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皆さんこんにちは。

こういった人の心理は、いったいどうなのか、
皆さんに教えていただければ幸いです。

読みきりで「蜘蛛」という漫画があります。

話の内容は、昔、飢饉があり人間も動物も飢えて
いたとき、蜘蛛の巣にかかったチョウをお坊さんが
助けることから始まります。

しかしそのお坊さんは、今度は逆にその蜘蛛が鳥に
食べらそうになるのに、蜘蛛を助けようとせず
見捨ててしまうのです。

蜘蛛にとっては、不公平な話であり、チョウは美しい
から助けたのか?、蜘蛛は醜いから助けなかったのか?
ということになります。

蜘蛛は霊魂になり、そのことでお坊さんを、とことん、
ねちねち責めるのです。
「私(蜘蛛)はブサイクだから見捨てたのか?」と。
弱り果てたお坊さんは、自責の念に悩まされます。。。

そこで質問です。
そのお坊さんは、やっぱり不公平なのでしょうか?
それとも、醜いもの(ブサイク等)は見捨てられる
のが当然なのでしょうか?

ちなみに話の結末は、お坊さんが最後には逆切れして、
うだうだ言う蜘蛛を、踏み潰したと記憶しています。

A 回答 (10件)

rin00077さん、こんにちは。



そのお坊さんは、蜘蛛の幽霊に、次のように言って納得させることができたかもしれません。

「そなたは所詮、すぐに鳥に食われる運命であった。
 そなたの一時の快楽よりも、蝶の命を優先させたのだ。
 わるく思わず、成仏せよ。
 なんまいだぁ、なんまいだぁ。」

つまり、自然界の摂理(食物連鎖)に干渉しないようにすれば、
蝶が蜘蛛に食べられ、蜘蛛が鳥に食べられるという状況になります。
この中で、蜘蛛に食べられた蝶だけが、ほぼ「犬死」です。
食べた蜘蛛はどうせすぐに鳥に食べられて死んでしまうので。
(間接的に鳥の栄養になる部分は小さいので無視します。)
これを助けたといって、自己を正当化しようとするわけです。

しかし実際には、そのお坊さんが、このような動機で行動していなかったことは明らかです。
なぜなら、あとで自責の念に駆られるということなので、本人も罪悪感をもつようなことをしているはずだからです。

ちなみに結末のところですが、霊魂なので踏み潰しても死ぬわけでも、怪我をするわけでもないと思われます。


さて、ご質問ですが・・・

> そのお坊さんは、やっぱり不公平なのでしょうか?

[作者の意図]
お坊さんの心理としては、あとで蜘蛛の霊魂に責められて自責の念に悩まされることからも、なにか後ろめたいところがあった確かであり、本人は不公平だった(かもしれない)と思っていたわけですから、作者の意図としては「不公平であった」と描いているに違いありません。

作者は、まず、醜いものや悪の象徴として見られる蜘蛛から、美しくか弱いものの象徴として見られる蝶を救った、善人の象徴お坊さんという構図を提示し、それを否定してみせています。

[現実の事件としたら]
お坊さんも人間ですから、蝶を美しいと思い好きだったから助け、蜘蛛を醜いと思い嫌いだったから助けなかったということはありえます。
また、美しいから助ける、醜いから助けないということではなく、その意識があり、それが先入観となって、蝶は善、蜘蛛は悪と思い込んでいて、善を助け悪を助けないというつもりだったのかもしれません。

現実の世界でも、まともに修行したんだろうか?というお坊さんの話はよく耳にしますから、この話はそういう意味でも現実に即しているといえるかもしれません。

しかしながら、蜘蛛と蝶は所詮、生まれ育ちどころか、生物学上の分類さえ違う生物のことです。公平さを要求するのはそもそも難しかったかもしれません。実際、通常では、蜘蛛は蝶よりも食物連鎖の上にいますから強い立場です。そもそも、蝶・蜘蛛・鳥の関係で公平という概念そのものを定義するのが難しそうです。

とはいえ、この場面に限って言えば、一番可哀想なのは、蜘蛛ですね。
空腹を満たすことも出来ず、自分は鳥に食べられてしまうのですから。
お坊さんに文句を言いたくなる気持ちも理解できます。


> それとも、醜いもの(ブサイク等)は見捨てられるのが当然なのでしょうか?

[作者の意図]
作者はそこまで言っていないと思います。
不利であるという現実に即して描いたのだと思います。
そして不利が高じれば、状況によって見捨てられることさえあるということですね。

だからといって、不平不満を言っても、踏み潰されておしまい。
意味がないから、現実を受け入れましょうということかもしれません。

[現実には]
確かに美しいほうが何かと有利でしょう。
しかし、通常の状態では、見捨てられるどころか、蝶が食べられ、蜘蛛が食べる側であることを見落としてはなりません。
種族間で見れば、同情されるべきは、公平に見て蝶なのかもしれません。
また、蜘蛛にはそのような強さがあることも、人間から見てかわいげがないのかもしれません。(醜いまま蝶のようになれば、蛾になってしまいますが。)


しかし、この話で、唯一救われるのは、蜘蛛は元々、鳥に食べられる運命だったことです。
人間から見て醜いために、殺されたわけではありません。
お坊さんは、この部分については、自然の摂理を乱さなかったのであり、結果的には悪事を働いたことにはならないでしょう。
食べられる蜘蛛と食べる鳥の関係を、イーブンイーブンとみなせば、正味、蝶の「犬死」(すぐに死ぬ蜘蛛の一時の空腹を満たすだけの意味しかない)を阻止したことになり、この場面における自然界の幸福を最大化させたことになっているとも解釈できます。
また、最後の踏み潰しも、霊魂に対してなので、二度死ぬことはないでしょう。

とはいえ、鳥が蜘蛛を食べることを予測することは通常困難であり、後で自責の念に悩まされたことと、蜘蛛に対して言い訳しきれず踏み潰したことから、お坊さんは動機の点で後ろめたい心理があったこと、考えが浅はかだったことも確か。お坊さんというものは、けして尊敬できる存在とばかりは言えないということも作者は暗に主張しています。
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  私見を述べます。


  不公平な行為です。
  大方の人は、蝶は好きですが蜘蛛は嫌いでしょう。 漫画に登場する蝶や蜘蛛は 「主人公が好きなものか嫌いなものか」 の象徴であって、おそらくはキャラクターとして蝶や蜘蛛であること自体に特段の意味はありません。
  したがって、やや極論ですが、僧侶は 「好きなものは助けたが嫌いなものは見捨てた」 ということになります。
  さらに言えば、自分の行為を相手に攻められ反論できずに暴力を振るったとなれば、人間性すら疑わしい人物ということになります。

  なお、私は原点である漫画の正確な内容を知りませんので、以上はあなたの文章を読んだ上での感想です。 僧侶の行為に特段の事情があるのなら、感想また変わります。
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この回答へのお礼

皆さんこんにちは。

今回たくさんのご回答ありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/08 09:48

こんにちはー



そのお坊さんは不公平という以前に酷いでしょー
蜘蛛のエサを奪う時点で生存を拒否しています。
見捨てるどころか死んでしまえと言ったんです。
諭されていたのはお坊さんだったのに自分の弱さに負けてしまったのでしょー

手塚さんとかの漫画でした?
修行僧は煩悩の塊、人間だれしも間違いを犯すという内容ですね。
責められるまでは自分の行為の愚かさに気付かないことも多々あります。
それを受け入れ反省することができなければ、同じ罪を重ねていくだけになるでしょう。

慈悲の心はとても難しいもので人間は過去にも良かれと思って罪を犯してきました。
ある動物の保護の為に天敵となる種を乱獲してしまったりは有名です。結果は自ずと知れていますよね。

ということで
ブサイクは見捨てられても仕方がないでしょー
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この回答へのお礼

こんにちはー

>蜘蛛のエサを奪う時点で生存を拒否しています。
見捨てるどころか死んでしまえと言ったんです。

それなんですよ。そのとおりです。
この漫画は「ハッピーピュープル」という漫画に
でてきます。

この作者は、わりとそういう心理を問う漫画が
得意で、自分の子供を殺された弁護士が、その
犯人の弁護をしたり、電車の中の痴漢を黙認した
裁判官がその痴漢の裁判を担当したり、そういった
考えさせられるものをよく画いています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/06 21:14

蝶は飛ぶモノのイメージを


蜘蛛は捕らえるモノのイメージをそれぞれ持ちます
そしてどちらの存在にも過大に干渉できるお坊さんは絶対的な力を持つ神のイメージを持ちます

人に当てはめれば、蝶は自分から頑張って前に進む人
(一般の人)

蜘蛛は誰かを貶めて前に進む人を指しています
(詐欺や泥棒などの犯罪者)

自分から頑張る人は敵の罠に嵌っても神(第三者)によって助けられる
逆に他者を貶める人は偶に正論を言ったとしても誰も聞いてくれない

物語の本質はそういうお話だと思います
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あ、今日は面白い話ですね。


ただその蜘蛛の言っているブサイクって、何だかいつも聞いているような言い回しなんだけど・・

私の見解は・・
お坊さんはチョウを助けた時点で間違っていた。
それに気付いての行いだったのに、蜘蛛にはねちねち責められ自分をも責め続けた結果、そのストレスが最高潮に達してついには切れて踏み潰してしまった。
半狂乱になっていたのだと思います。
公平であろうとしたが故の悲しい結末ですね。
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人の心に善意や悪意は確かに存在するけれど、それらがいつもいつもあなたに対してフェアに働くとは限らないですよ~、ってことじゃないですか? 当たり前といえば当たり前ですけど、そこをとことんズームした、面白い作品じゃないですか。



ブサイク云々…は物語の主題ではない気がしますけど、この物語をそう捕らえたご自身の内面と向き合う…と考えると、rin00077さんにとっても良い漫画でしたね☆
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面白い話ですね。


解釈や見方は色々であるでしょう。

私の見方
修行の足りない坊さんの話、本来仏門では殺生は禁止されているにも関わらず、蜘蛛を踏み潰した。
輪廻転生があるとしたら、蜘蛛は誰かの生まれ変わりかもしれない、
次には自分が蜘蛛に生まれ変わるかも、
チョウを助けて、蜘蛛の大切な食べ物を奪ったことに気がついて、鳥の食べ物は奪わなかった。

蜘蛛は、自分のされたことを恨み、坊さんを責め続けた、
結果、踏み潰された、人を恨むと、ろくなことがない。

その2
坊さんは自分の無知から、食物連鎖という自然の摂理に逆らった、結果蜘蛛の霊魂に責められ続け自責の念に駆られ、挙句の果て逆ギレして殺生の禁を犯した。
蜘蛛は恨む相手を間違えた。
助けなかった坊さんを恨むのではなく、食べた鳥をうらむべきだったと学んだ。

それで質問の答え
>チョウは美しいから助けたのか?、蜘蛛は醜いから助けなかったのか?

違います、このお坊さんはとても賢い人で、蜘蛛は鳥の食料になり、
鳥は飢饉で飢えている人の食料になるので、どうでも良いチョウは助けて、鳥の食料は取らなかったのです。

>そのお坊さんは、やっぱり不公平なのでしょうか?

元来坊さんというのは、不公平なものです。

>それとも、醜いもの(ブサイク等)は見捨てられる
のが当然なのでしょうか?

蜘蛛が醜いブサイクという見方が一方的であり、
他の見方をすれば変わってきます。

私は現物を読んでいないので、作者の意図はわかりません。



ちなみに チョウは幼虫時代は害虫として駆除されています。 キャベツを食べる青虫、かんきつ類の葉を食べる長崎アゲハにどがその例です。
蜘蛛が捕る虫は益虫だけでは有りません。害虫も沢山捕ります。
もっとも益虫、害虫という区分けは、人にとっての都合の良い区分けだけですから。 失礼しました。
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この回答へのお礼

こんにちはー

私は蜘蛛が嫌いで嫌いで、世の中で一番怖くて
嫌いなものが蜘蛛なのです。

うちは田舎なので子供の頃、よく家に蜘蛛が出て
いましたが、益虫だから殺してはダメ!と母に言われていました。
害虫であってもさすがに殺せませんが。。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/06 21:32

>それとも、醜いもの(ブサイク等)は見捨てられるのが当然なのでしょうか?



なにか、「蜘蛛」の話から、問題を摩り替えようとしているようにも
聞こえますが、まさか、そのような意図はありませんよね?

お坊さんは、醜いから美しいから、という区分けで蝶を助けたのではないと思います。
蝶も含めて昆虫類は、植物にとって咲いている花の花粉を運び、
めしべに受精させてくれるという益虫の役割を果たします。
これは、植物の蜜をえさの一部にしている昆虫すべてに当てはまります。
植物が受粉することはつまり植物の実がなり、それが成長していけば
人間が食料とするものができます。

しかし、蜘蛛の場合はどうでしょう。
蜘蛛は、植物の枝や家の軒下に巣をつくり、益虫である昆虫を
罠にはめてその昆虫の体液を吸い取って食料にします。
つまり、植物にとっての益虫である昆虫にとっては敵であり
益虫の昆虫によって植物の実をそだててそれを食している人間には
最終的には敵と判断できるでしょう。
また、人間自身にとっても、蜘蛛が巣を張ることによって家が汚れたり、
すると言う意味では、間違っても益虫とは言えません。

お坊さんは、それを知っていたからこそ、蝶を助けたのだと思いますし
蜘蛛の言い分はあまりにも自己中心であり、仮に助けたからといって
人間にとってメリットがあるわけではありません。
形の醜いものであっても、人間にとって役に立つものであるかどうか
それが、助けるか助けないかの違いになってくると思います。

ちなみに、ご質問者様はまさか
「世間の人々は、不細工は世の中から消えてしまえと思っている」
ということが聞きたいのですか?
もしも、そうおもっているなら、被害妄想も甚だしいと思いますよ。
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この回答へのお礼

こんにちはー

>なにか、「蜘蛛」の話から、問題を摩り替えようとしているようにも
聞こえますが、まさか、そのような意図はありませんよね?

これっぽっちも思っていません。そのままです。
坊主の善悪だけ聞きたかったのです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/06 21:00

好きか嫌いかだけですね。


たまたま蝶が好みで、その蜘蛛が嫌い(蜘蛛全てではない)だった。

霊魂になり、ネチネチ責める、そんな性格な蜘蛛だとを見越して嫌なタイプと感覚的に判断され、助けなかった。

そんな性格だからお前は嫌われたのだ、と何回諭しても(言っても)理解してくれない蜘蛛に対し、成仏して素直な心の持ち主に生まれ変われといって、踏み潰した。

結果的にお坊さんは間違っていなかった。拍手パチパチパチ。
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結構笑えるマンガですね。



単に、お坊さんの言動に一貫性が無く、気まぐれだった。

まあ、格言でも故事でもないのだし、ブラックナンセンスと解釈するのがいいでしょうね。
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