その昔、稲、織物、焼物、文字、製鉄技術・・・いろいろな物が大陸から日本に入ってきたのだと思います。
そのころ、どうやって大陸の人と交流したのでしょうか?
先に渡来してきた人々が通訳として活躍したのでしょうか?
日本からは遣隋使や遣唐使が派遣され、大陸で活躍したようですが、
彼らは中国の言葉をどうやって習得したのでしょうか?
最新の文化・技術を習得するくらいなら、筆談のみならず会話能力もかなり高かったのではないかと思います。当時、英会話学校ならぬ、中国語会話学校が日本にあったのでしょうか?それとも、向こうに渡ってから習得したのでしょうか?
学校で歴史を勉強したときからの疑問ですが、
近頃その疑問が再燃しました。
気になって夜も眠れません。
(うそです。暑さで寝苦しいだけです。)
できれば、参考文献などを教えていただけると、ありがたいです。
参考文献がなくとも、学校でこういう話を聞いた、というのも歓迎です。
何かヒントになることがありましたら、お教えくださいませ。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
当然ながら、海外赴任する官僚・僧侶は国立大学で中国語を学んでいますし、僧侶はお経なども学びますから、知識人と呼ばれる方々は片言の中国語はできて当然です。
大学では経・算・書・音が必修科目で、音が中国語の発音になります。
これ以外にも紀伝という中国史も学び、音博士という教授が、経書を原典で教えており、遣唐使になるためにはこの音博士が試験をしますから、卒業生は今の東京外大卒くらいの実力はあったと思います。
込み入った話になると、通訳が必要なのは今も昔も同じですけど、基礎学力があるからこそ、空海のように唐に滞在1年あまりで、専門書も読めるようになったのでしょう。
初代、音博士は唐より招いた続守言・薩弘格の両名で、後期には私立大学(厳密にはちょっと違うけど)も開かれ、熱心に勉強されたようです。
回答ありがとうございます。
大学・・・。そういえば国の教育機関や私塾があったのでしたね。(遠い記憶。汗)そういえば、官僚登用試験なんかもあったはずで、中国語(漢文?)の試験は当然あったでしょうね。今と状況が似ていて面白いです。
漢文の素養は当然にあったと予想していましたが、発音もきちんと練習していたとは本当におどろきです。音博士ですか!!ネイティブ・準ネイティブによりみっちりエリート教育を施されたのであれば、留学生たちの会話能力は相当なものだったと想像できます。留学生たちが中国で活躍したという話にも納得できました。
No.6
- 回答日時:
>日本からは遣隋使や遣唐使が派遣され、大陸で活躍したようですが、彼らは中国の言葉をどうやって習得したのでしょうか?
遣隋使、遣唐使が中国の進んだ文明、技術を日本に持ち込みました。 彼らがどうやって中国に渡航したのかに興味があります。
西暦662年に百済が滅亡します。 それまでの一行は百済船の誘導で朝鮮半島に沿って進み、今の山東省に到着、到着後も百済の通事が一行を案内し、隋、唐の皇帝に拝謁しています。 アポも通訳もすべて百済政府がやってくれています。
百済滅亡後は大きく様変わりします。 朝鮮半島に沿っての航海は出来なくなり、東シナ海を横切って、現在の逝江省(せっこうしょう)寧波(ねいは)までの危険な長旅となりました。 台風に遭遇したり、沿岸の海賊に略奪されたりで大変な旅だったようです。 しかも、長安に入るまでの旅も入ってからのアポも自分たちでやらねばならなくなりました。
このようなわけで、八世紀に入ると計画があっても、再三中止になっています。 ある時など、プロジェクトの計画担当に任命された朝廷官吏がさぼって、そのままうやむやになりそうになりました。 桓武天皇からの催促にたまりかねて、当時私度僧(今でいえばニート)であった自分の甥を身代わりに差し出して計画を実行したこともありました。 誰も死ぬのは嫌ですからね。 この随員兼船の漕ぎ手として加わったのが有名な弘法大師、空海さんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E5%94%90% …
回答ありがとうございます。
そういえば、百済滅亡!記憶にかすかに残ってます。
百済は滅亡するわ、唐は衰退するわ、遣唐使のメリットよりもデメリットが大きくなってしまったのでしたね?日本史の授業が懐かしいです。
遣唐使廃止。日本ではその後国風文化が花開くのでしたよね。
漢文の素養は維持されても、中国語会話の必要性は低くなったとみてよさそうです。
最初は会話も結構OKだったけど、だんだん会話は難しくなり、時代が下ると筆談で交流するようになった、と理解しておきます。(雨森芳州なんかは会話もできたようなので、例外はあるのでしょうが。)
最初は会話も結構OKだったということがわかり、大変うれしいです。回答者のみなさま、ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
日本史の資料をひもといてみると面白いですよ。
たとえば、日本書紀の推古天皇15年の記事には次のようにあります。秋七月戊申の朔庚戌、大礼小野臣妹子を大唐に遣す。鞍作福利を以て通事とす。
あの有名な遣隋使小野妹子には鞍作福利(くらつくりのふくり)という通訳が付き添っていたことがわかります。また当時は通訳のことを通事と呼んでいたこともわかります。
岩波文庫の「旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝 新訂 中国正史日本伝 2」もお勧めです。いろいろ面白い記事が載っています。
特に面白かったのは日本の僧ちょうねんのことです。
「雍(九八四)熙元年、雍熈元年、日本國の僧ちょうねん、其の徒五・六人と海に浮かびて至り、(中略)、然れども隷書を善くすれども華言に通ぜず。 其の風土を問うに、但だ書を以って對(こた)えて云う・・・」
漢字を書くのは得意だったが中国語会話はさっぱり、それで筆談で用をすませたというのです。偉い人は通訳を付き従えていたけれど、一般の者にはそれもかなわず、筆談に頼ることも多かったようです。百済の王仁以来、日本には多数の経典、漢籍が伝わっていて、漢文の学習は比較的容易であったものの、会話となると機会は少なかったようです。
ちょうねんの記事を読むと、5.15事件で暗殺された故犬養首相が中国革命の立役者孫文と漢文で筆談したことなどを思い出します。かって、日、中、韓、で教養ある人はみな漢文をよくし、自由に筆談が出来ました。
興味深いエピソードを教えていただきありがとうございます。
時代がくだるにつれ、中国語の会話の学習は難しくなったのかもしれませんね。1000年あたりで、中国語会話の習得は難しくなっていたというのはおもしろいです。昔習った歴史の知識もいろいろ思い出してきました。
最近は、中国において漢字の表記(?)が変化し、日本においては漢文学習の減少があり、筆談は難しくなっているのかもしれませんね。私自身、漢文はさっぱりです。。。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
2番ですけど、補足すると大学での中国語教育はかなりレベルが高く、発音も正確に話すことが求められ、先に書いたように遣唐使に選ばれるにはテストもありますから、僧侶も含めてかなり高度な中国語会話能力はあったと思います。
これに対して、一般民衆(商人とか)は呉音・和音という、いわば耳で覚えたような和製中国語もあったようで、今で言う「ルー語(ルー大柴の怪しい和製英語)」のようなものを使っていたようです。
再びの回答ありがとうございます。
読み書きOK。しゃべりもOK。しかも難しい内容で。。。
ふぇ~。エリートですねぇ。
中国でも重用されたというのが理解できました。
十分な言語能力を習得したうえ、
少数ではあれ通訳までいたというのですね。
みなさんのおかげで、十年来の疑問が解消されました!
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
オランダで、「英語、オランダ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語が話せる」って人と会ったことがありました。
そのうち読み書きができるのはオランダ語と英語だけだそうです。ドイツ語、フランス語、イタリア語は話せるだけなんですって。どこで習ったのか聞いたら「子供のときにドイツ系の子とかフランス系の子とかイタリア系の子とかが友達にいて自然に教わった」んだそうです。
タイやフィリピンの観光地では英語をしゃべるみやげ物売りの少年なんかがいます。彼らはそもそもロクに学校に行けず母国語の読み書きすらままなりません。そんな彼らは「生活のため」に英語を身につけたんです。子供ってのは頭が柔らかいですからね。
当時は九州から朝鮮半島、沖縄、台湾へと続く「海の交流路」があって、そういったところではお互いに「行き来」が盛んだったのです。そうすりゃお互い必要がありますから、バイリンガルなんかも増えるって寸法ですよ。
回答ありがとうございます。
私の友人にもいます。そういう人。。。
彼が言うには、「ドイツ語がしゃべれると、英語は簡単で、オランダ語もにたようなもの。フランス語がしゃべれるから、イタリア語はしゃべることはできないけど、相手が何言っているかわかる。簡単なことだよ。」とのこと。うらやましい限りです。
その昔、生の交流があったのであれば、ブロークンな外国語をしゃべれた人は今より多いかもしれませんね! でも、専門知識を学ぶとか、高度な文化交流って、ブロークンな言語じゃ歯が立たなくないですか?言葉ができないと、相手になかなかしてもらえないだろうし。。。
私、日本語でも専門書を読むと理解できずに眠くなります。苦笑
No.1
- 回答日時:
大化の改新くらいまでの朝鮮半島の諸国との交渉に関しては、日本に定住している「渡来人」と呼ばれる「元朝鮮半島人」が通訳をしていたようです。
これについては記録は特に残っていないはずです。遣隋使や遣唐使の場合は、使節の中に「訳語」という職名の「通訳官」が入っていました。この「訳語」には、唐の言葉の通訳に加え、南方に流れ着くことを考慮して、南方の国の言葉もある程度使えることが求められたようです。
回答ありがとうございます。
「訳語」で検索すると、でてきました!
この時代にも通訳さんがいたのですね。驚きです。
「奄美訳語」というのがあり、これがご指摘の南方系の言葉でしょうか。奄美が異なる文化圏に属していたことを感じることができました。
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