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明治維新の時に天皇が神格化されて1945年に敗戦するまでは
天皇はずっと神聖不可侵の神と見なされてきたという事がよく言われます。

しかし明治以前、例えば「太平記」などを読むと、天皇は非常に人間くさいイメージがあります。
後醍醐天皇が勝手に足利尊氏と和睦しようとして新田義貞からたしなめられて反省したりとか。
高貴な立場ではあるのですが、必ずしも立派な人間ではなく、神聖不可侵とは違う感じがします。

喩えとして適切か分かりませんが、「狐」という動物を「お稲荷様」という神様として尊ぶ反面、
そうは言っても動物は動物だよね、という感覚も持っているのに近いのかな、と思ったりします。

で、明治以前の一般人が持っていた天皇イメージは、大体そういう感じだったんじゃないか?と想像しています。
だとすると、明治政府がいきなり「天皇は神聖不可侵の神だ」と宣言しても、
一般人の天皇イメージがいきなり変わるとも思えないので、
「政府がそう言ってるからそういう事にしとくか」ぐらいの感じだったのでは・・と思ったりします。

天皇=神聖不可侵の神というイメージは、一般人にどれぐらい浸透してたんでしょうか?
明治維新の頃はあまり浸透してなかったけれども、時間が経つにつれて浸透して行ったんでしょうか?

A 回答 (5件)

>天皇=神聖不可侵の神というイメージは、一般人にどれぐらい浸透してたんでしょうか?



明治から昭和の20年頃までの天皇に関する教育で重視すべきが「教育勅語」だと思います。「教育勅語」の明治23年の発布が大きな影響を与えていると思います。

教育勅語の内容について、
http://shupla.hiho.jp/datas/theImperialTermOfEdu …

また、その頃の天皇のあり方、軍事教育においての宗教的教えられ方が出ています。http://blog.livedoor.jp/abukuma_academy/archives …

教育勅語を教えられたことによる影響
http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/heiwa/sensi …

私自身は戦後生まれですが、高校1年の倫理社会の時間に「教育勅語」を授業で習いました。その時は教えられるまま、どのような意味かはほとんど分りませんでした。
また、私の母は昭和一桁生まれで小学校で歴代天皇の名前を朝礼の時に毎朝暗唱させられたといって、それを聞かされた時はびっくりしました。
小学校の頃にお年寄りの居るお友達の家に遊びに行くと、ご先祖の写真と一緒に天皇と皇后のお写真が飾られている家が結構ありました。
小学校の玄関には皇太子ご成婚を描いた壁画もありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
教育によって地道に浸透していったんですね。

そういう教育を受けていない親の世代(江戸時代生まれ)と、
学校で「天皇=神様」と教えられた明治時代生まれの子供では、
話が合わなかったんじゃないですかね。

子供「天皇陛下は神様なんだよ!」
親「ふーん、そう(あんまり興味なし)」
みたいな。

家庭に天皇の写真を飾るのは、政府が奨励してたんでしょうか。
天皇=神聖不可侵の神というイメージを浸透させるために、
家庭とか学校とか地道なところからイメージ戦略をしていったという感じですね。

お礼日時:2008/08/13 11:53

ANo.2です。



>そういう教育を受けていない親の世代(江戸時代生まれ)と、
学校で「天皇=神様」と教えられた明治時代生まれの子供では、
話が合わなかったんじゃないですかね。

>子供「天皇陛下は神様なんだよ!」
親「ふーん、そう(あんまり興味なし)」
みたいな。

江戸時代の江戸において天皇とはおそらく神話や神事を通しての姿の見えない神の存在だったと思います。
それが、明治時代(の東京)になって、明治天皇のお姿になって神が国民の前にお姿を現されたと言う感じではなかったのでしょうか。
ですから、親子の間での会話での違和感は無かったと思います。

江戸時代の天皇の存在について
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3108259.html

日本は戦前まで儒教の影響が残っていたり、軍国主義もあって、縦社会で、父親、目上、先輩、上司等の言うことは絶対で、自分の家の地位もはっきりしていてました。
また、地域ごとの横の人間関係もたいへん強いものでした。
例えば戦時中にある家の息子が出征するときは地域の者達が見送り、「天皇陛下万歳」とか「日本国万歳」とか声をあげていると、人間は洗脳されて行くのです。また、そういう中でも、母親や恋人(陰に隠れて見送った)は人前で、「生きて帰って来て」とは絶対言ってはいけなかったそうですし、人前で涙を流すことさえ許されなかったそうです。そういう行為をすると非国民と非難されたからだそうです。こういう社会では、友達だと思っていた人に密告されたりするのが当たり前なのです。

昭和三十年頃家に天皇や皇后の写真を飾るのはそれぞれの自由だったと思います。それこそ、カトリックの家にキリストの十字架があったり、ローマ法王の写真があったりするのと同じことだと思われます。ただし、戦中までは義務であったどうか分りかねます。

学校での天皇教育
http://blog.katei-x.net/blog/2008/02/000446.html

皇室が人間くさいイメージに変わってきたのは今の皇后様が嫁がれてから、TVで皇室の生活が紹介されるようになったなど、時代とともに社会の変化もあると思います。
「君が代」について
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2794311.html

この回答への補足

ふと思ったんですが(最初の質問を逸脱してしまいますが)、
明治以前だと、例えば豊臣政権が倒れて徳川幕府が確立された時でも、
天皇を絶対神として担がなくても政治運営は上手くやれてましたよね。

徳川幕府が倒れて明治政府になった時も、
最初は天皇を錦の御旗にする必要はあったでしょうけど、
天皇をずっと絶対神として担ぎ続ける必要はあったのでしょうか?

最初に担いでしまった以上、後になって神輿から下ろす訳にもいかない、
という感じだったんでしょうか。

日本って昔から、絶対神がいなくても困らない国ですよね。
そこに絶対神を残さないといけなかった必然性って何なのかなと。

補足日時:2008/08/14 22:51
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この回答へのお礼

毎度ありがとうございます。
参考ページを挙げていただいているので分かりやすくて助かります。

江戸時代も、天皇は権威はなかったにしても、
神様とつながっている人だという認識はあったわけですね。
細かい違いがあるとすれば、
・江戸時代=昔ながらの神道とつながっている人
・明治時代=唯一絶対神
みたいな感じでしょうか。

写真を飾るのは自発的にそうしてたんですね。
どこの家にでも神棚が飾ってあるような、そんな感覚なのかもと思いました。

お礼日時:2008/08/14 22:33

天皇の神格化は確かに明治維新以降に始まったものですが、少し誤解があるようです。



江戸時代に徳川幕府が実力を有していた初期は天皇は単なる宮司のような待遇で庶民にとってはなんの影響もありませんでした。

しかし幕末頃になると幕府の実力も衰退し、幕府に代わる権威が必要になって天皇を利用せざるをえなくなったのです。
そして明治維新となり、当時の政府はその権威付けのため天皇の神格化を考えたのです。
そして教育現場で熱心に普及に努めました。
教育勅語、軍人に賜りたる勅語、などあらゆる手段で徹底的に教育したので一般庶民に浸透し天皇を神と信じて疑わなくなりました。

このような信仰がなければ命を捧げることもなく特攻も理解できないでしょう。

この回答への補足

勝手な推測ですが、幕末の一般人が持つ天皇イメージって、
その人がどの藩に住んでるかで左右されてたんじゃないでしょうか。

例えば尊皇派の藩(長州藩とか)だと、
郷士のような下級武士が「日本には天皇という偉い人がおってな・・」などと
お城で聞いてきたことをそのまま一般人に喋ったりして、
「天皇=偉い人」という認識が一般人にも広まったのでは、とか思いました。

尊皇派じゃない藩だと、一般人にそういう話をする人がいないから、
「天皇=偉い人」という認識はあまり広まらなかったのではないかと。
(想像なので根拠は一切ありませんが・・)
どうなんでしょうね。

補足日時:2008/08/14 22:01
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
幕末に天皇を利用したというのは、
ドラマ篤姫でやってる公武合体とか尊皇攘夷運動のことですよね。
武士たちの間で天皇が利用価値の高い存在として引っ張り出されてきた時に、
一般人(町人とか百姓とか)はそれをどう見てたんでしょうね。

お礼日時:2008/08/14 22:00

不敬罪と言う物がありまして、


天皇を風刺すると刑務所に入れられました。

ですので、おおっぴらには公言出来なかったのです。
(北朝鮮やナチドイツ)

家茂に嫁いだ和宮様が偽者であったと言う噂は大いに広まりました。
これは、イギリス王室のスキャンダル並です。(有名人)

現在では少数派ですが、祝日には必ず日の丸を玄関に飾っていました。
天皇陛下万歳と声を大にして唱えていました。

天皇=国家=国土
であったと思います。

また、日清、日露と戦争による解決手段を講じています。
神国。日本はアジアのリーダーと認識していた人間が多いです。

恐らく、
北朝鮮で生まれ生きていなければ、北朝鮮人の気持ちは理解出来ない
ように、右翼の気持ちは左翼は永久に理解する事は出来ないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大っぴらに言えないものの、信じてない人も一杯いたんですかね。

あるいは、イメージとしては理解しているものの、具体的にだからどうした、
という事まではあんまり考えないというか。

一般人にとっては普段の生活に直接関係ないことは
「それならそれでいいや」程度だったのかも知れないですね。

お礼日時:2008/08/13 12:04

当時生きてたわけじゃないので想像ですが・・・(^^)。


明治憲法(大日本帝国憲法)が公布されたのは明治22年ですから、維新からだいぶ経っていたわけです。
明治維新から政府は当然天皇絶対主義を奉じて来たのですが、20年を経てその思想が「天皇は神聖にして侵すべからず」に明文化されたのでしょう。
江戸時代は庶民は徳川様の幕府のことは知っていても「天皇」などというのは存在さえも知らなかったのではないでしょうか。
それが明治維新から明治憲法の制定によって一気に「絶対君主」として祭り上げられていったのだと思います。

この回答への補足

一般人が天皇のことを知らないとなると、幕末の尊皇攘夷運動って、
実は武士階級が盛り上がってただけで、一般人はそんな興味なかったんでしょうか?
大河ドラマの篤姫で「公武合体すれば幕府の権威を取り戻せる」と井伊直弼が言ってましたが、
一般人が天皇のことを知らないとなると、公武合体しても大した権威付けに
ならないような気もするのですが・・どうなんでしょうか?
(最初の質問と中身がズレてしまいますが)

補足日時:2008/08/13 11:23
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、明文化して示さなければ一般人には伝わらないですよね。
参考になります。

お礼日時:2008/08/13 11:23

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