プロが教えるわが家の防犯対策術!

うちの夫婦では、私が教育産業に従事していたし、逆にかみさんが良家出身で小さい頃から幼児の早期教育を強いられていい思い出が無いという都合上、幼児教育に関して、夫婦間で意見が全然一致しません…お互いが感情的になって、話し合いが遅々として進みません。妥協点というか、落としどころがないっというか…

よく「のびのび育てたい」と否定的な方はいいますが、私的には「のぼのび=ゆとり教育」としか思えないので、いまだに否定的な方の気持ちがよくわかりませんし、理解出来ません…

子どもが楽しみながら学習することに、何故否定的なのかがまったくもってよくわかりませんので、どなたか否定的な方からの意見を聞いてみたいと思いました。

宜しくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

一番重要なのは評価方法ではないかと思います。



質問者さんも言及されてる「子どもが楽しみながら学習すること」
これに対する世間の大人の理解が、根本的に不足している故の意見ではないかと推測されます。


なんせ、勉強=受験で、それ以外を全く想像もできない人が大多数というこのご時世。
勉強ならば競争を強いる・勉強ならば成果を求める。
そういう事しか考えられないようであれば、そりゃ幼児教育に否定的になって当然です。

非常に不謹慎な例えですが、「全色盲の人に情熱の赤を説明するかのような状況」。それほど世間の「大人自体」が未成熟なんだと考えます。

だから反発を受けるのだと思います。



幼児早期教育ならば学習効率よりも、楽しみ、興味を持たせる事が最重要だと思います。
英語教育するとき、まともに喋れなくても良い。英語と聞いて嫌悪感0であれば合格。将来まで続く興味を持てば満点だと考えます。

即ち、幼児早期教育者(≒親)は、子供に対する教育者である以前に、子供に対するエンターテイナーである事が重要なんでしょう。


実はこれが非常に大変。
受験地獄の詰め込み教育なら単語帳持たせて○×つけりゃいいんですがそうじゃない。
常に子供を楽しませる事を忘れちゃいけない以上、その何次元も上の教育ノウハウが必要なはずです。

それが非常に未発達である故、現状のような否定的意見が強いのではないかと思います。
実は「だって自分じゃ全然想像すらできないもん」っていうのが本音ではないかと思います。

私も肯定はしたいのですが、現実的にどういう形で教育すればいいのかが判らないというのが本音です。
どうやれば「駄目だよ。ちゃんとthis is a penって発音しなきゃ」という受験勉強のやり方を回避しつつ、子供達に興味を持たせる事ができるか?が判らないのです。
(やってる内に喉から出そうになるのを必死に堪える自分が目に浮かびます)




余談。

ちょっと昔、NHKの某番組で長年ぬいぐるみの声を当てる声優さんと話す機会がありました。
それは別に教育的な番組ではないのですが、子供の心情や視点を意識したキャラクターの演じ方について熱く語ってくれました。

今思えばあれは金言の山だったんではないかと思う次第。
覚えてないのがもったいないと後悔してます。
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この回答へのお礼

>これに対する世間の大人の理解が、根本的に不足している故の意見ではないかと推測されます。

本当にそう思います。なんか「勉強=机に座らせてやる(やらせる)こと」と思っているようでねぇ…そうじゃないんですがねぇ…

まったく同感です。でも、それって、私の意見に近いので、反対説の方の納得する意見が聞きたかったんですがね(苦笑)

>受験勉強のやり方を回避しつつ、子供達に興味を持たせる事ができるか?
日本語の場合、そうやって教えてますかね?少なくともうちの子にはそういう言葉の教え方をしていませんので、それは出来ると思いますよ。外人もそうやって教えていないはずですし。

ちなみに、私も小学生に英語を教えること多々ありますが、そうやって教えたこと無いですね。なもんで、出来ますよ。

お礼日時:2008/08/11 22:10

あなたの「早期教育」について具体的に定義して下さい。


特に、「楽しく学ぶ」という方法論についてあなたの考えを説明して下さい。
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> 子どもが楽しみながら学習することに、何故否定的なのかがまったくもってよくわかりません



学習をどの様に定義されているのかによるのでは?

言葉だけを捕らえると、学習=受験、進学の為だけの知識、
と言う心象を持ってしまい、それ故勉強の機械を生産している、
と言うイメージはありますね。

ですから、既存の言葉を用いずに「自然を体験させたい」とか
具体的な言葉で語ったほうが誤解が少ないのではないでしょうか?
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再度回答します。



>昨今の「子どもがうるさいから、ビデオをみせとけ!」みたいな放置教育をしている方もどうかと私は常々感じています。

話にならないですよね。
そもそもそんなものは教育でもなんでもなくてタダの育児放棄ですよね。

>その辺のサジ加減も難しいですね。勉強になりすぎず、「楽しく学ぶ」っというのがね。
うちは三歳で九九マスターが目標なんですがねぇ。

幼児の勉強って難しいですね。
私は時々は月をみせてはお月様って大きくなったり小さくなったりするのね、といっています(うちの子は2歳です)。
勉強のひとつではあるとおもっていますが、これは幼児教育ではないでしょう。

私がおもうにはそういうものをたくさん子どもに見せたり教えたりするほうがいいと思うんです。
幼児に必要な勉強ってそういうものじゃないかなと思うんです。

3歳で九九というのは私にはあまり意味は感じられません。
九九というものがあることも3歳児は知らないし、幼児の勉強は、自然と楽しみながら日常のなかで学習していくことが一番だと思います。
読み聞かせした絵本の感想をちゃんといえるほうがずっといいことのように思います。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

確かに、難しいですね。でも、私もいろいろ生徒を見てきて思うんですが、「物心ついた後では遅い」と思います。「我」がなかなか邪魔をして、知的好奇心を邪魔することって結構ありますからねぇ、大人でも…

でも、勉強がすべてではないのは重々知っています。けれども、現代の日本では勉強が出来れば、選択肢が広がるというのも事実でもあります。

3歳に九九というのは意味を感じられないとは私は思いませんがね。このくらいの子が言葉の意味をわかっているのかというと、必ずしもそうではないと思います。ぶっちゃけ、本来九九を学ぶ小2でさえも、本当の意味などわからないのではないでしょうか?

小学生のような計算という形ではなく、歌で楽しくの中に少しだけ学習のエッセンスが混ざっているという感じのスタンスなんで、絵本や歌を歌うのと一緒なんで、同じことだと思うんですがねぇ…

お礼日時:2008/08/11 22:48

「子どもが楽しみながら学習すること」ってのは、言葉としてよく使われるけど、これってけっこう曲者じゃないかね。

なぜって、本当に小さい頃の子供ってのは、「自分が楽しいからやる」ように見えて、実は「そうするとパパやママが喜ぶからやる」のだったりするんだよな。

パパやママが悲しい顔をするのがイヤだからやる。それを大人が見て「ほらほら、自分からすすんで、楽しみながらやっているのよ」なんていってる。そういう構図、ないだろうかね? そんな小さな頃から、親の顔色を見ながら育ってる、そういう子にしてしまっている。まぁ、すべてがそうとはいわんよ。ただ、今までの知り合いで、幼い頃から教育熱心だった親子を思い出すと、なんかそういうふうに見えちまったんだよな。

そんなもんで、オレのところは、ただ公立の教育熱心でもない、どっちかというと「子供のうちは、とにかく思いっきり遊ぶのが一番」というスタンスの公立幼稚園に入れてる。塾だの何だのにもまったく通わせてない。チビは幼稚園から帰ってくると、すぐさま公園に行って、赤ちゃんだの小学生だのに混じって毎日遊んでる。

それがな、不思議とこの1~2年ぐらいで、驚くほど成長してるんだよな。気がつけば年長さんで、ひらがなもカタカナも、簡単な漢字も読めるようになってる。どうやら小学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんと混じってるうちに、自然と覚えたらしいんだな。何にでも興味を示すようになって、うちにある大人用の事典や百科事典をせがんで開いてもらって熱心に見てる。ほとんど読めやしないだろうに……と思ってると、「これなに?」とかいってあれこれと覚えちまう。

なるほどな、と思ったな。塾に通わせたりするのも一つの道だろう。だがね、子供の頃には、その頃にしかできないことってのもあるはずなんだよな。それは、いつになったらやらせてもらえるのかね? 小学生になったら自由に遊べるのかい? 早期教育に熱心な親が、小学校にあがったら「さ、もう塾はおしまいよ」というとは思えないんだよな。小学校、中学校、高校、大学に入ってようやく自由になって、その頃になって「3~4歳の子供の頃にやっておくべきだったこと」をやれるんだろうか?

「子供の頃にやるべきこと、そんなものはない」というなら、まぁいいさ。あるいは「そんなのは、毎日2時間あれば十分です」とかいった考えの人も、まぁいるだろうさ。が、オレは「起きてる時間は全部それに当ててやりたい」と思うんだよな。いや、本当をいえば、それでもまだ足りないぐらいに感じちまうんだが。

とある幼児向けの本に、こういうことが書いてあった。「塾や習い事に通わせるというのは、そのぶんだけ親が子育てから手を抜いているのだ、ということを忘れてはならない」とな。オレは、なんとなくいわんとすることがわかった気がした。習い事をする、というと、なんだか親として立派なことをしているように錯覚しちまってないか。そうじゃないだろ。本来ならば親がやるべきことを、プロの他人に任せてる、ってことだろ。「オレは手を抜いてるんだ」という気持ちを忘れちゃならないと思うんだよな。おせっかいかね、これは。
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この回答へのお礼

深い話ですねぇ。なるほどと思って読みました。ありがとうございます。

「他人に預ける=手を抜いている」ですか。深い言葉ですね。一理あると思います。しかし、私自身はそれを自分でやろうと思っていますが、いかんせん「父親はやるけど、母親はやらない」みたいになるのもいやなんで、出来れば夫婦でその辺りの意見を共有化したいんですがね。しかし、現実問題お互いの意見は交わることは無く、平行線状態です…なかなか夫婦で意思統一するって難しいと、最近しみじみ思います。

でも、logger_manさんが言った
「そうするとパパやママが喜ぶからやる」、これだけは気をつけなければならないっと思いました、しみじみ。秋葉原連続殺人事件の容疑者がそうだったみたいですもんね…

お礼日時:2008/08/11 22:39

小さいうちは色々な事を吸収しなければならないため、そこが疎かにならないようにという事でしょう。


ちょっと教えるくらいなら良いと思うし、色々聞いてきたら喜んで教えるべきだと思うけど。
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この回答へのお礼

やっぱりそう思いますよね。私もそう思います。ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/11 21:57

私はどちらかというと「教育熱心」であったり「関心が高い」ことはいいことだとおもっています。



でも産業としてあるような「早期教育」には疑問をもっています。
例えば赤ちゃんにドッツをみせたり、英語のDVDをみせたりするのには意味を感じません。

私自身は早期教育に興味をもっていろいろ調べていました。
できれば子どもには2歳までにひらがなを覚えてほしいとおもっていました。

しかし1歳半ごろから、他の子とのできる・できないの個性をみておもっていったこと・・。
まずは幼児なりにでも人としての自立が先。

食事がひとりでできる
すわってたべられる
片づけができる
あいさつができる
順番をまもれる
トイレにいける・・・
などなどたくさんあります。

そういうものができてはじめて、じゃあもじを教えるんじゃないかなという気がして方向修正しました。

絵本作家の五味太郎さんは「絵本は読み聞かせをしようとしなくてもいい」といっていました。
五味さんがいうには「子どもがよんで」ともってきたら読めばいい。
なるほどと思いました。
これが子どもが自ら楽しく学習する、じゃないでしょうか。

これが某教育システムだと1日10冊読むのはノルマ化されているんですよね・・・。
これは親が教えている、状態ですね。

要はいろんな本(環境)を用意しておく、親はそれを子どもがどうするのか見守るというのが一番なのかもしれませんね。

そしてその場合「親が本が好き」という要素は必要ですね。
親の本を読む姿をみせてはじめて子どもも興味をもつのでは?

学習そのものは悪くないと思いますが、その方法ですよね。
子どもが学びたい時に、楽しく学べるならそれはよいと思いますよ。
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この回答へのお礼

深い話ですね。ありがとうございました。

うーん、何と言っていいんだかわかりませんが、結局は楽しく学べるんだったら、それでいいですよね。

確かにノルマにするのはどうかとは思いますね。でも、昨今の「子どもがうるさいから、ビデオをみせとけ!」みたいな放置教育をしている方もどうかと私は常々感じています。

その辺のサジ加減も難しいですね。勉強になりすぎず、「楽しく学ぶ」っというのがね。

うちは三歳で九九マスターが目標なんですがねぇ。

お礼日時:2008/08/11 22:18

机に向かうだけが勉強ではないですよ。



友達と遊んでコミュニケーション能力を学ぶ
友達と喧嘩をして人の痛みがわかるようになる。
生き物を飼って命の尊さや重さがわかる。
砂遊びや玩具遊びで想像力が豊かになる、達成感を得る。

持論ですが子供にとっては遊ぶことが必要な勉強だと思っています。
そして、子供の頃に培ったことが将来必要になってきます。

大人になり、知らないことを人から聞く(コミュニケーション能力)
聞いたことを自分なりに噛み砕いて理解する(想像力)

これが出来る出来ないで大人になってからの成長に差が出てくると思います。
机でしか勉強していない子供は、机でしか情報収集が出来ない大人になってしまい、やがて成長は止まってしまうでしょう。


気をつけなければいけないのは、子供は善悪の判断が出来ないため外から何でも持ち帰ってきます。
例えば、差別用語や人を罵倒する言葉など。
親はフィールターとなって善い物と悪い物をちゃんと判断してあげましょう。
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この回答へのお礼

あろがとうございます。0歳が机に向かうわけが無いので、そうは思います。

遊びの中で学ぶのが幼児教育だと思います。正直机に向かうようになるのは小学生になってからだと思うので、その辺だけ違和感はありますね。「勉強=机で学ぶ」ではないですからねぇ。

親がフィルターになるのは確かにそうですね。同感です。

でもちょうとストライクゾーンから話が外れているような感じのレスですね。

お礼日時:2008/08/11 22:22

私は子供にはガチンコの受験競争で勝ち抜いて東大京大に行って欲しいですし、


その目的を達成するための効果的な方法も知っています。
その過程で小学生以前にいわゆる「机の上での勉強」をすることは、
優先順位として下位になり、
むしろ、あなたの奥さんのように下手をすると害悪にすらなります。

結論として、あなたからみたら私は「のびのび教育」派になると思いますが、
私は「早期教育」なんて無駄なことを子供の貴重な時間を割いてさせられない、
と考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私自身、子に机に座らせて勉強させる気は毛頭ありません。

幼児の早期教育を誤解なさっているのでは?子どもにそんなことを強要したって、机に座らないと思いますしね。

無駄にはならないと思いますよ。基本は遊びの中でやることなんですから。

お礼日時:2008/08/11 22:13

幼児期にゆとり教育もくそもないでしょ。



いろんな物に触れたり、
親や友達と遊んだり喧嘩したりして、
感覚的な物を養える大事な時期じゃないでしょうか。

もちろん、早期教育で養える事もあるでしょうが
そのような事を施さなくても、
まだ幼い内は学ぶ事、覚える事がたくさんあると思います。
それらを削ってまで教養、教育的な知識を教え込む必要はないと考えます。

教育は本人に意欲がありさえすれば、
小学校からでも中学校からでも施す事が出来ますしね。
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この回答へのお礼

いまいち理解できませんが、ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/11 21:57

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