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福澤諭吉の日清戦争観についてなるべく詳しく教えてください。

A 回答 (2件)

岡義武に「日清戦争と当時における対外意識」という論説があります(『岡義武著作集 第六巻』所収)。

当時の政府、政党、代表的言論人(福沢諭吉・田口卯吉・徳富蘇峰・陸羯南)らが、日清戦争を通して対外関係をどう見たのか――特に清国・朝鮮観――が手際よくまとめています。

最近の平山洋氏の研究もあるので付け加えておきますと、福沢の対外観を考察した部分は、『続福澤全集』第四巻(昭和八)に収められている「時事新報」の論説を材料にまとめられています。
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福沢諭吉は、壬午軍乱ののち朝鮮における清国の勢力が強まったのに対し、朝鮮の改革派を援助し、彼ら自身の力で朝鮮の国内改革が推進されることを期待した。

しかし、1884(明治17)年の甲申事変のとき、清国の軍事介入で改革派の勢力が朝鮮から一掃されたため、福沢の期待は失われた。翌年3月、福沢は『時事新報』紙上に「脱亜論」を発表した。その主旨は、西洋諸国の急速な東アジアへの勢力拡張のなかで、西洋文明を取り入れて近代化しない限り国家的独立は維持できないという認識に立ち、近代化をなしえない近隣諸国をみすてても、日本は独自に近代化を進めて西洋諸国の仲間入りをし、朝鮮・清国にも西洋流のやり方で接するほかはないというものであった。このような脱亜論は、清国との軍事的対決の気運を高めてゆくことになった。
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