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外交革命について

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  • 質問者:flank
  • 投稿日時:2008/07/20 17:09
  • 困り度:すぐに回答が欲しいです

こんにちは。
高3のflankです。

今、啓蒙専制のあたりをやっています。
そこで、オーストリア継承戦争で、
マリア=テレジアがシュレジエンを奪われて、
取り戻すため、200年近く仲の悪かったフランスと手を組んだ。

とあったのですが、オーストリアとフランスはいつから
仲が悪かったのでしょうか?

なにか事件があったのでしょうか?
そのあたりを見直しても見当たらなくて・・・。

返信よろしくお願いします。

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  • 回答者:nacam
  • 回答日時:2008/07/21 07:19

フランスとオーストリアのハプスブルク家が、直接敵対するようになるのは、ハプスブルク家のマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)が、ブルゴーニュ公国のマリアと結婚し、ブルゴーニュ公国を継承したときからになります。
それ以前においても、ハプスブルク家は、時の神聖ローマ皇帝家であるボヘミアルクセンブルク家と敵対しており、そのルクセンブルク家は、フランスと同盟していました。
一方フランスは、ハプスブルク家から分離独立しようとしていたスイスを支援したりして敵対していました。(本来は、ブルゴーニュ家を南側から牽制するためにスイス支援をしたのですが、スイスの主たる敵対が、ハプスブルク家側にむかった)
しかし、これらは、フランスと直接敵対するものではありませんでした。
しかし、ハプスブルク家が、ブルゴーニュ公国を継承するとなりますと、状況が異なります。
ブルゴーニュ公国は、百年戦争において、イギリスと同盟しフランスと直接戦火を交えて、それまでフランスに属していたブルゴーニュ公国は、フランスから分離独立してしまいました。
この、フランスとブルゴーニュ公国の敵対が、フランスとハプスブルク家との敵対へと引き継がれてゆきます。

その当時の同盟関係は、
スコットランド = フランス = スイス = ルクセンブルク家
            対
イギリス = アラゴン = ブルゴーニュ公国 = ハプスブルク家

という図式になります。
そして、スペインュアラゴンとカスティリャ合同)、ブルゴーニュ、ウイィーンをハプスブルク家のカール5世が統治するようになりますと、対立は決定的な方向に向かいます。(イギリスにはカール5世の叔母が嫁いでいる)

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  • 回答者:pri_tama
  • 回答日時:2008/07/20 22:34

>オーストリアとフランスはいつから仲が悪かったのでしょうか?
 フランスと後に神聖ローマ帝国となる領域は、フランク王国が内戦で分裂して出来た物ですから、設立時点で仲が悪くなる要因が…。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7% …

 その後も機会が有るたびに両国は対立しており、例えば30年戦争(最後の宗教戦争)の時にもフランスはカトリック国でありながら、ハプスブルグ家がドイツの支配者になるのを防ぐ為にプロテスタント側に立って参戦しております。
   http://okwave.jp/kotaeru_reply.php3?q=4191076

 まあ、フランスは国の東西(スペインとドイツ)が同じハプスブルグ家の領土である為、常に侵攻の脅威に晒されていましたから、仲が悪くなってしまうのは仕方ない所ですが…。

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No.1ベストアンサー20pt

  • 回答者:tanuki4u
  • 回答日時:2008/07/20 22:23

オーストリアとフランス
この両国が仲が悪いとかではなく
フランス王家とハプスブル家が仲が悪い。
争点は、神聖ローマ帝国の帝位とイタリアの支配権です。
神聖ローマ帝国は、現在のドイツとイタリアを支配領地と想定されております。
1438年 ハプスブルク家 帝位に(この後は基本的にハプスブル家が神聖ローマ帝国皇帝で、ドイツの本拠地から、イタリア支配を確実にするために策動)
1483年 シャルル8世即位、そして イタリアに介入。
この辺からでしょう。

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