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先日、源氏物語の原本について質問させて頂きました。

多くの回答を頂いたのですが、その中で、紫式部に原稿料は支払われたのかどうか、疑問に感じるようになりました。

というのは、源氏物語ってかなりの大作で、作品を仕上げるのに大変な時間と労力を必要としたはずです。

紫式部が源氏物語を書き上げたというのが通説になっているようですが、では、その対価としてなにがしかの報酬というか、見返りのようなものはあったのでしょうか?

それとも、全くのボランティアというか、自己満足で終わったのでしょうか?

紫式部以外にも、枕草子の清少納言、それに多くの 「○○日記」 という作品が歴史に残っていますが、これらの作者はその対価として報酬とか見返りのようなものはあったのでしょうか?

素朴に疑問に感じたので、質問させて頂きました。

A 回答 (6件)

作品自体の対価によって作者が生活できるようになったのは、音楽の世界でのベートーベンが最初といわれています。


その前段階の条件として
○ 印刷技術によってマスプロダクションができるようになった
○ 購買層としてのブルジョワジーの成立
この二つが必要です。
その前の段階における音楽家として生きていくことは、パトロンの発見が必要でした。作品はそのパトロンを喜ばすために作られたというのが極論としては成り立ちます。

ベートーベンの交響曲 英雄が ブルジョワジーの解放者でもある ナポレオンのために作られたというのは、象徴的な出来事といえます。

ベートーベンが尊敬したシューベルトが神聖ローマ帝国皇室宮廷室内作曲家(wikipediaより)という称号をわざわざ書かれるのは、神聖ローマ帝国というパトロンありきの音楽家であったことを、象徴的に示します。

紫式部にとってのパトロンは藤原道長であり、その娘である藤原彰子ということになります。藤原彰子のサロンで生き続けるためには、そのサロンの文化度を上げるために貢献する必要があり、その貢献の具体的な形が源氏物語であるとも言われています。
単純に近代的な意味での「書きたいから書いた」というわけではありません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、紫式部にも、源氏物語を書き上げる事で宮廷内で自分の存在をアピールしたいという気持ちがあったようですね。
今のような金銭面による報酬でなくても、 見返りが何も無いのに、あんな大作を書きたいという人は当時もいなかったでしょうね。
古今東西、芸術大作を仕上げたアーティストは多いですが、「パトロンに喜んでもらって、もっと可愛がってほしい」という気持ちが根底にあるようですね。

お礼日時:2008/08/01 09:37

『源氏物語』について、面白い説があります。


藤原道長の娘、彰子に使えていたはずの紫式部。当時紙や墨はとても高価だといわれており、あれだけの大作を書く量となると、
当然パトロンがいなければなりません。
紫式部のパトロンとなりうるのは、藤原道長にほかなりませんが、源氏物語の内容を見ると、当然源氏が活躍します。
藤原氏全盛の時代に、なぜ藤原氏の女官が源氏の物語を書いたのか。
さらにそれを藤原氏が後押ししているのは何故か。

色々疑問がありますが、パトロンがいる以上、何らかの指示を受けて書いていると考えられます。
女官としての業務の一環として指示されていたのであれば、別途原稿料を払われるということはありませんので、
大作であろうが、勤務時間中に書いたものということで、通常の給料の範囲内となるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、源氏物語誕生の裏側には色々な隠された事情があるようですね。
当時は紙も墨も大変高価だったわけですね。 やはり単なる一女官が簡単にそれらを手に入れて気ままに作品を仕上げたというのは考えにくいですね。

大スポンサーが身近にいて、作品を書き上げる事でスポンサーを喜ばせ、そして自分の立場をアピールし、より上のレベルを目指す ・・ こんなインセンティブが働いたのでしょうね。

お礼日時:2008/08/04 15:12

紫式部は職業作家ではなく「宮中の女官」です。

「源氏物語」を執筆したのは「余暇の手すさび」であり、もともと報酬を期待してのものではありません。

ただ、紫式部が生前に自分の書いた「源氏物語」を知人に貸したとしましょう。知人はそれを読むなり筆写するなりして紫式部に返したでしょうが、その際に必ず礼物を添えて返したはずです。

これは、平安時代以降の貴族や武将の日記で
「Aさんから甲という本を借りて書き写した。返すときに礼物の**を添えた」
という記述が普通に見られることから推定できることです。

この時代「本を売り買いする」という発想自体がなかったはずですので「借りた本を返す際の謝礼」が「本の代金」に相当すると考えて下さい。

なお、紫式部から源氏物語を借りて筆写したAさんが、自分の所有物である「源氏物語写本」を今度はBさんに貸したとすれば、BさんはAさんに「源氏物語写本」を返す際にこれまた謝礼を添えることになります。
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この回答へのお礼

有難うございました。
報酬というか何らかの見返りを期待しての作品ではなく、「余暇の手すさび」という事は、「暇つぶし」という意味合いだったのでしょうか?
源氏物語については全くの素人なのですが、書くだけでも大変な量の大作だと聞いています。 
紫式部は宮中の女官という立場ですから、本来の職務の間に作家活動をしたわけですよね。 当時はノンビリしていたとは言え、「暇つぶし」にしたら、大変なボリュームのように感じられるのですが ・・

お礼日時:2008/08/01 14:01

>そもそも一切の見返りも期待しない、「書きたい」というだけの全くの自己満足だけで、あれだけの大作を書き上げる人は世の東西を問わずいないでしょうね。



そういった物は、大体当人の死後に偶然で世に広まります。
例えば、江戸期の尾張藩士朝日文左衛門の「鸚鵡籠中記」などのように、当人は他人に公開する意図など全くなく、むしる隠していたのが、死後に何かの偶然で世に出てしまったなど。
紫式部は藤原道長など、他人に積極的に見せていますから、やはり一種の自己アピールで書いていたと思いますよ。
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この回答へのお礼

再度のお答え、有難うございました。
人によって書くキッカケは色々あると思いますが、紫式部の場合は、やっぱり自己アピールであの大作を仕上げたと考えるべきなんですね。

お礼日時:2008/08/01 13:54

身分社会では、生まれ落ちで大体の人生が決まっており、藤原北家出身の彼女は、貴族の中では主流派ながら、藤原道長など氏の長者から見れば傍流、いわば中級貴族といったところです。


今で言えば、自民党の陣笠代議士の娘といったポジションでしょうか。
こういった身分社会で、決まったポジション以上に行くためには、何かやらないとダメで、貴族であれば和歌や物語など、文才が大いに物を言います。
当時の最高実力者の藤原道長は、宮廷勢力拡大のために娘の彰子を朝廷にあげますけど、そのブレーンとして期待されたのがこの紫式部であり、こういった実力者に源氏物語などを書いて自分の能力をアピールすることで、その援助を得られ、父親を初めとする一族の立身が約束されていきます。
直接的な原稿料は入りませんけど、彼女やその一族は美味しい権力の汁を吸えますから、十分書いただけの労力は報われています。
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この回答へのお礼

有難うございました。
見返りなど考えず自己満足で書いたという方もおられたのですが、やはりそこには何かのインセンティブというか、大作を書き上げる事により宮廷内でのポジション・アップという狙いが根底にあったようですね。
そもそも一切の見返りも期待しない、「書きたい」というだけの全くの自己満足だけで、あれだけの大作を書き上げる人は世の東西を問わずいないでしょうね。
今のように出版社と契約し原稿料を得るという制度が無い時代でも、芸術作品を仕上げるには何かのキッカケ、狙いがあるのは時代を超えた人間の素朴な欲望ですね。

お礼日時:2008/08/01 09:19

紫式部の時代に「原稿料」などと言う概念自体がありません。


時代錯誤もいいところです。

紫式部に限らず、本として発行するのが目的ではなく、物書きと
言うのは自分が書きたいから書く、日記の場合は自分の記録として
文字を書ける・理解できるものが書に残しただけのことです。
たまたまそれが読み物として、文字の読める階級に受け入れられただけのことです。
もしも、それでなにか金銭授受が発生したとしても、あくまでも
それは結果であって、お金のために書くという概念自体はないはずです。
したがって、ボランティアでも自己満足でもお仕事でもありません。
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この回答へのお礼

有難うございました。

書きたいから書いたという事ですね。 質問の例に挙げた「自己満足」というのがその意味だったのですが、それが正解だったようですね。

お礼日時:2008/07/31 16:04

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