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輪廻転生について色々調べましたが人は魂の修行の為輪廻転生しているので使命を持って生まれて来るとか、今世は前世の自分が決め前世の影響がかなり影響しているとか、人は人にしか生まれ変わらないとか、人はほかの動物に生まれ変わる可能性もあるとか、ほかの世界に生まれ変わるとか色々な説があります。自分なりにまとめてみると

 ・輪廻転生は魂の修行なのでどんな善人も悪人も人間業を極めるまで人であり続ける。(動物にはならない)
 ・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される
 ・来世はある程度自分で決められる。

簡単すぎますがこのような結果になりました。ポジティブに考えれば夢をかなえるチャンスは人間界にいる限り永遠にある。ネガティブに考えれば課題がたくさんある。

あくまでも輪廻転生肯定派の意見ですがどう思われますか?あと、まだまだ勉強不足なので何かお知りであれば教えてください。

 


 

A 回答 (10件)

>>あくまでも輪廻転生肯定派の意見ですがどう思われますか? 私は肯定派であり保留派です。

まぁ、正確には私は仏教徒ですから輪廻には肯定的ですが、そのころの記憶はないので分からないとも思っています。
 ここでは多くの方々がご意見出されていますので、私は仏教が日本に伝来してから多くの説話と交じり合って創られた人が輪廻するまでの物語を紹介します。

 人は死にますと例外的なものは除きますと、七人の裁判官によって裁判されるようです。その裁判は五戒を中心に審議されるようです。そして裁判官としては閻魔様が有名ですが、閻魔様を含めて七人の裁判官によって裁かれます。それは、
(1)、初七日・奏広王(しんこうおう)
(2)、二七日・初江王(しょこうおう)
(3)、三七日・宋帝王(そうていおう)
(4)、四七日・五官王(ごかんおう)
(5)、五七日・閻魔王(えんまおう)
(6)、六七日・変成王(へんじょうおう)
(7)、七七日・泰山王(たいざんおう)
の七人の裁判官になります。ではその裁判の様子を簡単に説明します。
 
 この七人のうち、(1)の奏広王は三途の川を渡る前に、とりあえずまず最初に書類審査をする裁判官です。裁判を受ける前に説明を受けたりするんでしょうね。

 次に第二法廷は、三途の川を渡った所にある(2)初江王の裁判所です。この裁判所では、三途の川を渡る前に正塚婆(しょうづかのばば)もしくは奪衣婆(だつえば)と呼ばれるばあさんと、その亭主である懸衣翁(けんえおう)が、亡者から剥ぎ取った衣服を衣領樹という木に引っ掛けて、そのしなりで罪の重さを測った資料。また(1)の裁判所からの書類とを照らし合わせて、特に殺生についての審議が行われます。
 ちなみに、正塚婆は閻魔様の奥さんだって話しもあります。会ったら聞いてみたいですね。

 続いて第三法廷は(3)宋帝王が猫と蛇を使って、邪淫(みだらな行い)の罪を裁きます。こういった件に関しては、誰もがあまりはっきり話したくないようで、もじもじしてしまいます。そんなことをしているうちに、邪淫の罪がある男である場合は猫が近づきがぶっと噛み付き、女であれば蛇が下半身から身体の中に入り込み、罪が露見してします。
(私だったら完全に噛まれますね。)

 さらに後、第四法廷は(4)五官王の裁判所です。ここでは言動における悪を量る天秤が置かれていて、亡者を乗せ罪の重さを量る。そうして、今までの書類とてらし合わせ、対外「地獄行き」と判決を下すのが通例のようです。すると亡者たちはあと七日間猶予を請います。今で言えば再審請求というやつでしょうね。

 続いて第五法廷は有名な(5)閻魔王です。地獄のメインロードの登場です。いわゆる閻魔の庁には「浄玻璃の鏡」という、亡者の生前の罪を映し出すテレビのようなものがあります。(そんな物があるなんていやですねぇ。)閻魔王はそれをもって審議するのですが、閻魔王は意外にも慈悲深い裁判官です。遺族の追善供養等を考慮に入れて、情状酌量してくれるケースも多いですね。
 なぜかといえば、インドの神話において閻魔(ヤマと呼ばれています。)はもともとは最初の人間であり、最初に死んだ者であるとされています。彼は最初に死後の世界に到着したからこそ、彼がそこの王になるのは必然であったのでしょう。そこから、いろいろあって裁判官という立場になっていくわけですが、もともとは人間である彼が人間に対して寛大処置を行う理由はそこにあるのかもしれない。

 何はともあれ、次の第六法廷です。(6)変成王は(4)で使われる天秤と(5)で使われる浄玻璃の鏡の審査の報告にもとづいて、審査が行われます。今一度詳しく調べられるんでしょう。

 そして、最後に第七法廷の(7)泰山王による最終的な裁きが下ります。しかし最後の判決といっても、今まで出てきた王たちは仏の世界の幹部であって、本来全員の裁判官は「亡者たちを地獄に送りたい」とは思ってません。そこで、自分で選択させるという判決方法をとります。
 亡者たちの前には六つの門が現れます。門はそれぞれ六道のでこかにつながっていて、亡者たちはどこにつながっているか知らされずにその門を選ばさせるようにします。そして選んだ先が、その人の輪廻の先になるわけです。
 なぜこのような、判決の方法をとるかというと仏教の基本原則には「自業自得(自分の行為(業)にはそれなりの結果を得る)」ということがあります。悪いことをすれば悪い結果を得て(悪因悪果)、その逆に善いことをすれば善い結果を得る(善因善果)ということです。それは誰も逃れることはできないと考える、仏教の大原則がそこには現れているわけです。こうして亡者たちは、次の生へと向うということになっています。
 
 この物語はあくまで日本人の好みの味付けがされた仏教です。けれども、私は「輪廻などのない。死んだら無になるんだ。」というような感覚より、自分自身の死という未知に対する豊かな想像力を感じて好きですね。(日本人好みなんだから当たり前かも)これを簡単に否定しまうよりも、ここから何を読み取るかが大切だと思います。
 
 では質問に入りましょう。
>>・輪廻転生は魂の修行なのでどんな善人も悪人も人間業を極めるまで人であり続ける。(動物にはならない)
 先ほどの輪廻の物語をベースに考えれば、動物になったりもします。仏教では「業(行為)」によって地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の世界に振り分けられます。ただ、この世界は仏教においてはすべて迷いの世界であり、悟りの世界とはいえません。(仏様になってしまえば、どの世界も悟りの世界になるのでしょうが、一般人には難しいですね。) つまり、仏教ではどれか一つの世界だけに輪廻するってことはないと思いますよ。
 
・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される
 使命というか、「業(行為)」の報いは持ち越しじゃないでしょうか。仏教は基本的には「魂(アートマン)」というものには否定的です。じゃぁ、何が輪廻するのか??
 諸説ありますが、一つには「執着」と「業」ですかね。「私はこうあるべきなんだ」というおもいと「今までしてきた行為」がミックスして次の生に行くと言えばいいでしょうかね。唯識思想で言えば、アーラヤ識という入れ物の中にたまった、善いことや悪いことの種が次の生へ輪廻するといいます。その種が、次の輪廻で芽が出て花開くと、善いことが起きたり、悪いことが起きたりします。
 日蓮宗を開いた日蓮聖人は多くの法難に会われた僧のお一人ですが、その法難に対して「私は過去世で悪い王様で仏教を誹謗中傷したに違いない。だから、この法難にあうという事は自業自得にかなうことであり、法難に会えば会うほど過去世の悪業を消し去っているのだぁ」という趣旨の発言をしています。(著作をど忘れしました。すみません。)こう考えますといろんな悲しい事件なんかを見させられる昨今、自業自得の考えと輪廻思想って残酷だなって思うときもありますね。ただ、「過去を反省し、未来を善いものにしようとする」って考えればいいのかなと思っています。
 
>>・来世はある程度自分で決められる。
 「決められる」ということもできます。自業自得ですから、自分に見合った世界に行くわけですから、自分で決めるということはいえませ値。ただ、仏教的な「善」は結構難しいですよ。ちょっとの下心でもNGですからね。(下心のある善は「雑毒の善」とか「虚仮の行」と呼ばれます。)
 まぁ、ちゃんとした修行が進むとどこに輪廻するかまで決められるということもあかもしれませんよ。兜卒天てゆう天の世界には弥勒菩薩ってゆう次に仏様になる人がいるそうです(お釈迦様も昔がここで修行したって噂もあります)。これくらいの人にもなれば、いろいろ修行のために輪廻先を決めていくこともあるかもしれませんね。(このくらい偉い人になると「不退転」といって、悟りレベルは下がって輪廻の中に戻っちゃうってことはないみたいです。輪廻の生が終わるとまた兜卒天にもどるでしょうね。)
 
>>あと、まだまだ勉強不足なので何かお知りであれば教えてください。
 まとめとして親鸞聖人の『歎異抄』の言葉を上げさせていただきます。「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」すべての人々は過去世においての父母であり兄弟であるという言葉です。「あの人は好きだから」とか「あの人は嫌いだから」とか人は判断してしまいがちですが、すべての人は過去世の父母兄弟でありかかわりを持っている人たちなのだから、みんなを大切にできる人になりましょうってことかなっと思います。 
 輪廻思想は宗教や宗派によって違いがたくさんあります。どれか一つをもってこれだってのはないとおもいますよ。そういったものを総合的に勉強することが必要ではないでしょうか。
 
 ながなが、書き連ねましたがこんなところです。急ごしらえのため誤字脱字乱文であるかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。
合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/20 01:31

 ・輪廻転生は魂の修行なのでどんな善人も悪人も人間業を極めるまで人であり続ける。

(動物にはならない)

転生輪廻は前世・今世・来世・来来世・・・と無限に続くものです。
だから今世の続きが来世ですから来世は今世の生き方次第で決まります。
だから人間としての心の自覚があれば当然来世も人間(人霊)ですね。
少し詳しくいえば、来世での人霊は肉体がないので自身の心のままの姿になれます。心が動物の人霊は動物の姿をすることも可能ということですね。殆どは人間の姿をしてまけどね。来来世、つまりあの世の人霊が再び地上に生まれればということですが、人霊であれば人間しかないですね。犬やサルになることはないですね。
それから人霊自体は不死ですから永久に転生輪廻自体はあるでしょうね。何かしないとつまらないからですね。これわかるかな!

 ・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される
 ・来世はある程度自分で決められる。
転生輪廻は前世・今世・来世・来来世・・・と無限に続くものです。
だから今世の続きが来世ですから来世は今世の生き方次第で決まります。ただ来世は、肉体がないので心が先鋭化した世界になりますね。その意味で来世は自身の好みの世界だけれど、好みの世界も何千・何万とありますね。大きく分類すると地獄・天国ですね。どちらかに分類されますね。 大分類の下に何千・何万の小分類があるのですね。全体としてピラミッド構造をしているのはこの世界と同じですね。
数の不思議が理解できない人もいるので追加しておきますと、人霊というのは現代物理学風に言うと、「意思のあるエネルギー」なんですね。エネルギーというのは分割や結合が可能ですね。数が増えるというのは分割して増えるということですね。一部は他の星から来ることもありますけどね。というように摩訶不思議なものですね。摩訶不思議ではあるがわかれば簡単ということですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/20 01:32

わたしは肯定派でも否定派でもなく保留派です。



つまり、神や霊魂の存在も、輪廻転生の事実も、人間の歴史始まって以来、客観的に証明されたことは歴史上、世界中、ただの一例もありません(主観的に証明されたという事例は枚挙に暇がないですが)
もしかしたら、そんなもの存在しないかもしれないのに時間と労力を使って、実際無いと分かったら、それこそ人生の無駄ですから、そのようなことは全て無視することにしています。証明されてから考えればよいのではないですか?

そもそも、人間とその他の動植物とに一線を引かれる理由が分かりません。人間が他の星から、突如現れた生命体なら話は別ですが、地球上の生物における条件というものは全ての生物同じです。違う法則に成り立っているものなどありません。人間も一緒です。

輪廻転生を考える上でわたしがよく分からない点は、
・霊魂の定数はいつ定まったのか?
・地球上の人間の人口は時代によって変化しているが使命を持って、必然性があって転生しているならなぜ、そうした偏りがあるのか?中国に13億人も生まれたのか?
・動植物の魂はどのような法則にしたがっているのか?
それらに対する理路整然とした考え方をお持ちなのでしょうね。

人間は、分からないことは恐怖以外の何者でもありません。ですから、肯定派であれ否定派であれ、自分なりに世界の法則をつくりそれにしたがって動いていると信じて安心させている、その気持ちは分かります。
しかし、間違った努力ならしないほうがましですから、分からないことは分からないまま放っておく強さを身につけることもいいと思います。

最後にひとつ、
人間一人一人に使命があるというのは、個体に主体性があるつまり私たち自身が主役という大前提が必要なのですが、果たして真実でしょうか?
人間に限りませんが、生命の主体が個体なのか種なのかは議論の余地があります。働き蜂を考えてみてください。もしかすると、主役は人間ではなく人類かもしれません。そうなると、一人一人は単なる人類のための道具ですから、個人が霊魂を磨くといった仮説は足元から崩れます。
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なんかダライラマ殿を冒涜している人間がおるようだが、あまりチベットを甘く見ない方がいい。

今回の大地震はチベット神のくだした天罰です。
人間は現世では物理的な肉体を持つ人間の方が行動面では優勢です。キリストみたいな偉大な方が現れても、その時代の民衆が必要としていなければ埋もれてしまいます。現代は唯物主義がはびこっておりますから高貴な魂は降臨するのが難しいかもしれません。かの汚された中国を救うべく立ち上がった宝輪太子ですら迫害を受ける羽目になっています。

中国の地震、本来ならば日本におこる予定でした。ところが神が矛先をかえたのです。中国に対する罰は始まったばかりです。彼らはやりすぎました。不浄の魂がかの大陸に集められているともいえます。今回の天罰は始まったばかりにすぎません。巨大地震はまだまだ続きます。山津波で多くの人が命をおとすとお告げがありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/20 01:31

私の認識している範囲内で回答させていただきます。


魂の修行とは霊波動(この言葉自体正しいのかは分かりません)を高めるためのものです。
霊力が高まれば神の域に近くなり、ある水準より下がれば来世は他の動物になります。

人間は使命を持って生まれて来ます。
そのための親選びが重要であって然るべきところに落ち着きます。
しかし、現世では人は自分の使命を忘れてしまいます。
色々と邪魔をしようとする存在(低級霊や業)もいて足を引っ張ろうとします。

そもそも各自の霊魂というのは、例えば木に生える葉のようにあるものの一部とみられます。
その一部が現世に具現化し、残りの部分から守護霊が発生するのではないかと思われます。
ともかく生に関しては複雑すぎて、現世の人間の理解の及ぶところではありません。

来世は現世でやり残した使命を引き継ぎます。
なお、使命とは色々ありますが根源的なものは神の国の建設の協力、
個人では前世でのカルマの解消になるのが一般的な解釈かと思われます。

私の経験では各自が前世で追い求めた夢も引き継ぎますが、これが使命かどうかは分かりません。
ヒトラーのことを出しておられる方がいますが、多くの人の生を奪うことは
大変なカルマを背負い込んでいるから清算が大変です。

なお、自殺は自己の霊力を引き下げる行為です。
各自の使命も悟らないうちから自殺を望めば、来世も然るべきところに落ち着くのですから、
不幸の度合いがどんどん強まって最後に動物へ転落すると考えています。

一部誤りがある可能性もあることをお詫びして終わりたいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/20 01:30

>輪廻転生は魂の修行なのでどんな善人も悪人も人間業を極めるまで人であり続ける。

(動物にはならない)
あまり聞いたことない意見というか......
仏教系では、畜生に生まれ変わることはありうるし、人口と畜生数を考えれば、
統計上、畜生(おそらく動物全般のことでしょうが、狭義に考えても、犬猫牛馬鶏、養殖魚....)は、明らかに人口より多いから、
人間に生まれ変わる確率は微々たるもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93

あと、輪廻転生した結果、よほどの例外を除けば、「前世のことは覚えていない」
のは間違いない(そもそも、例外があるかどうかさえ、確実な結果(=科学的検証に耐えられるだけの結果)は得られていない)ので

>・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される
上記の結果、
・われわれ凡人には、前世の使命とは何かわからないで行動している。
まあ、これは間違いなさそう。
結局、輪廻転生を信じていても信じていなくても、行動について何も変化が無いし、他人が見分けることなど論外でしょう。

ですので、前世で果たせなかった使命など考えたこともないし、考えてもしょうがないです。
で、死んだ直後に転生するかどうかすら、誰も知りません。
ですから、私(masa2211)が、たとえばヒトラーの生まれ変わりであるのは否定しきれません。
私に、ヒトラーの果たせなかった使命(=武力による世界征服)を成し遂げてほしいの?

あと、「転生するときは、また人間に転生する」「畜生とは、動物全般のことではなく、家畜のこと。」
の問題点ですが、
・20世紀以降、人口は急増している。当然、家畜も急増している。
というのは、統計上否定しようのない事実ですが、
輪廻転生が正しいとすると、これってどうやって説明するのですか?

無理クリ説明するとしたら、
・畜生とはやっぱり動物全般のことである。
  (これは、バクテリアに転生する可能性がむちゃくちゃ高く
、人間に転生する確率は事実上ゼロであることを意味する。)
・死んだ直後に転生するとは限らない。
  (「ヒカルの碁」の、藤原佐為(平安)→桑原秀策(江戸)→進藤ヒカル(現代)みたいな生まれ変わりをする。 まあ、佐為は、あくまで幽霊であり、転生してない。)
・地球外の知的生命体も人類に含める。
  (たとえば、バルタン星人やガミラス人の使命は地球征服。その生まれ変わりの使命は、当然ながら地球征服。じゃあ、こういた人の生まれかわりなら地球征服に邁進していいの?)
なのだよね。

人間以外に転生しないとした場合、
・死んだ直後に転生するとは限らない。
これがいちばんまともな説明ですが、それでも、
人類が発祥して数十万年たったけど、その間、転生した回数は、高々数回である。
それだけ、現代人口が多いということです。

どこをどう考えても、
・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される
持ち越した結果、実現できる可能性はほとんどゼロ。
(数十万年前の使命を今実現したところで、何の意味がある?
 当時の夢は、現在ではほぼ実現できているはず。ただし、失ったものも大きいが、
 何を失うか当時予測できないだろうから、使命として来世に持ち越されない。)

結局、輪廻転生が正しくても間違っていても、だからといって何も変わらないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/18 19:24

>あくまでも輪廻転生肯定派の意見ですがどう思われますか?あと、まだまだ勉強不足なので何かお知りであれば教えてください。



否定派の意見です。

まず、今までどれだけ人が生きて死んだか知りませんが、一人でも輪廻転生したって人 います?
1人で結構です。 誰かいます?


ダライ・ラマ?
でも、あれって勢力争いで人工的に作っただけであって、事実じゃないですよね。

歴代のダライラマは権力争いで毒殺されてきた。
輪廻思想でいけば、前世が悪いことをしたから、毒殺されたってことになります。


結局 宗教と政治が同一なことに問題があると思うんですね。
派閥争いで、自分達が利得を得たいために、地方の子供を調教して、ダライ・ラマに仕立て上げるわけでしょ?
で、敵対勢力に毒殺され、支配権を奪われる。

平和とはほど遠い、権力闘争を昔からやっているわけで、ダライ・ラマはその道具にすぎない。
おもちゃ。

昔あったじゃないですか、子供を将軍にすえて、実際はその将軍にすえた人たちが実験を握っていたって。

社交サロンで表面的な外交をしてもらい、実際国を動かしていたのは、おこちゃま将軍じゃなくて、実験を握っていたバック。
表面上トップのおこちゃま将軍は殺されても、姿を見せないバックは殺されないで生き延び、再び勢力を盛り返す。

そのような権力争いで、下々のものが悲惨な目に合う世界。
これが輪廻転生とするなら、そろそろ そういう ゲームはやめて 真剣に現実の自分の虚栄心と向き合うべきだと思います。


http://209.85.175.104/search?q=cache:2w-qqLdXrX4 …
『1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった』

お? 結構やりますね。 結局物質の力を借りて権力奪回ってわけですね。
でも、それも西側に操られているわけで、アメリカは中国を弱体化したいので、ダライラマを使ってやっているわけだ。
ダライラマはアメリカの工作員なわけで、アメリカにチベットを売ったってわけですね。

アメリカが成功したとしても、ただで済むわけがない。
アメリカの奴隷として死ぬまでコキ使うでしょう。
都合が悪くなれば、フセインのように殺しにかかるでしょう。
アメリカの恐ろしさを知らない平和ボケしたじーちゃんです。

平和ボケしたじーちゃんは、オウムもダライラマに賄賂を渡して、宗教法人を得ていますね。


精神的なものだけじゃ 人は金が無いと権力を得られない、男が権力を得られなければ、それは死である と行動でもって人々に指し示したわけです。

すさまじ オスの本能。
いや 既に動物ですわ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/18 19:23

人は何のために生まれるのか。

それは「究極の愛」の学習のためです。
見返りを求めない「存在の愛」のためです。

イエス・キリストは、インドの地にて輪廻転生を学びました。しかし彼は今生で3年しか伝道活動についやす時間がありませんでした。
そこで彼は「愛」を教えの中心にしました。輪廻まで説く時間がなかったのです。

西洋では、彼はイエス・キリストと呼ばれていますが、東洋では、阿弥陀如来と称されています。ともに、九次元存在です。

日本の天御中主の神様は、紫色(紫外線)をお出しになっておられますが、モーセは、赤色(赤外線)を出しています。御中主さまは、本来悪無しと、唱えられておられますが、モーセさまは、善悪二言論で、今も悪鬼と戦っておられます。天界でもこうなので、結論が出ません。
私は、天御中主さまを応援致します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/18 19:22

輪廻転生にとって、宗派、宗教は無関係です。


たとえば、
ユダヤ人として生まれ、自分が選民だと思い込み、嘆きの壁に幾度もいくども額を壁に打ち続けていた御仁が、今度は、それはそれは貧しいパレスチナの家に生まれ変わって、アッラーと叫び、腹に爆弾を巻いて自爆してしまう。

また、日本人だからといって日本に生まれ変わることもありません。豊富な知識という宝玉を得た人は、より高度な文明の地に生まれます。そして人から動物に生まれることもありません(よほど劣化しない限り)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/18 19:21

この地球系霊団の総霊人口は、およそ440億人とされています。

その方たちが、約3、400年おきにこの三次元に生まれてきます。
この三次元こそが、四次元精霊界より、九次元宇宙界の方々が一同に会する唯一の場所なのです。

この地球に人が住めるようになってから、第一陣としてマゼラン星雲からの移住が始まりました。第二陣はオリオンからでした。

そのころの地球の大半は、海中に没しています。それ以前も、この先でも、人は何億年にも及ぶ、無限の進化、転生を繰り返していきます。たとえ太陽が役目を終えたとしても、また以前もそうであったように、他の惑星へと旅立って行くのです。

植物にも輪廻転生があります。そこは四次元精霊界と言われ、植物にとって天国のような所です。原則として、人は地獄界から生まれることは許されていません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/18 19:20

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