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皇統から外れてしまった、天皇の血を引く男系男子となると、何代くらい離れた方がいるのでしょうか?
旧竹田家など実名で活動していますが、名前など公開しているものなのでしょうか?

A 回答 (5件)

私も以前同じことを考えて調べていました。



結論から言うと ANo.1 さんの言われる通り、室町時代に分かれた伏見宮の系統の旧宮家が、皇室といちばん近いということになりますね。

ただ、臣籍降下した皇子を対象範囲とすると、皇別摂家の子孫である旧華族は、後陽成天皇の男系子孫ということになります。

醍醐侯爵家 後陽成天皇-一条昭良-醍醐冬基→

「宮廷公家系図集覧」によりますと、前当主?が昭和52年卒となっており、現当主?はその弟のようですので、既に代替わりしているのかもしれませんが、実子で血が受け継がれています。

また、近衛公爵家の分家の男爵家も、現在のご当主が作曲家近衛秀麿からの実子相続なら、後陽成天皇の男系子孫です。
ちなみに本家のご当主は近衛文麿の外孫であり、細川家からの養子相続のようです。


以下は蛇足ですが、世代を遡って調べたものです。後南朝やご落胤は除きます。

閑院宮  光格天皇の実家       断絶
鷹司家  輔平が東山天皇孫※     幕末に断絶し九条家より養子相続
     ※東山天皇―閑院宮直仁親王―鷹司輔平
桂宮   6代文仁親王が霊元天皇皇子 断絶
有栖川宮 5代職仁親王が霊元天皇皇子 断絶
西園寺家 公潔が霊元天皇の孫の孫※  早世し一代で断絶。西園寺家は元の血統に戻る
     ※霊元天皇―有栖川宮職仁親王―織仁親王―韶仁親王―西園寺公潔
近衛家  信尋が後陽成天皇皇子 近衛文麿の子文隆までは実子相続
一条家  昭良が後陽成天皇皇子 3代で断絶し鷹司家より養子相続
広幡家  初代忠幸が正親町天皇曽孫※だが、一代で断絶し久我家より養子相続
     ※正親町天皇―誠仁親王―桂宮智仁親王―広幡忠幸

なお、直系の血は途絶えていますが、更に古い例としては、下記のようなものもあります。

英彦山座主
後伏見天皇の皇子である圓滿院長助の子孫が代々英彦山座主を継承していたが、江戸初期に断絶し他家より養子相続となる。

木寺宮
後二条天皇から5代続いたのは確実。江戸初期の高家・大沢基宿の母が「木寺宮姫宮」とされており、その頃までは続いていた?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
南北朝時代に成立した旧宮家、あるいは江戸初期の皇別摂家となるわけですね。
それにしても、男系の血を残すってすごく厳しいものなんですね。
まあ普通に考えると、現在の皇位継承権者の次に考えられそうなのは、旧宮家になりそうですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/27 17:21

ANo.3 です。

度々済みません。
余計なお節介かもしれませんが、少し気になったもので、補足とURLを貼っておきます。

<男系の血を残すってすごく厳しいものなんですね

血を残すだけなら、そこそこ居るのです。
血を残すだけではなく、家を実系で途切れずに継承するのが難しいのです。
http://www.eonet.ne.jp/~yanaken/miyasama/keizu7. …
にこの件にうってつけの、スグレモノの系図が載っています。

例えば、東山天皇の孫の鷹司輔平の子孫ですが、鷹司家自体は ANo.3 にも書いたように幕末に断絶し九条家より養子相続になっていますが、庶子が他家の養子となり、その子孫がまた別の家の養子となり‥で、多数の旧華族に東山天皇の血が男系で継承されていることが分ります。

ANo.3 でも触れた英彦山座主家は明治以後は鷹司輔平の子孫が養子となり高千穂男爵家となります。
・東山天皇―閑院宮直仁親王―輔平→鷹司家養子
・鷹司輔平―政煕―政通―公純→徳大寺家養子
・徳大寺公純―実則―宣麿→高千穂家養子
血を残すだけなら、本家が断絶しても分家や養子先に血は継承されるのです。
このように、血を受け継ぐだけでなく、家を実系で途切れずに継承するのが難しいのです。
その意味で、天皇家が古代から皇族外からの養子なしで続いているのは驚異的です。
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この回答へのお礼

確かに語弊のある表現でした。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/08 16:56

平成17年の時点で一番若い世代は、明治天皇の来孫(5世代)にあたる世代が3人いるそうです。

(わかりやすく言う為に明治天皇の来孫と書きましたが、厳密に言えば明治天皇の来孫ではない人も含んでいます。勿論、旧皇族です。)
とりあえず、旧皇族については、こちらを・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9A%87% …

戦後、皇籍を離脱した11の宮家のうち、平成17年の時点で、すでに3家が断絶し、3家が後継者がいない為に、これから断絶してしまうかもしれないという事らしいです。
また、残りの5家において、明治天皇の玄孫(4世代、年齢的には20代から40代)にあたる世代で、男子が13人いるそうです。そのうち8人がまだ独身だそうです。(上記の来孫と同様、厳密に言えば明治天皇の玄孫でない人も含んでいます。)
内訳は・・・
賀陽家・・・1人
久邇家・・・3人
朝香家・・・1人
東久邇家・・3人
竹田家・・・5人
こうした旧皇族(宮家)の人達の名前は結構、あちこちの文献で紹介されています。
また明治天皇の玄孫にあたり、よくマスコミに出てくる竹田家の竹田恒泰氏は、戦後に皇籍を離脱した人達についての本を出しています。
「語られなかった皇族たちの真実」

http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%9E%E3%82%89%E3%82 …

この本の中にわかりやすい系図(戦後、皇籍を離脱した11宮家と天皇家の関係がわかる)が載っています。皇籍を離脱した方々とその子孫(男子)の名前もわかりますし、一部の方の勤めている社名も記述されています。
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この回答へのお礼

お返事遅れてすいません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/08 16:53

公家源氏の嫡流の家(源氏の氏の長者の家、後に武家源氏に奪われますが、大政奉還後再び戻ります)は、理屈から言えば「皇統から外れてしまった、天皇の血を引く男系男子」です。


実際、一度臣籍降下して源氏となった皇子が、天皇になった例もあるくらいです。これが宇多天皇で、臣下の時の姓名は源定省(みなもとのさだみ)と言っていました。

そして、村上源氏は源氏全体(嵯峨源氏・任明源氏・文徳源氏・清和源氏なども含めて)の氏の長者ですから、そこから分かれた唐橋・堀川・久我・六条・土御門・中院・北畠は全て「皇統から外れた天皇の血を引く男系男子」の家柄の嫡流といって間違いないでしょう。

若い方だとご存じないでしょうが、戦後すぐの女優に久我美子(こがよしこ)という人がいました。この人は、村上源氏の嫡流のお姫様ですし、当然今もその家は続いています。

で、村上天皇から出た源氏の初代は源師房で、およそ1000年前です。代の数までは分かりませんが、30年一代とすると、35代程度はあるのでは?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
もちろん武田家などもそうでしょうね。
ただ、いくらなんでもそこまで遡らなくてもよいのではないでしょうか?

補足日時:2008/06/27 03:11
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確実なのは旧宮家くらいじゃないかなぁ.


現在まで断絶せずに残っている旧宮家は全て伏見宮流です. 現在の皇統も伏見宮から出ていますが, 伏見宮家から後花園天皇が出たときにわかれていますから既に 500年以上経っています.
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