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三国志演義の内容と事実が異なる部分について

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  • 質問者:agl-bt
  • 投稿日時:2008/06/22 23:16
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 三国志演義が、史実と異なる話というのは知ってるのですが、具体的(個別)に何が違うのかを教えて欲しいです。
 そういった本があるとか、そういったことを紹介しているサイトがあるでも良いです。また、皆さんの知っている知識を教えて下さることでも結構です。
 ただ、学術的な、演技と史実の違い等の説明をしていただく必要はありません。そういったサイトは多々ありますので・・・
 例えば、呂布は最強の武将ということになっているが、実は・・・的なことを聞きたいです。
 よろしくお願いします。

この質問への回答は締め切られました。
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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:shigure33
  • 回答日時:2008/06/24 05:42

 三国志演義・後半の主人公とも言える諸葛孔明
 演義では鬼神や天候をも操り、敵の意図を全て事前に察知し、天文をもって人の生き死にを知る事が出来ると言った完全無欠の天才軍師です。
 でも三国志(演義ではなく史書の方)の著者の陳寿は…政治家としては一流でも軍人としては疑問符が残る…と評しています。

 赤壁の戦いで諸葛亮は演義の方では、10万本の矢を集めたり祈祷して東南の風を吹かせたりとかなり活躍します。
 でも史書では劉備の使者として孫権の元へ行った程度の事しかしていません。

 また劉備死去後の北伐も、魏との国力の差を考慮すれば無謀かもしれません。蜀漢の疲弊させただけかも。

 
 
 
  

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この回答へのお礼

 shigureさんのような回答が沢山くると思ったのですが、全然回答がなくとても残念でした。
 史実との違いを知ろうとすること自体が間違いだったのでしょうか?
 回答ありがとうございました。

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  • 回答者:tanuki4u
  • 回答日時:2008/06/23 00:43

コミケで売っている同人誌と、その元ネタとなっているマンガの違い。
その程度かと思います。

つまり 出てくるキャラクター名がいっしょなだけで、別物

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この回答への補足

 さっそくの回答ありがとうございます。なので、具体的にはどうだったのかと言う事を知りたいのですが・・・
 NO1さんとNO3さん(どちらかと言えばNO3)的な回答を希望しています。
 tanuki4uさんの知っているエピソード等がありましたら、また回答していただけるとありがたいです。

この回答へのお礼

 追加で回答いただけると思ったのですが、回答が無い様なので、締め切ることにします。
 正直なところ、私の意図するところと違う回答をしていただいて、困惑しました。
 Tanukiさんとしては、どういった意図で今回回答をくださったのか、理解できません。
 しかし、私のために貴重な時間を使い回答していただいたことには感謝しています。ありがとうございました。

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No.1ベストアンサー10pt

  • 回答者:caesar-x2
  • 回答日時:2008/06/23 00:25

簡単に言えば、面白い部分は全部フィクションです。

演義にはかなり妖術・道術が登場しますが、
そういうところはもう完全なる創作。
出来すぎた計略とか策略の話もほとんどフィクション。
正史の記述はもっと淡白。
紀伝体なので、各項は該当人物の性格・人となりをあらわすエピソードが中心となり、
戦闘場面の描写は全体からいって特に少ないので、
戦闘シーンの大半も創作というか演出です。
結果だけは史実に沿ってるけど内容は虚構。
あと演義の主役や主な登場人物、配役は、
儒教思想に合うように変更されている。
儒教論理と仁義思想でストーリー全体をまとめているので、
要するに歴史はバックグラウンドとして利用されているだけ。
史実と異なるところはどこかというか、ほとんどは史実とは異なるのです。
三国志演義は、明の時代に羅貫中が書いた歴史小説に過ぎません。
日本で書かれた三国志ものは、要するに、この小説をベースにした
三次ないし四次出版物。

ちなみに演義をよく読めば、最強の武将が、呂布だけではないことがわかります。名馬もたくさんでてくるし。
演義は各話ごとに構成されているので、全然関係ない話で登場する人物同士は、
比較すらできません。これは水滸伝なんかでもそうです。
水滸伝の場合、強いやつがいっぱい出てくるけど、簡単に負けたりもするし、
全然ぱっとしない宋江なんかに心服してしまうし、
誰が強いかなんか意味がないことがよくわかります。
現実の話では、一番強いのは誰かなんて、まじめに考えれば、ありえない話です。
往時のモハメド・アリ、ジョー・ルイス、マイク・タイソン・・・
誰が強いかなんか図れない。
マッチ形式でやれば、ある試合ではどっちかが勝つかもしれないが、
また別の試合では逆がかつかもしれない。
勝敗は時の運ともいいます。勝ち負けで単純にどっちが強いかなんていえないのです。
そして演義に描かれる一騎打ちなんてのは、どだいフィクションであり、
空想の産物。
これは多数の人間が戦う戦闘描写をする代わりに、武将と武将の個人の戦いであらわしている
一種の象徴であって、講談あるいは京劇スタイルの簡略化された
戦闘表現に過ぎない。様式化されたものです。演劇・文学というのはだいたいそういうものです。
それを真に受けるのもまた間違いです。作品として楽しむのはいいのですが。

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この回答へのお礼

Caesarさんのおっしゃる意味はとてもよくわかりました。そういったところを前提として、個別具体的にどこが違うかということを知りたかったのですが・・・
 というよりも、演義は全く別物ってことなのでしょうか?諸葛亮は、実は武将として活躍していたとか・・・
 回答ありがとうございました。

  
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