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源氏物語の写本が新たに発見されたというニュースがありました。

その中で、紫式部本人が書いた原本は現存していないと説明がありました。

当時、紫式部は多くの人に読まれるように源氏物語を書いたわけですよね?
 
一方、印刷技術なんて存在しない時代ですから、「手書き」 しか方法は無かったはずです。

とすると、紫式部は一体何冊の原本を書いたのでしょうか?

1. 一冊だけ書い原書を「回し読み」 をした? この場合、あっという間にボロボロになると思うのですが ・・

2. 本人が数冊書いた?

3. 本人が書いたのは一冊だけで、原書として誰にも読ませずに保管。 そのため、回し読みさせる前に原本を基に数人の手により全く同じ内容のコピー (写本) を取らせ、それを複数の人に同時に読ませた?

「源氏物語」 以外にも枕草子、古事記、日本書紀などなど、印刷技術が無い時代はどうやって複数の人に読ませていたのでしょうか?

A 回答 (6件)

>その中で、紫式部本人が書いた原本は現存していないと説明がありました。



「紫式部本人が書いた原本」は、ハナッから存在してない可能性もあります。以下によると「紫式部が書いたのは通説であり、証拠が無く、別の複数の人が書いたと言う説もある」らしいので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F% …

仮に、紫式部本人が書いた原本が見付かったとしても、それに「これが原本」と書いてある訳じゃないし、本人の筆跡かどうかを確かめる術がありません。

荒唐無稽な仮説ですが、もしかすると「○○の写本」として伝わっているのが、実は原本だった、なんて可能性もあります。紫式部本人が、原書を誰かに見せた際に、自分が書いたのを隠そうとして「○○が書き写したんだけど、面白いよ」みたいに言った可能性もありますから。

当時の感覚で言えば、源氏物語は「エロ本」だった訳で、書いた本人が堂々と「私が書いた」と公言するでしょうか?本に作者の本名を書くでしょうか?(まぁ、「紫式部」そのものがペンネームみたいなもので、本名ではないのですが)

1.
初期の文学系の同人誌(同人雑誌)の中には、ノートなどに手書きされて作家仲間で回し読みし、それを読んだ作家が空いているページに作品を書き足して次に回す、などと言う事が行われていた物があります。

同じ様な事が源氏物語でも行われたかも知れません。

2.
「全巻を一人で書いたのも疑わしいほどの量がある」のに、作者本人が「書き写しとは言え、同じ物をもう1回書く気になる」とは思えません。

普通は「誰かに書き写させる」でしょうね。

3.
証拠はありませんが、誰かに書き写させた後、原本を保管しておいた可能性が高いですね。原本は紛失するとアウトですから。

写本が1組あれば、それを元に、写本の写本、写本の写本の写本、写本の写本の写本の写本と、どんどん増やしていくのは可能です。

元が1組でも、1回写本して2組にすれば、2組を同時に書き写して4組に、4組を同時に書き写して8組に、8組を同時に書き写して16組にと、爆発的に増えて行きます。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、「紫式部が書いた原本」自体が存在していない可能性もあるわけですね。 本当にミステリーですよね。
誰かが借りるたびに写本を作成していけば、ねずみ算式に爆発的に増えるわけですが、考えれば、これって紫式部の承諾を得て写本を作っていたと考えられますか?
ご説明を伺って、写本を繰り返していく内に段々をオリジナルと違う内容になる場合もあると思うのですが、今そんな事をやったら、「著作権の侵害」の問題は別として、「オイオイ、勝手にコピーを作るなよ! しかも俺が書いた内容とは随分違うじゃないか」と憤慨するように思うのですが ・・・

お礼日時:2008/07/30 13:19

古い時代の著作権に関しては面白い話があるので、質問とはちょっと離れますがご披露します。


元ネタは慶應義塾大学教授の福田和也氏からです。
日本の場合、最近まで著作権を気にする人はあまりおらず、明治の文豪夏目漱石は旧知の飯田青涼を大阪朝日新聞に連載してくれるように紹介したところ、文芸部担当の長谷川から「徳田秋声」の作品としてならといわれ、徳田に名前を貸してくれるように了解を求めたところ「朝日だけは代作(ゴーストライター)を使っていないから、合作として欲しい」と返事されたという話があります。
逆に言えば、徳田は他紙には平気でゴーストライターを使い、有名なところでは三島霜月が引き受けていたそうです。
このあたりは一応本人の了解でやっていますけど、無名の他人の作品にちょっと手を入れて自作として発表するなど珍しくも無く、当時の文壇ではそれを当然のことと容認していたと、福田氏は解説しています。
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この回答へのお礼

再度のお答え、有難うございました。
へー、明治の文豪は随分と乱暴な事をやっていたんですね。
絵画など他の芸術のように「これは自分の作品だ」と、オリジナリティを大事にする習慣が無かったのかも知れませんね。
明治時代でもそれですから、平安時代の作品には、一体何が何やら、本当の事がさっぱり分からないという事もあるでしょうね。

お礼日時:2008/07/31 11:01

>写本を繰り返していく内に段々をオリジナルと違う内容になる場合もある


>と思うのですが、今そんな事をやったら、「著作権の侵害」の問題は別と
>して、「オイオイ、勝手にコピーを作るなよ! しかも俺が書いた内容と
>は随分違うじゃないか」と憤慨するように思うのですが ・・・
紫式部本人が今生きてたら、憤死してるかも知れませんね(笑)

現在読まれている源氏物語は、古語を現代語に訳した物ですが、この翻訳も何種類もあり、訳本によっては解釈が足されてたり、親子関係だったと書き足されている人物が居たり、酷いのになると、エピソードが増えてたりします。

現代でもそうなんですから、当時なら、写本により書き写しされる間に変わってしまった可能性もあります。
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この回答へのお礼

有難うございました。
「オリジナルの源氏物語はこれだ」と言えるものが無いから、諸説紛々しているわけですね。
もしかしたら、紫式部が書いた原本は今考えられているような内容とは全然違う可能性もあるわけですね。
でもこれは多分、永遠に謎でしょうね。

お礼日時:2008/07/31 10:55

著作権など意識しない時代ですから、作者の了解など無かったでしょうね。


「紫式部日記」によれば、そもそも下書きが流出したとか、手元のオリジナル本を藤原道長が勝手に持ち出したという話もありますから、これなどは当人にとっては想定外、流出した下書きをもとに、足りない部分は、写本する人間各自が勝手に解釈して書き加えたものもありますから、そもそも完全オリジナル版が存在したかどうかさえ不明です。
この「紫式部日記」を書いた作者が源氏物語の作者であろうとされているだけで、もちろん本当のところは分かりませんし、この日記を紫式部が書いたという確証も無いですから、すべては状況証拠です。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、今と違って、この大作が一体誰の手によって、どのようにして書かれたのか、確たる立証は出来ないわけですね。
ある意味で、ミステリーですね。

お礼日時:2008/07/31 10:53

印刷が一般化する以前は、写本といって原本を借りて書き写すという方法がとられていました。


自ら筆をとって書いた人もいれば、書家に頼んで書いてもらったり、僧侶など知識人が書の練習をかねてバイトで書くという事もあったと思います。
当然、原本から書き写した物を又借りして写して、またそれを貸してと伝搬していきますし、途中で書き損じや自分なりの解釈も書いていきますから、徐々に原本とは異なっていきます。
因みに、紙は貴重品ですから、書き損じた場合は一部分を切り貼りするというのもありで、時代劇の小説などでは手紙を書き損じて、糊で切り貼りする場面も出てきます。
紫式部が原本を何冊書いたかは諸説有り、推敲本を藤原道長が持ち出したという話も伝わっており、常識的に考えれば完成本以外に、本人手書きの下書き的なものが数セットあったと思います。
従って、原本の写しといってもその原本自体微妙に異なりますから、違いはあると思います。
現代作家も週刊誌などに発表した後で文庫本にするときに加筆訂正しますから、同じでしょう。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、原本を借りた人が自分で写本を作ったという事になるわけですね。
今これをやると、「著作権の侵害」で、一発で逮捕という事になると思うのですが、当時はそんな概念が存在していなかったとしても、紫式部の了解を得て写本を作成していたのでしょうか? あるいは全くの無断で?

お礼日時:2008/07/30 13:12

源氏物語に限らず、この頃の書物はたった一冊・・・当時は一巻ですね・・・しか作者は書かなかったのです。

それを多くの人が書き写し、それが現在にまで伝わっています。紫式部は五十四帖それぞれ1巻ずつしか買いkていません。現在残っている最古の写本は藤原定家が写本したと言われる定家本ですが、最近それより古いらしいものが発見されて大騒ぎになりましたね。
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この回答へのお礼

早速のお答え、有難うございました。
作者は一冊しか書かなかったとすれば、多数の人に読まれている内にボロボロになったと思われるのですが ・・ あるいは誰かが借りている間に(作者に無断かどうかは別として)急いで写本を作り、それを他の人に回したという事になるのでしょうか。
考えるほど、不思議だなと感じるようになりました。

お礼日時:2008/07/30 13:02

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