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最近、殺人事件の裁判などのニュースで「被害者遺族の感情を反映させるべき」というフレーズをよく聞きます。
実際に家族に愛されていた被害者が殺された場合、それはもっともなことだと思います。
でも、秋田の連続児童殺傷事件や渋谷の医師家族の事件など、被害者が生前から家族に愛されておらず、犯人が家族の場合、つまり、被害者の無念さに遺族が無関心な場合、量刑は軽くなるという意味なのでしょうか?

殺人の厳罰化は犯罪抑止力を狙ったものと聞きますが、それでは死刑にされたくて無差別殺人をしたいと考える変質者が、大阪池田小事件の犯人のように生育歴や家族環境に恵まれていない場合、かえって「自分がもし殺されたら、死んでからも差別されるのだから」恵まれた人を何人か道連れにしようなどと考えたりしないでしょうか?
たとえば裁判やニュースで、被害者が家族に愛されているようすのビデオやエピソードを流すのは、「この子が5分間で与えられた優しさは、自分が数十年生きてて体験した分よりはるかに多いんだから、もう殺したって元が取れてるだろ」と変質者の論理で考えたりしないでしょうか?
色んな事件のニュースを見ても、被害者遺族の感情にスポットが当たる事件ほど、犯人がよけい攻撃的になっている気がして、ちょっと心配になりました。

A 回答 (5件)

被虐待児の知り合いが何人かいますが。


そもそも、こういう場合は常識が通用しません。

>恵まれた人を何人か道連れにしようなどと
>犯人がよけい攻撃的になっている
ありえないことではないと思います。

しかし、実際はもっと奇妙な現象が起こりえます。
理屈から言えば、親が加害者の場合、赤の他人が加害者であるより罪は重いはずなのですがね。少なくとも、親は保護者なので、保護する義務を怠って虐待するわけですから。
秋田の例でもわかるとおり、こういう場合の親は、自分が悪いのではないと証明するためには何でもします。子供は誰にも守ってもらえないわけです。だから安易に「命の尊さを教えなければ」などというのは、「お前の命はどうでもいいから、他人の命は尊重しろ」という意味になるかもしれません。
また、秋田の例で殺された女子は、それでも母親を慕っていたわけです。被虐待児は、悪いのは自分だから、と親をかばうことが多いのです(子供自身、本気でそう思っている)。鬱病などになって、自殺する危険も高いわけです。

今後は裁判員制度で裁かれる可能性が高いと思いますが、常識が通用しない以上、公平な判決は難しいと思います。
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#3です。


このような感情論はすべて例外なく「国民感情を取り入れて」と説明され、誰もそのことに責任はとらないのです。
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私は、法律的に詳しくはないので間違ったことを言っているかも知れませんが、単なるマスコミの情報操作ではないでしょうか。



最近の裁判員制度に関連するニュースを見ていると(裁判員に選ばれた場合)普通のおばさん(?)が「私だと情に流されやすいから」など、感情論で判断することがさも優しさの象徴でもあるかのように報じられています。

しかし、死刑になりそうな人の方が普通は1番必死でしょうから、これは逆の効果を生むとも考えられます。

このように今のマスコミは、面白おかしくするために「感情論」を平気で取り入れて報道しますので、それに流されない確かな意見を国民が持つ必要があるでしょう。
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補足:



> 量刑に「被害者遺族の感情を反映させるべき」という発想自体が、なんだか問題を誤摩化して当局の責任や司法制度の欠陥から目をそらせるミスリーディングにしか思えないんですけどね。

言い忘れてましたが、「被害者遺族の感情」を本当に尊重するなら、もっとも責められるべき、行動を改めるべきは、実は大多数のマスコミです。ほとんどの被害者遺族が、マスコミの取材の殺到のせいで癒されようもない心の傷を溜め込み、極端な話、フラッシュやライト、あるいはテレビのニュースを見ること自体が、それだけでPTSDの症状が出るきっかけになるほど、報道陣に傷つけられています。

実際、普通の常識的な感覚でも、「どんなお気持ちですか」なんてよくそんな下らない、無意味なことを聞けるもんだ、とも思いますし。

まだ捜査中の舞鶴市の女子高生殺害事件では、お母さんがマスコミ相手に非常に礼儀正しいながらも厳しい声明文を出しておいでですね。その声明文を報道するなら、少しは自分たちの反省も口にしてほしい気はしましたが。近所迷惑だからうちに取材に来るのは遠慮して欲しい、というのはなかなか厳しい一言でした。自ら「いちばんかわいいと本人が言っていた写真」を提供したのも、娘のことがいたずらにマスコミに貶められることを警戒なさってのことでしょう。
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そもそも、量刑に「被害者遺族の感情を反映させるべき」という発想自体が、なんだか問題を誤摩化して当局の責任や司法制度の欠陥から目をそらせるミスリーディングにしか思えないんですけどね。



http://www.navs.jp/

遺族としては必ずしも厳罰化を望んでいるわけではなく、むしろ被害者遺族ですら裁判を傍聴できなかったり、傍聴席に遺影を持ち込もうとしたら拒否されたとかの見るからに理不尽な扱いはもちろん、犯罪被害者のケアというものがほとんどなかったことが、よほど大きな問題ですし、そうした被害者側の権利獲得運動の重要人物だった本村洋さんの、死刑判決後の記者会見でも、必ずしも死刑つまり自分たちの感情を満たすために犯人が殺されることを望むと考えていたわけではないことが、言葉の端々から出て来てましたね。

犯罪被害者の「感情」というものはあまりに無視され続けるか、適当にあしらわれ過ぎて来ていますが(決して「厳罰化」や「死刑判決」でいやされるものではありません)、いくつか重要な本は出ていますので、ぜひお読み頂ければと思います。

『アンダーグラウンド』村上春樹 *地下鉄サリン事件被害者の証言集
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b …

『ここにいること』高橋シズエ *地下鉄サリン事件で亡くなった国会議事堂駅前駅助役・高橋正一さんの未亡人の手記
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0228830/top.html

高橋シズエさんのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/whitecat12browncat12

高橋さんは光市母子殺害事件の遺族本村さんと並んで、被害者の権利獲得の運動の中心的/象徴的な人物です。

『淳』土師守 *酒鬼薔薇事件遺族(お父さん)の手記
http://www.shinchosha.co.jp/book/133031/

『心にナイフをしのばせて』奥野修司 1969年に起きた高校一年生が同級生を殺害した事件の遺族に徹底取材したノンフィクション
http://www.yomiuri.co.jp/book/author/20060905bk0 …

とくに『アンダーグラウンド』と『心にナイフをしのばせて』は、日本文学史上傑出した作品でもあるので、お薦めです。いかに「被害者」であることが地獄であるのか、ということにおいて。また多くが「被害者遺族」であるのに対し、『アンダーグラウンド』は被害者当事者であることの違いも興味深いです。

> 殺人の厳罰化は犯罪抑止力を狙ったものと聞きますが、

…と死刑肯定派は主張するんですが、死刑を廃止したとたんに重大犯罪が増えたという統計データは、とくにないので、「犯罪抑止力」に関しては専門家のあいだではかなり否定的です。むしろ宅間守死刑囚など、「死刑にされるためには何人殺せば」みたいな動機を自白する殺人犯は多いですね。

それを「死刑にされたくて無差別殺人をしたいと考える変質者」とおっしゃりたくなる気持ちは分かりますが、常識で考えても、あるいは心理学の基礎知識があれば誰でも気がつくように、そんな理由で人は人を殺したりしません。「死刑にされるためには何人殺せば」みたいな動機というのは、ただ犯人のなかには自分の気持ちを説明できず(またそう簡単にできるわけもありませんが)に、ヤケになったりしてそう言っただけです。

> でも、秋田の連続児童殺傷事件や渋谷の医師家族の事件など、被害者が生前から家族に愛されておらず、犯人が家族の場合、つまり、被害者の無念さに遺族が無関心な場合、量刑は軽くなるという意味なのでしょうか?

渋谷の歯医者の家の事件で「遺族感情」は判決の理由にそもそもしないでしょう。秋田の事件ではむしろ殺されたご近所の坊やの方の遺族感情は考慮するだろうと思いますが。

どちらの件も一方で被告の責任能力が争点になるようですが、とくに渋谷の医師家族の事件は、精神障害ないし重度な人格障害による心神喪失を認めざるを得ないのではないかと思いますし、むしろその動機というか心の闇が詳細に解明されることの方が重要に思えます。

ちなみに少年事件ですから刑事罰の対象ではありませんし、いろんな問題で入手困難になってますが、

『僕はパパを殺すことに決めた』
http://www.kodansha.co.jp/emergency2/report.pdf

ここまで情報が出て来るといろいろ考えさせられます。書籍としての完成度はかなり低く、最後の方はずいぶんいい加減なこじつけにしかなってませんが…。
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