「聞こえ」に不自由がある人へだと「とにかく大声で話せばいい」としか思って無い人もいたり・・
音量よりもゆっくりと話していただければ普通の音量でもかなり理解できるんですよねえ。
こういうことは障害があるほうから言っていかないといけないことだとおもいます。
わかってもらうためには自分からこうなんですが・・とか言って行かないとならんときもあるということです
あなたの場合「英語」で悩んでるならそういう方面の先生方やロウ学校のそういう専門家の方に相談しどうすればよいかアドバイス求めましたか?
壁にぶち当たってるならそれを乗り越えるために手を貸していただくのもひとつの手段だと思います。

どうか聞こえないことをどうこう思うのではなく、聞こえないという健常者よりもマイナス部分をどうやって埋めればいいのか情報収集されてください。

健常者が羨ましいのです。>>
まあ確かにそう思うときもありますが、自分の体ですからね、聞こえないことを恨んでもしかたないし。
要らぬことを聞かなくて済むわ・・と私は割りきってますよ。
障害を受け入れてます
健常者と比べる必要もないでしょ。
人は皆それぞれなんです。
あなたにはあなたしかもってない素晴らしさとその若狭からの未知の可能性があるんですよ。
それだけでも素晴らしいです

人間思うとおりに行かない日ばかりじゃないと思います。
でもそこから脱出するのもしないのも自分次第だと思います
聞こえなくてもきっと何らかの方法はあるはずです。
あせらずに地道にがんばっていきませんか?
あなたの悩みに手を差し伸べてくださる理解者が必ず居ると思います
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友人に、重度の聴覚障害を持っている女性がいます。


生まれつき、両耳が完全に聴こえません。
私は彼女と出会うまで、「耳が聴こえない」ということが、
どういう状態なのか、よく判っていませんでした。

もちろん、会話が困難である、ということは想像ができました。
けれども、例えば「落し物になかなか気づけない」とか、
「自動販売機でおつりが出てきたことにうっかり気づけない」とか、
「事故などで電車が止まったとき、車内放送が聞こえないため、
情報が不十分で、ものすごく不安になる」とか、
「自分のおじいちゃんが目が見えないため、直接会話をしたことがない。
大好きなおじいちゃんと、一度でいいから二人でゆっくり話したい」とか、
「聴こえる人が言うところの『気配』というものが感じられないので、
突然後ろから肩を叩かれると、飛び上がるほど驚いてしまう」とか、
「字幕のある洋画は見られるけど、邦画は話がわからない」とか、
「扉の開け閉めや足音など、自分には気づけないこと物音を、
うまく調節するのが難しく、知らない人に睨みつけられた」といった、
日常に生じるさまざまな困難については、
彼女が教えてくれるまで、まったく思いもつかないことでした。

ご質問者さまにとっては、あたりまえ過ぎるようなことを
あえて長々と書かせていただいたのは、
このページを読んでいる聴こえる人の大半が、
こういった現実について知らないのではないか、と思うからです。
現に、私がそうでした。
具体的にどのようなところが不便で、困っているのか、
どのような方法を取れば、お互いに理解して気持ちよく過ごせるのか、
聴こえる私たちにはわからないんです。

彼女は結婚のために引っ越しをして、初めて行く美容室で、
「通訳のかたがご同行してくれないと困ります、と断られた。
筆談ができるのに、ひどいと思わない?!」と、とても怒っていました。
彼女の傷ついた気持ちはとてもよく理解できますが、
私はその美容師さんの戸惑いも、わかります。
私も、彼女と出会うまで、聴こえない人との会話は、
手話でしかできない、と思い込んでいました。
「筆談」という、とても簡単な方法ですら、
教えてもらわなければわからなかったのです。

こういった困難は、ご質問者さまもいろいろと体験していると思います。
時には、「差別的」と感じられることもあるでしょう。
でもそれは、単純に「知らないからだ」ということをご理解ください。

もちろん、世の中には差別的な考えの持ち主もいます。
けれども、大半の人はそうではありません。
差別の意識からではなく、単純に「知らないから戸惑う」、
あるいは、「知らないから間違えてしまう」だけなのです。
そういうときに「ひどい、それは差別よ!!」といきなり言われてしまうと、
ものすごく傷つきます…
「そんなつもりはなかったのに…私はひどい人間だ」と、
とても落ち込んで、自信を失ってしまいます。
怒るのではなく、「こうして欲しい」と教えてもらえたら、
その人はもう同じ間違いはしません。
自分と同様の間違いをしている人を見たら、教えてあげることでしょう。

理解不足の人たちと多く接していると、
ウンザリするし、疲れて、頭にくることもたくさんあるでしょう。
でも、どうか「世の中は嫌な奴らばかり!!」とは思わないでください。
私は聴こえない友達と出会えて、実にさまざまなことを教わって、
とても勉強になりました。
これからも、大切に付き合っていきたい友人です。
ご質問者さまの現在のご友人、これから出会うご友人も、
きっと私と同じ気持ちです。
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 貴方は障がいがあるのだから、健常者と同じ事を学校でこなしているだけで、立派です。

障がいは個性なんていいますけど、私は損してるんだと受け取っています。
 損してるんだから、その分、どこかで楽しないと。だけど、一応健常者と同じ事のできる程度の障害者はいちいちいたわってくれないし、そう特別扱いもされませんよね。だから、どうか自分で自分を大切に労り、一人で自由な時間を大切にしてください。自分を虐めるのも大切に扱うのも貴方次第だから。
 と、中途障がい者の息子を持つ母からの貴方様への願いでした。
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ぼくは体験ありませんが、片耳が聞こえないのはすごくつらいというのは想像は出来ます。

脳はバランスを調整しようとするでしょうから、それがかえって別の症状を出すのかもしれませんし。偏頭痛とか起こりやすいかもしれない。
しかも英語だとヒアリングが追いつかないと大変ですよね・・・
でもでもでも。
そんな中でもあなたなりの工夫は今までもしてきただろうし、これからも出来ると思うんです。
「ああ、これ以上は無理だ」って自分で決めちゃったら終わっちゃうけど、「まてよ、明日はこうすれば少しだけでも違うかも」って思い続ける(エネルギーは要るけど)ことが大事だと思いますよ。
友達は?少しずつでも助けてもらっていいと思うけどな。
そこは恥ずかしくないから、ヘルプはもらいましょうよ。
聾学校は絶対数が少ないですよね。
健常者が好きな学校に行けるのに、何でこんなに遠回りして通わなくてはならないのか・・・しかもそのためのコストの援助もないでしょう?
そのあたり、日本はすごく遅れている、というか臭いものに蓋みたいな風潮が消えない。残念なことに。
しかもがんばってるのにへますると頑張りが足らないと健常者は臆面もなく言います。体験してみろ、といいたいですね。

・・・脱線してしまった。。。
閑話休題、あなたはまっすぐな心の持ち主です。きっと理解者はまだまだ現れます。いま、ちょっとしんどいのなら泣いてもいい。少しゆっくりしてもいいですよ。
人生まだ先は長い。張り詰めたままでそうそう続くものじゃない。
火を消さないようにしてればいいです。
areddin711さんが「まずはちょっとの勇気」と仰ってますが、本当にそうです。健常者はあなたの窮状に気づかないときがあります。それをうらむより、そのとき一言勇気を出して言ってみてください。その一言で少し楽になれるのなら。
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特に大したアドバイスはできないんですけど、高校時代クラスに聴覚障害を持つ女の子いましたよ。


その子は中学まで聾学校で、高校から普通にしたらしいです。
確か会話はほとんど聞き取れないから、口の動きから読みとってるって言ってました。

で、友達がたくさんいて、その子達が結構支えてあげてて、卒業するとき首席で卒業してました。

僕は特に親しかったわけじゃないから、その子がどれくらい苦しんだかはよくしらないんですけれど、傍目から見たらとても楽しそうに生活してましたけどね。
ごく普通に友達と楽しく高校生活おくってるように見えました。

無責任に「だから頑張れば何とかなる!」とは言えないですけど、でも聴覚障害だと絶対楽しめないってこともないんじゃないかなあ、と思います。
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こんばんは。


障害とどう向き合っていけばいいのかとお悩みのようですが、実際のところあなたと同じ高校生の健常者の方の悩みと一緒のような気がします。人間、みんなないものねだりです。自分にそれ(欲しいもの)がないことに意識が行ってしまっています。
あなたにあるものをフルに活用することを考えて欲しいのです。人は誰でも色々な状況があって、したくてもできないことがたくさんありますよ。
>聾学校に行けば楽なのでしょうが
健常者に負けたくない、健常者に追いつきたい気持ちでやっているので
聾学校には行きたくないのです。

聾学校に行くことは、本当に健常者に負けることなんでしょうか?
聾学校に行くと健常者に追いつけないんでしょうか?
負けるとか、追いつくとかそういうことではないように思いますよ。
聾学校に行くことは自分を甘やかすことで、楽をしてはいけないと思っているんでしょうか?

このまま普通学校にいる方が良いか、聾学校に行く方が良いか・・・?それはあなた自身が一番分かっているようですよね。けれどそれを決断することは、自分が負けてしまうようで悔しい・・・。自分との戦いですね。障害はあなたの一部ですから、これからもあなたと一緒です。あなたは今、自分の障害を無視(拒否)しようとしているような気がします。まずは障害を受け入れて、今の自分には何ができるのかを模索して欲しいです。
私は健常者ですが、中学でバスケットボールをやってきて高校でも熱心に練習するあまり膝を痛めスポーツ生命を絶たれてしまいました。実業団に入るのが夢だった私は死にたくなりました。以来20年も悪夢(バスケをやっても思い通りに足が動かなくてシュートも入らない。汗だくで泣きながら目が覚める)を見続けました。夢から覚めても悔しくて悔しくて泣きました。なんで私がこんな目に合わないとならないの・・・?!と。

あなたはまだまだ先があります。普通高校への未練があるのなら、苦しいながらも満足できるまでそこに居てもいいと思います。もしいつか気持ちが切り替わって聾学校に行こうと素直に思えたら、そこで進路変更すればいいんです。
もし自分と同じような境遇の人がいたとしたら、迷い苦しんでいるその人にあなたは何て声を掛けるでしょうか?
5年後のあなたになって下さい。あなたはどう暮らしているでしょうか?そしてその5年後のあなたは、今のあなたに何て声を掛けるでしょうね?
今の苦しい海から出て、丘の高台にあがり見渡して深呼吸したら、あなたのこれからの人生の設計図を考えてみませんか?
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