1972年までアメリカ軍に占領されていた沖縄県の, 当時の生活を教えてください!
1972年までアメリカ軍に占領されていた沖縄県の, 当時の生活を教えてください!
例えば一昔前の香港やマカオと同じで, 教育体制や郵便など占領国アメリカの指示に全て生活体制は従っていたのでしょうか?
そういう実例を色々教えてほしいのですが--。
回答(2件)
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No.2ベストアンサー10pt
沖縄県が『沖縄 苦難の現代史』〔同時代ライブラリー〕という本を出して
います。当時の生活などが具体的に書かれていて、読みやすいですよ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E8%8B …
この回答へのお礼
そんな本を沖縄県が出しているんだ--。
図書館で探して見てみます。
No.1ベストアンサー20pt
返還 1年前に旅行してきました。
通貨はドルでしたね。
事前に国内の銀行で円からドルに両替、帰ってきたときに余ったドルを円に再び両替。
両替のたびに 1ドルにつき 4円か 5円ほどの手数料を取られました。
1ドル 360円の固定相場制の時代です。
パスポートに代えて専用の「身分証明書」が必要でした。
【本土と沖縄の間を旅行する日本人であることを証明する。内閣総理大臣】
と書かれています。
ときの総理は佐藤栄作。
パスポートではないということは、「国内」でも「外国」でもない微妙な立場だったのですね。
「身分証明書」を取得するには、現地での身元引受人が必要でしたが、そんなの心当たりがありません。
交通公社 (JTB) にお金を払って、現地社員の名前を借りました。
羽田の医務室のようなところへ行って、予防接種もしてきました。
その証明書も手元に残っているのですが、全文横文字なので、何の予防接種だったのか分かりません。
たぶん、種痘だったと思います。
行きは東京晴海から琉球海運の船で二泊三日。
船内の売店では円とドル両方が使えました。
缶飲料などは100円か 25セント。
100円玉を入れようとしたら、同室になった人が
「25セント玉の方が安いよ。」
と教えてくれました。
25セント = 90円ですから。
現地での通貨は完全にドルです。
安いところしか泊まれませんでしたが、1泊16ドル 60セントという計算書が残っています。
約 6,000円ですね。
交通ルールもアメリカ式で、車はトヨタや日産でも左ハンドル。
バスに右側から乗るのがとても違和感を覚えました。
たしか、返還後 5年をめどに国内と同じ交通ルールに改められたはずです。
学校のことは分かりませんが、ふつうに日本語で国内と同じ教育を受けていたはずです。
当時から甲子園にも参加していましたが、負けた選手の詰めて帰る土が、植物防疫法に引っかかるということで、沖縄入港直前に海へ捨てさせられるという報道がありました。
5月の連休でしたが、ふつうに泳げました。
今ほど観光客もなく、トワエモアの歌じゃないですけど
「いまはまだ春 (もう秋)、だれもいない海・・・」
は最高でした。
はがきは 2.5 セント、手紙は 5セントでした。
先に国内の郵便局で「特別返信切手券」というものを20円で買って持って行くと、手紙分の切手 1枚かはがき 2枚と交換してくれました。
沖縄-本土間の郵便料金は、おおむね国内並だったということですね。
航空路はとうぜん国際線。
日航も飛んでいましたが、あえて外国機を選びました。
台北発ロサンゼルス行きのノースウエスト機で、那覇から大阪 (言うまでもなく伊丹) まで 1時間 40分、長距離列車に一駅間だけ乗ったようなものです。
機種は B-707 でしたが、エアポケットにでも入ったのか、田舎のおんぼろバスのように揺れて怖かった記憶があります。
団塊世代のオジサンの懐古話を失礼しました。
この回答へのお礼
こういうことは中学や高校では学びません。
生きた歴史の一段面です。
面白く読ませていただきました。
郵便はドルだったんですね。 琉球郵便と書かれた切手を見たことがありますが, こういう事情からだったんだ--。
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