No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>神武天皇(と後世呼ばれている人物)の存在やその事跡は、完全な架空の代物なのでしょうか?
神武天皇は実在の人物です。皇室の祖先の一人であり、皇室の子孫にとっては実在が確認される祖先のうちの最古の祖先です。しかも皇室の子孫にとって、偉大な業績を遺した人です。
8世紀の初頭、日本の最古の歴史書である古事記と日本書紀(併せて記紀と略称)が編纂されました。この時皇室の系譜が作成され、神武天皇が最古の祖先と位置付けられました。実際には、皇室も、あなたも、私も、最古の祖先などあるはずがありません。私たちの祖先(血族)の系譜は無限に遡るものだからです。
では、なぜ神武天皇が皇室の最古の祖先になったかというと、日本書紀の編者たちが木簡や鉄剣などに彫り込まれていた皇室の祖先の系譜を調査してみると最も古い祖先は「狭野(さの)」という名の人物らしいということが分かったのです。
神武天皇の前の祖先は、(必ずいたはずなのだけれども)名前が分からない。ただ、ニニギという祖先(男子)が天から地へ降りてきたとか、アマテラス(女子)という祖先が天岩戸に・・といった、およそ現実離れした伝承が皇室の内外に残っているが、ニニギやアマテラスの実在が確認できない。
ということで、皇室の系譜では、神武天皇の前は「神代」ということにして、邇邇芸命(ニニギノミコト)も天照大御神(アマテラスオオミカミ)も神として位置付けた訳です。
なお、神武天皇の物語(事跡)についてですが、木簡や鉄剣などに彫り込まれていた信頼できる事跡はほとんど確認できず、物語(事跡)の大半は皇室の内外に残っていた諸説を取捨選択して神武物語に仕上げたのだろうと思います。
最後に、神武天皇が皇室の子孫に遺した偉大な業績とは、神武物語から推測する限りでは、九州の部族だった皇室が大和盆地に移住したとき、先住民族との間で摩擦が生じ、その摩擦を乗り越えて盆地の一角に生活の本拠を築いたことでしょう。生活の本拠を築いたとは、生存の保障を獲得した、つまり、「米を作る田んぼを手に入れた」ことです。
No.9
- 回答日時:
NO.1で回答しましたが、疑義を寄せられましたの再回答。
貴方のような質問者を鼻持ちなら無い知ったかぶりの似非学者と、云います。悔しかったら、削除の申請をされれば、私の回答は全て削除されますから、この応答も無いものとなります。消されて結構です。
さて、歴史は、すべて、その時代の支配者の都合のいいように編纂されます。ですから、神武も存在したか不明の説もあるのです。
歴史学者云々は、貴方が心配しなくても未来永劫に存在します。何故なら、誰もわからないことを何とかして分からせようと頑張っててくれるからです。
で、この人たち、なにか分かって、現代に影響された事象でもあるのかしら・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、分かっても、大して影響は現代には無いのです。未来に何らかの影響や指針が与えられるのか??????
何にも無いです。
これまでの歴史を、貴方は殆どお分かりのようですから、未来に向けて施策されたことがあったでしょうか。お答え下さい。
歴史とは、わかっただけです。知っただけです。つまり、過去の遺産は将来のプラス要因としては貧弱その物なんです。
知ったって、それが教訓としていかされた事例は一つとして有りません。
人は過去に生きる動物じゃありません。未来に向けて凄まじい勢いで走り続けています。
歴史の先生と、穴掘りが好きな人だけが潤っています。
No.8
- 回答日時:
#4です。
古事記や日本書紀に書いてある古代の天皇の没年は異常に高いので、これを見ただけで、神武天皇も崇神天皇も架空の人物ではないかと感じる人が大半でしょう。
初代神武天皇127才
第2代綏靖天皇84才
第10代崇神天皇120才
第11代垂仁天皇140才
(以上、日本書紀に記載されている没年)
殊に歴史学会では、第二次世界大戦での敗戦の結果、戦前の日本は何もかも悪かった、ぜんぶ間違っていたという「過剰反省」が生じ(占領軍による刷り込みもあった)、「天皇に対して敬愛の念を持つことは悪である」という主張が猛威を奮い、天皇や天皇の祖先にケチを付けることが正義であるとみなされ、現在に至ります。従って、歴史学者の大半が神武天皇の実在を否定します。
古代の天皇の長寿について考察する際には、中国の文献が参考になると思います。晋の史官だった陳寿が書いた歴史書「三国志」があります。この史書は、西暦280年代に書かれたものです。後年、劉宋の裴松之が三国志の不足部分や疑問点に「註」を書き込みました。
魏志倭人伝(三国志の抜粋)を読むと、
「(倭国は)其人壽考或百年或八九十年・・」とあります。
⇒「日本人の寿命は長く、百年とか、あるいは八、九十年まで生きる人が多い」
また裴松之註には、「魏略曰:其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀」とあります。
⇒「魏略には、日本人は暦や四季を知らない。畑を耕し種をまく時期(春のこと)と作物を収穫する時期(秋のこと)をもって歳を数えると書いてある。」
※魏略:三国志と同時期に、民間の歴史家魚豢によって書かれた歴史書。
つまり、古代の日本人は、春が来ると一才、秋が来るとまた一才と言うふうに、今の1年を2才と数えていたのです。ですから、崇神天皇の没年は120才を半分の60才に、垂仁天皇の没年は140才を70才に換算すれば良いのです。
古事記を撰集した太安万侶や日本書紀の編者たちは教養人であり、古代の天皇の長寿の伝承が常識はずれであることを知っていました。朝鮮半島から招いた学者も編纂事業に加わっていました。しかし、中国の皇帝の歴史に対抗して万世一系の天皇の系譜を誇示するためには、神武天皇の即位年を紀元前660年にする必要がありました。その為には、伝承の長寿をそのまま採用する方が都合が良かったのです。
神武天皇は実在の天皇です。しかし、その事跡はよく分かっていません。木簡や鉄剣などに記されていなかったからです。記紀に書かれている神武物語は、皇室や地方の豪族の諸家に伝わっていた伝承を取捨選択したものです。ですから記紀には、長い年月の伝承を経て、実像が歪み、あるいは神話化された神武物語が書かれているのです。
私たち日本人は、もうそろそろ、敗戦のトラウマから立ち直らなければなりません。
(私は、日本史が大好きなアマチュア歴史家です。古代史と、近現代史が専門です。)
No.7
- 回答日時:
不明です。
そもそも、語り部の記憶を太安万侶が、筆記記録したのが古事記です。
古事記の上つ巻は、完全に神話ですが、神武天皇は
中つ巻(ハツクニシラス・スメラミコトから、応神天皇まで)なので、
神話と、歴史の中間に当たります。
文字の無かった時代の人間の記憶を想像すれば、誰が誰の父だとか母だ
とか、
あるいはそのまた父だとかの、記憶ははっきりしていても、その母なり父が、
何歳でどうしたとかの【数】が絡む記憶については不確かにならざるを得ないと考えます。
太陽を崇め【日(か)を読む】「かよみ」⇒【こよみ】の知識はあったでしょうが、
暦法が、如何だったかもはっきりしません。
現在の一年を二年と数える暦法だったのかも知れません。
事跡ですが、大和朝廷に限らず、どんな組織にも指導者、特に創業者なる人物が
必ず存在します。
いずれにしろ、神話とは、作り話であるが、小説やデマとは異なり、
根も葉もある作り話で、語り手も聞き手も作り話と承知の上、真実だと
して、語り伝え、聞き伝えてきたものです。
なので、年代は不確かであるが、九州から大和盆地へ移動した集団の
指導的役割を果たした人物が存在し、その代を推古天皇から遡れば、
32代前の該当するののだと思います。
No.6
- 回答日時:
>神武天皇(と後世呼ばれている人物)の存在やその事跡は、完全な架空の代物なのでしょうか?
古事記・日本書紀・続日本書紀は、天皇中心に書かれた記述です。
従って、史学会では「神武天皇が存在したか架空人物か」の判断では「架空の人物」と看做す考え方が大勢を占めていますね。
古事記を読むと「神武天皇137歳」「考安天皇122歳」「孝霊天皇106歳」となっています。祟神天皇に至っては、168歳です。
(古事記・日本書紀で年齢が異なります)
今よりも、医学が発達していたのでしようか?
ただ、神武天皇が存在するという証拠はありません。
反対に、神武天皇が存在しないという証拠もありません。
一種の神話で良いと思いますが・・・。
天照大神は「卑弥呼」だ。否、神功皇后が「卑弥呼」だ。
邪馬台国は九州だ。否、(魏志倭人伝の)記述間違いで近畿地方だ。
ロマン・夢があって楽しいですね。
学問的には「証拠があって初めて確定する」のが基本です。
ただ、宮内庁は「一切の科学的学術的調査を拒否」していますから、証拠を見つけるのは不可能です。
余談ですが、面白い本を持っています。
「神武天皇古陵の発見」(大陸書房)昭和61年刊
筆者の理論での記載ですが、この本も「古事記・日本書紀を書くとき、誤って記述した」という考えの上での論法です。
古代史は、ロマンで良いのでは?
No.5
- 回答日時:
日本が形成されるに当たり、様々な部族が集まって出来上がってきたことは、纒向遺跡の発見以来ほぼ定説となっています。
このヤマト政権成立過程で天皇を擁立するに当たり、様々部族の伝承が織り混ざり合って日本書紀、
古事記は編纂されたと考えられますので、神武天皇の実在は疑われますが、事跡に関しては根拠があったと考えられます。
実在したとしたら、百歳以上というのはすごいですよね。
トロイアの伝説がシュリーマンによって実証されたように、日本の神話には、まだまだ実証されずに眠っていることが多くあるはずです。
日本の歴史は、神話の部分を切り捨ててしまっていますので、まだまだ掘り起こされるべき真実は多く眠っていますね。
No.3
- 回答日時:
記紀には第二代「綏靖天皇」から第九代「開化天皇」の政治的な業績の記述がほとんど書かれていないため、学者はこれを「欠史八代」と呼んでいます。
第十代「崇神天皇」のもう一つの名は、日本書紀によると「ハツクニシラススメラミコト」(最初に国を開き支配した天皇)となっております。また不思議なことに「神武天皇」も漢字は違えど「ハツクニシラススメラミコト」になっています。
ということは「初代天皇」が二人いるということになりますが、スッキリと合理的に考えれば両者は同一人物と解釈するのが妥当であり、学者もおおむねそのように解釈しているようです。
なかには「神武天皇」、第十代「崇神天皇」、第十五代「応神天皇」の三者を同一人物とみなす人もいます。
三人とも「神」の文字を名前に頂いているのも、なにか暗号めいています。
紀元前660年に神武天皇の即位を持ってきたために、その間の天皇を創作する必要があったのかなと感じます。
結論としては、「神武天皇」という名前自体は後世の創作だと思いますが、モデルとなられた天皇(崇神なり応神天皇)とその業績はほぼ実在のものであろうかと思います。
なぜそうしたのか真意ははかりかねますが、初代天皇は複数の「ペルソナ」を持っていると解釈できます。
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