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愕然としたりした時や悲しい時など、
精神的に追い詰められたりしたりすると
時として笑ってしまうことがありますよね。

あれって、何故なんでしょう?

実際は、嬉しくもないし、楽しくもないのに、、、、、、、、どうして?

A 回答 (6件)

いろいろな理由があるかもしれませんが、一つには「悲しいときに悲しい表情をすると、心の底から悲しくなってしまうので、それを避けようとして笑う」というのがあるのではないでしょうか。



多くの人がそのようにして笑った経験があるだろうと思うのですが、それではどうして「悲しいときに心から悲しい」と素直に認めることができないのでしょう。

人間は成長していく中でさまざまな出会いを繰り返し、社会の中で自分をどのように表現していけばよいのかを学んでいきます。その中で「まわりに会わせる」方ばかりに天秤が傾いてしまって「自分の素直な気持ちを受け入れ、表現する」ことができなくなってしまうと、顔の表情と心の中身が違った人になってしまいます。

多くのカウンセリングの理論では「自分の気持ちを素直に表現できるようになること」を一つの目標にしていますが、それくらい本当の自分の心を表現できない人々がこの世の中にはいるのですね。

現実の生活では時と場合に応じてさまざまな役割を果たさなければならないように、いつもいつも「ホンネで素直な自分」で過ごせるとは限りませんが、時には「笑えて来るくらい悲しい」自分の中の「悲しい気持ち」に意識を集中して、思いっきり悲しんでみるのも大切なようです。仮面の笑いに隠された「ホンネ」を思いっきり感じてみる。するとそのあとで、気持ちがすっきりすることが多いようですよ。
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この回答へのお礼

やはり、自己の精神を守る為の防衛機構のひとつの現れと見て、よさそうな気がしますね。

『多くのカウンセリングの理論では「自分の気持ちを素直に表現できるようになること」を一つの目標にしていますが~』

これは、考えさせられました。
僕もなんとなく、そんな気がします。

HTsumakuraさん、どうもありがとございました。
(説得力ありました。)

お礼日時:2001/06/14 22:10

 おかしくて笑うとは、ごく日常的な常識の崩壊である。

と言う定義を聞いた事があります。確かに極端な所で、「箸がこけても笑う」と言うこともありますし。
 んで、よくテレビなんかで出てくる、恋のドキドキ感と恐怖や緊張のどきどき感が似てるのを利用すると言うテクニックがありますが、それと同じように「ごく日常的な常識の崩壊」と「精神的に追い詰められた状態」は、「こうあるべきすがた(理想)」が、崩壊している点で似ていると思います。
 ヤナ事をロマンチックなことに例えましたが(笑)。
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この回答へのお礼

『崩壊』という言葉が出てくると、
なんだか途端に怖くなってしまいますねぇ。(笑)

『おかしくて笑う事』から考えて見るのも、良いアプローチですねー。

nekoucchaliさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/08/09 22:31

誰でも、愉快な・楽しい・気持ちいいときに笑った経験があります。

極端に苦しい状況に追い込まれたときは、なんとかそれを解消しようと試みて、「楽しかったときの状況を再現してみたらどうだろう」と無意識が判断するのではないでしょうか。
もうひとつ。「笑い」の正体はまだ明らかになっていないようですが、「緊張からの解放である」という有力な説があります。謹厳な紳士が登場する→緊張・バナナの皮で転ぶ→解放、というやつです。追い詰められたときは極端な緊張状態なので、それを解放しようとして笑おうとするとも考えられます。
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この回答へのお礼

やはり、緊張を解かんとする自己防衛のようなものですかね。

ただ、『「楽しかったときの状況を再現してみたらどうだろう」と無意識が判断するのではないでしょうか』というのも面白い方向性の考え方ですね。

nutsさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/08/09 22:27

あれはどうも日本人特有のものらしいと、昔国語の教科書に書いてありました。

やっぱり日本人ならではの、遠慮深さだのなんだのが少なからずいろんな場面で影響しているんでしょうねぇ。
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この回答へのお礼

へぇ、そうなんですか。

あれが日本人に特有のものと教科書に書いてあったとは。
なんの教科書だったんですかねー。

peitaさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/06/14 22:13

一つは脳内の情報混乱による不適切な動作、というのもありますが・・・。



心理的には、防衛機制といって、心が危機に陥ったときにとる回避行動の一種でしょうね。
心的エネルギーが許容量を越えたときに、心の中の動き(嘆き・悲しみ・怒りなどなど)では消化しきれず、身体行動に出てしまうのです。

そのときには、必ずしも心の動きと同じ方向に動くとは限らないのです。

こうやって人は「自己」を維持しようと行動するといわれています。

例:親しい人が死んで、葬式では超人的に仕切って応対もしてたのに、終わったとたん「うつ病」になった。

すみません、あまり答えにならなかったですかね。
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この回答へのお礼

ひとつの防御反応なんですかね。

「自己」の維持ですか、、。(ーー)う~ん

buranさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/06/14 22:05

むか~し、むかしちょっとかじった心理学の記憶からですが、


動物は精神的に追い詰められると精神の安定を維持するために『キレる』のだそうです。ある時は逃げ、戦い…。その表現は主に喜怒哀楽に変換されます。感情が制御不能になるのでどの顔をしていてもかまわないそうです。
嬉しいのに泣いてしまったことありませんか?同じことです。
無理にでも笑うことで心のマイナスをカバーしようとするのかも知れません。
また、笑うと泣くが同じ効果をもたらすとする人もいます。
思いっきり笑う、思いっきり泣く。あとはどちらもさっぱりしませんか?

どこまで信じるべきかは分かりませんが…中途半端な回答でごめんなさい。ザル頭なもんで…
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この回答へのお礼

キレル、のって精神の安定に役立っているのですか。

感情が制御不能になる・・興味深い表現ですね。

色々な可能性があるのですね。

tez3さん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/06/14 22:03

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