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初めまして。
早速質問を御願いします。
質問は
「蟻を擬人化したならば、彼らはどのような神を信じるでしょうか?」
です。
(蟻と言っても様々な種族がありますが・・)

最近、人間の文化論の本を読んだのですが、
それによると、地域によって信じられる神々・神話の体系は、
その土地の気候風土や、社会の生産体系に大きく依存するとのことです。

外部環境が同じであれば、必ずしも同じ神々・神話の体系が信じられるいうわけではないのでしょうけど、
幾つかの値には収束するのではないかと思い、
ならば、人間ではなく蟻という環境ではどのような信仰が取られ得るだろうと思って質問しました。

例えば、行動範囲が二次元的であるところや
嗅覚が非常に発達していると思われるので、嗅覚的なビジョンを持つであろうとか
女王蟻を絶対崇拝するであろうことや、
共産主義的な生産体系や、子孫の育成のシステムや・・・

そんな彼らの環境から、「彼らならこういう神話を信仰するだろう」というのを教えてください。

A 回答 (3件)

 まず、蟻という生物は、生殖能力を有する女王と、生殖能力を有しない働きアリ、生殖能力と飛翔能力くらいしか有しないオスアリ(季節限定で産みだされる)からなっているわけですが、働きアリは女王アリの不妊クローンな訳で、われわれにとって群れのように見えるこのシステム自体が一つの個体であるとも考えられ、女王というとまるでヒエラルキーの頂点であるかのように思われがちですが巣のなかにおける生殖部門を受け持つ臓器で働きアリは手足のようなものだったりするんです。


 と、なると群れ-巣そのものがわたしたちにおける個となってしまう訳です、と、なるとわたしたちにおける宗教に当たるものは、種そのものにまたがる概念とならねばならない、ということになり、種そのものが対峙する不可知で不可避で不条理ななにかに対して納得するための方便を『神』とするのなら──。
 (総ての種ではありませんが)アリの巣に住み着き、アリマキのようにアリの好む物質を分泌しアリに与える代わりにアリに世話をしてもらうというシジミチョウの幼虫などはその大きさもあって、案外彼らにとって『神』っぽい存在なのかなとも思われますし、別のシジミチョウの幼虫は臭いでアリに偽装しアリの卵や幼虫を食うというものもいるくらいで、これなどは余計に『神』っぽい気もしますね。
 アリとシジミチョウの幼虫
 http://ta440ro.blog.shinobi.jp/Entry/273/

 戯言ですが──ある日、神はわれわれの上にその巨大な姿を顕わし巨大な柱で我々の隊列を打ちのめし、それでも贄が足りぬとばかりに大洪水でもって我々にさらなる苦難を与え、我らはただひたすらに神に許しを乞うた、乞いつづけた。やがて神の怒りは収まり、許しの徴として神は我らに山のごとき巨大な甘露を与えたもうたのだ。
 なーんて具合に人間の子供を見ているかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
そうなんですよね。
社会というシステム、個というシステムが、ホモサピエンスとは全く違います。
そのため”神話”の適用範囲が違う・・・全くご指摘通りです!

染色体の伝達系統も全く違います。
「利己的な遺伝子」を支持するとしても、蟻や蜂はむしろ「死んだほうが」自らの遺伝子を残すのに有利な場合すらあります。
そうすると彼らの狂戦士っぷりは半端じゃないはずです。

そうすると、苦痛や痛みがどのように解釈されるかで、
>対峙する不可知で不可避で不条理ななにかに対して納得するための方便
この生活への脅威--『神』--が何であるかも変わってきます。

いやぁ、面白いです。

お礼日時:2009/06/14 11:28

 「蟻を擬人化する」ということが「蟻に人格を持たせる」という意味ならば、それらは蟻としての社会システムを失って、速やかに絶滅することでしょう。

つまり信仰など持つ余地はありません。
 「蟻と類似点のある社会システムを持つ人間を想定する」という意味ならば、それは信仰なくしては成り立たないでしょう。つまり、社会システムの上に信仰が形成されるのではなく、信仰によって社会システムが形成・維持されるということです。その場合、女王の神格化は恐らく必須で、その神は自らを崇めない者に罰を下し、崇めるものには死後の天国行き等の褒章を与えて、つまりはアメと鞭でもって支配力を持つのだと思われます。
 少々仮定に無理があると思われます。蟻は蟻であるからこそその社会システムを持つのですから。擬人化したら、それはもう蟻の特徴を持たないただの人間だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
そうですよね~。女王蟻は絶対化しそうです。
その絶対性は、我々人間のいうそれよりも遥かに及びがつかなそうですね~。

蟻社会で、かつて一般蟻が女王に反抗をくわだてたケースはあるのでしょうか?
歴史にそれがないのであれば、もはや女王は現人神という次元ですらないですね。

そうですね~。動物を擬人化はできません。(笑
幾つかの要素をあえて誇張してシミュレーションするだけですね。
ソフトSFです。

お礼日時:2009/06/14 11:19

面白い発想ですね。


無知な私の回答ですがよろしいでしょうか?

彼等の神はコンピューターだと思います。
私の感覚だと、昆虫は生物というカテゴリーに属してはいるものの、どこか機械的な印象を受けます。
全ての行動がプログラム上の対応のように思えてしまうのです。
例えばバッタなとかまっていると、逃れようとしてはいても、それが感情を伴ったものではなく、状況による反射として処理しているだけのように感じます。
そしてまた脚が簡単にもげたりする。
人間が脚を失ったら危機的状況ですよね? にもかかわらず奴等は平気な顔していますから。
そんな昆虫のなかで蟻や蜂などは、集団というシステムを形成する個々のプログラムに思えてなりません。
そういう形態の最高峰にあるのがコンピューターだからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
メカ的行動の究極というわけですね。

確かに蟻ともなると、
個体でどの程度の思考力があるのかという気がします。
むしろシステムが立ち上ってくるのは集団になってからで、集団の一定段階から相転移して思考が見え始めるのではないかと・・。
いやその思考のOSフォーマットが神話であるわけで・・あれ?
なんだかよくわからなくなってきました。(笑

あのスケーリングだと、有機体であることのアドバンテージ・ビハインドもわからなくなってきますね。
コンピューターは完全な無機物であるわけですが・・。

お礼日時:2009/06/14 11:14

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