応仁の乱について
1467年に起きた「応仁の乱」につきまして、「応仁」とはそもそもどういう意味なのかを現在調べている処なのですがイマイチよく分かりません。そこで皆様の知恵を拝借したいと思います。質問が重複していたらすいません。
回答(5件)
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No.5ベストアンサー20pt
ANo.4 重複質問で削除されたので、書き足します。(読み下し)
仁之感物、 〔仁、之れ、ものに感じ〕
物之応仁、 〔物、之れ、仁に応じてあり〕
若影随形、 〔若し、影にても、形なるに随いてあれば〕
猶声致響 〔なお、その発する声も響きを致すならん〕
この回答へのお礼
読み下ししていただき誠に有り難うございます。まさにこの意味を知りたいと思っていたので大変参考になりました。ありがとうございます。
http://kikitai.teacup.com/qa4087469.htmlのANo.1さんの読み下しからは理解しにくいので、浅学ですが私の読み下しを書きます。もちろん仁とは聖賢君主の政治の理念で、宇宙の基本原理の平和と思いやりのことですが。
仁之感物、 〔仁、これ、もの(大事なこと)に感ずること〕
物之応仁、 〔物、これ、仁に応え、対応していくいくこと〕
若影随形、 〔若し(もし)、影が本当の存在である、そのかたち
の通りでにしていくならば〕
猶声致響 〔なお、発する声の響き、そして施政の令も致さるならん〕
No.3ベストアンサー10pt
応仁の乱の「応仁」は他の方の回答通り、単に元号ですが、出典は唐の高宗の皇后で、中国史上唯一の女帝として武周王朝をたてた女傑、則天武后の著書「維城典訓」で、その中に書かれてある、「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」と言う文から取ったものです。 この文の意味については、漢文に詳しい方に聞いてください。
この回答へのお礼
ありがとうございます。中国の文献から引用しているのですね。大変参考になりました。ありがとうございました。
応仁元年(1467)に始まったのでその名前が付いてるだけだと思います。元号がなぜ応仁なのかということなら、私には分かりません ^^;
この回答へのお礼
ありがとうございます。元号から引用した事までは調べたのですがその先の由来に現在苦戦しております。
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