長宗我部
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長宗我部は江戸時代には大名としてのこっていませんが徳川にほろぼされたんでしょうか。
回答(4件)
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関が原の合戦で当時の当主 長宗我部盛親は西軍に属して所領を没収されました。その後京都での隠棲生活(一説には寺子屋の先生)を経て大阪の陣にて豊臣方に属しました。戦後、徳川に自害させられ大名(武士)としての長宗我部氏は滅亡した…と言われています。
苗字としては大変珍しいですが、有名な一族なのでHP等で調べれば解ると思いますが…
No.3ベストアンサー10pt
後に山之内家が統治する際に、長宗我部氏の家臣たちは、土佐藩の下級武士(下士)に組み込まれ、山之内家の家臣は、上士と呼ばれる上の階級になりました。上士と下士が道で会った時、下士は、裸足になって土下座して上士が通り過ぎるのを待つなど、かなり厳しい上下関係が築かれていました。下士からは、幕末に坂本竜馬、武市半平太、岩崎弥太郎(三菱の創設者)などが出ています、上士には、板垣退助がいます。
余談ですが、いまから25年程前、岡山市で開かれた高校剣道大会で、対戦相手のチームに、長宗我部という苗字の人がいました、ものすごく拳が大きいかったのと珍しい名前だったので印象に残っています。たぶん子孫の方だと思います。
そうですね。
関ヶ原の戦いの時、長曽我部氏(盛親)は西軍でした。
その後盛親は大坂冬の陣、夏の陣へ大坂方として参戦しました。
この時に敗れて、自決か殺されたか覚えていませんが命を亡くします。
盛親は確か子供がいなかったので、ここで長曽我部氏は絶えたと思います。
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