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私の家はおそらく仏教信仰なのですが、そもそも宗教とはいったい
何なのでしょうか。
私自身は信仰宗教はなく、これからも作るつもりはないのですが、
なにか問題があったりするでしょうか。
テレビなどでよく目にしていた、細○数子さんのような占いも
宗教の一種なのでしょうか。
祖母がいつもお経をあげていましたが、それは
なにか意味をなすのでしょうか。
また、交通安全のお守りなど神社でもらってくるお守りもそういう
宗教が関係したものなのでしょうか。神社や寺だと仏教なのでしょうか。
粗末に扱うとよくないと言いますが、たたりなどというものは本当にあるのでしょうか。

A 回答 (6件)

素朴で素直な質問ですね。



>>私自身は信仰宗教はなく、これからも作るつもりはないのですが、
なにか問題があったりするでしょうか。

人生、順風満帆に過ごせて、年取っても元気いっぱい。つまりは、学校でも、成績優秀、スポーツ万能、就職しても、結婚してもなぜかうまくゆく。家族もみんな優しいし、同僚も上司もみんないい人。老人になって、ある日の朝、突然死であの世ゆき。
こういう人生であれば、宗教は不用かもしれません。

でも、現実は、生まれてくる家庭が貧乏で、食事も満足に与えられない、欲しい物も買って貰えないことあります。家庭内虐待や学校、職場でのイジメがあるかもしれません。時には、数十年の苦労をして築いた財産が、地震や火事等の天災でゼロになるかもしれません。また天災なら諦めはつくとしても、秋葉原の無差別殺人のような犯罪に、自分の子供や最愛の人が巻き込まれて死ぬかかもしれません。

また、昔の有名人のように、哲学的な問題を考えすぎて、滝壺に飛び込みたくなるかもしれませんね。

不幸な状態につけこむって感じもしますが、宗教はこういう状態の人を救う力があります。

>>テレビなどでよく目にしていた、細○数子さんのような占いも
宗教の一種なのでしょうか。

まあ、そうです。でも、「良い宗教」「悪い宗教」に分類したとき、だいたい90%以上が「悪い」に分類されるようです。TVで、その方の顔つきや言動をごらんになった経験があれば、どちらであるかはお分かりだと思います。

>>祖母がいつもお経をあげていましたが、それは
なにか意味をなすのでしょうか。

そのお経で語られている内容を理解していないなら、意味ないでしょうね。逆に、「これを唱えれば、楽してお金が儲かる。悪いことしても帳消しになる。」なんて思っていたら、マイナスな効果があるでしょう。

例えば、戦乱に巻き込まれて不幸な方たちを救いたい、でも難しい教えを理解する知力が彼らには無いってことがあります。それでも「彼らの気持ちを少しでも楽にしてあげたい!」って思った宗教家が、「○○を唱えれば、極楽に行けます」って、すごく安易な方法を生み出しました。
そういう宗教は、良い面もありますが、自助努力を無視する傾向があって、逆に死後、「念仏地獄」って地獄に落ちる人々を生み出しました。

>>また、交通安全のお守りなど神社でもらってくるお守りもそういう
宗教が関係したものなのでしょうか。

そうです。

>>神社や寺だと仏教なのでしょうか。

神社は仏教ではないですね。日本神道系だったり、石ころや大木とか、キツネ・蛇を拝む、自然崇拝・動物崇拝だったり、過去の偉人を神として拝む個人崇拝だったり、イロイロみたいです。

>>粗末に扱うとよくないと言いますが、たたりなどというものは本当にあるのでしょうか。

TVや雑誌、マンガ等で体験談が沢山紹介されていますように、実際にあるようですね。ある犯罪者のことを調べてマンガにしようとしたら、腕がうごきにくくなり、怪我が増えたり、家電品が故障するなど、イロイロと酷い目にあって、描きかけの原稿を燃やしたマンガ家さんもいます。もちろん、たたりだというものには、都市伝説的なものもあるでしょうね。
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<<そもそも宗教とはいったい何なのでしょうか。

>>

多くはある前提(確かめていないこと・根拠はわからないこと)を信じることが世間では「宗教」と言われるのだと思います。

稀なものですが。パーリ語を元とする大元の「仏教」は反宗教的な教えで、あくまで自己の理性を持って柔軟な見解を持ち、確かめ理性を増進させる、理性的な信を勧めます。

理性的論理的道徳的実証的を重んじます。

解らないことは解らないと・このような根拠を持ってこう思うというものはこのような根拠を持ってこう思うというものと・実感を伴って知ったことは知ったこととして…。

<<私自身は信仰宗教はなく、これからも作るつもりはないのですが、なにか問題があったりするでしょうか。>>

特にないでしょう。

理性を重んじるならパーリ語の仏典などはよく生きるために参考になると思いますよ。オススメしますテーラワーダ(上座)仏教で伝承されてます。確かめる道です。スマナサーラ長老の書籍やサンガ出版の「仏法」がオススメです。

<<祖母がいつもお経をあげていましたが、それはなにか意味をなすのでしょうか。>>

お経の内容と読む人の心構えによりますね。お経に理性的で道徳的なものが詰まっていて、その指針が示されているなら心を育てるために役に立つものになると思います。

この意味において慈経や慈悲の瞑想はオススメです。

<<また、交通安全のお守りなど神社でもらってくるお守りもそういう
宗教が関係したものなのでしょうか。神社や寺だと仏教なのでしょうか。>>

神社は神道ですね。

お守りお札は、宗教が生き残るために売り出した商品でしょう。それ自体に意味が有るかは解りませんが、買ったりあげたりする中で心に慈悲喜捨の念や明るい気持ちになれるのであれば意味の有るものにもなることもあるのかもしれません。

<<たたりなどというものは本当にあるのでしょうか。>>

心の業によっての果しかでないと考えてます。

恐れなどがあってビビってしまえば「怒り」の感情にあたると思いますので、それに相応しい結果が出るだけだと。

粗末に扱うことで怒る人が身近にいたらその影響も受けそうですね。

何でも丁寧に扱ったほうが良いでしょうが、「たたり」が有るとは思いません。
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宗教というのは、規範であり価値観であり、道徳基準でもあるものです。


私たちは産業革命後の社会に生きていますので、科学を基準にした価値観や道徳基準をもっているために、宗教とは何だろうと考えてしまうのです。

科学を基準にした価値観や道徳基準を説明すると、
まず科学は実験をして誰でも同じ結論にたどり着くことを前提としますので、神様や宇宙人は「いない」もしくは「いるかどうかわからない」ということになります。
道徳基準で言えば、人間の死について、心臓が止まったときなのか、脳死状態なのかの論争が続いています。

このような価値観(物の見方)を持つ私たちから見れば、宗教はとても不思議なものに感じます。

しかし高々200年ほど前までは、世界中で科学というものがきちんと存在せず、他の価値観・規範・道徳基準があったのです。
それが宗教の源です。
どうして宗教ができるかというと人間は「なぜ?」という疑問を押さえられないからです。
科学があればあらゆる自然現象を科学的に解明します。たとえば太陽が24時間でまた日の出になったり、月が欠けたり、365日で季節が一周することを説明できます。
しかし科学が無い時代は、それを神様が定めたルール(一神教)や太陽の神が地上のものを困らせないように毎日仕事してくれている。などと説明するのです。

これが原点で、このような説明がうまくいくと、次には人間社会の色々なものを説明しようとするのです。たとえば姦淫はいけないとか、親を敬うこととか、泥棒してはいけないとかです。
旧約聖書をルーツに持つ宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム教)などは、モーセの十戒として上記のことを神から与えられた(神と約束した)ルール・道徳基準として人間が守らないと、神も人間を保護しないと約束しています。
日本の場合は、仏教思想でいえば不道徳は地獄に落ちるといわれますし、神道的な考えだとどこかの神様が罰を与える、ということになるでしょう。

人間社会は当然ルールが必要です。しかしいつの時代も「俺は守らない」と言う身勝手や、「何で守らなくてはいけないの?」という疑問が付きまといます。これをきちんと説明し納得してもらうのは大変なので、超自然的な力(神)を創造して、ルールを徹底するともいえます。

これが宗教のもともとの考えです。「信じれ」ば細きサンでも宗教といえなくもないでしょう。

さて「信じる」というのは実に問題で、信じない人もいることが多々あります。これが宗教の限界で、人間社会には法律というもう1つの規範体系があるのです。
しかし、ちょっと考えると分かるように、イスラム社会の法律はイスラム教の価値観を取り込んでいますし、日本は日本的な宗教観をとりこんでいます。

たたりなどは、信じればありますし、信じなければありませんよ。
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「神は我が心にあり」


 「鰯の頭も信心から」
人が心安らかに暮すために、その手段として「信仰」を選ぶ場合があります。
 お寺や神社・占い・お経・お守り等は、その手段の一部であると思います。
「たたり」 有ると思えばありますし、無いと思えばありません。
 しかし、粗末にする事はそれを大切に思っている人に対して大変失礼な行いであると思います。
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>宗教ってそもそも何なのでしょうか


信じる人の心の安らぎ、よりどころです。基本は、他人に対しての問題ではない。ただ、収益や構成員を増やしたい本部や、自分がこれだけ満足してるからと言う無駄なおせっかいで、他人も巻き込もうとすることがあります。

>これからも作るつもりはないのですが、なにか問題があったりするでしょうか。
いらないならいいのでは?
ただ、死んだあとの処置については意向を残しとかないと、適当な宗派で終わらせられちゃいますよ。

>占いも宗教の一種なのでしょうか。
同じです。形ないものを信じて、それに頼ろうとしてるわけですから。要は、宗教かどうかというのは、本人たちが宗教と名乗ろうとしてるかどうか、宗教法人の認可を受けているかどうかというぶぶんだけでしょう。

>祖母がいつもお経をあげていましたが
まあ、お念仏を唱えれば幸せになれるという宗派もありますからね。おそらく意味を理解してると言うより、昔からそうしてた、お坊さんがそう言ったということで、実行してるだけでしょう。
まあ、その「おつとめ」が精神修養の一端ではあるわけで、そういう意味では、自分科したノルマをこなすのは、いいことです。

>神社でもらってくるお守りも
神道という日本固有の宗教の札の類ですね。完全な宗教的なものです。ただ、今の日本人の多くは多宗教信者ですから、深く考えずに買ってると思いますが。
なお、寺でもらうのは佛札ですが、近年は商売が上手いお寺さんも多く、神社と同じようなお守りを売ってるとこも少なくありません。

>たたりなどというものは本当にあるのでしょうか。
結局は、そういう精神修養という意味合いがあるのですし、それで受けたものを粗末にするというのは、問題はあるでしょう。直接祟るかどうかはともかく。
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宗教とは、自然科学が未熟だった時代の、生活倫理だと思います。



ブッダやイエスは、良いことをたくさん言っていますが、その後の自然科学の発達は考慮されていません。

神社はインドからやってきた仏教ではなく、もともと日本にあったレベルの低い原始的な宗教です。

たたりはありません。わたしの祖母は平然と正月のしめ縄を、ゴミ収集車に突っ込みますが、今年で米寿(88歳)ですよ。

本当は宗教は人間が作ったものなのに、その宗教に人間が振り回されている----こういう状況を哲学的には物象化と言い、本家本元は、フォイエルバッハという哲学者です。ただし、法学者フォイエルバッハもかなり著名ですから、混乱を避けたほうが良いでしょう。

細○は、たんなるタレントです。女性には占い好きな人が多いこと、毒舌でテレビ向けなので人気があることだけが、とりえです。ライブドアに強制捜査が入った年の正月特番では、ホリエモンにむかって、今年はホリエモンにとって大躍進の年になると言っていました。全然、当たっていません。

お婆様の件については、どの宗派か分からないのですが、「かんじーざいぼーさつぎょうじん」「はんにゃーはーらーみーたーじー」「ぎゃーていぎゃーてい、はーらーぎゃーてい」などと言っていたら、真言宗の家系である可能性が高いでしょう。他方、「なんみょーほーれんげーきょう」は日蓮宗、「なむあみだぶつ」は親鸞宗などの可能性があります。
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