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豊臣政権末期で、徳川家康が「内府」と呼ばれています。どうして内府と呼ばれていたのでしょうか? 国内の政府の代表だからですか? 家康以前にこの様に呼ばれていた人はいたのでしょうか?

呼び方(読み方)も「ないふ」と「だいふ」とあるようですが、どちらが正しいのでしょうか?

「内府」があるならば、「外府」「小府?」等と呼ばれたりした人がいたのでしょうか?

宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

「内府」とは朝廷の官名「内大臣」の漢名です。


徳川家康は「内大臣」の命を受けていたので、「内府」と呼ばれました。
豊臣秀吉のことを「太閤」と呼ぶのも、
「太政大臣」の官名が「太閤」だから。
ということだったかと。
中納言のことを「黄門」と呼ぶとか。
(水戸黄門ですね)

尊称として呼ぶときに、中国由来の呼び方をしたと思われます。
たしか、総理大臣のことを「首相」とよぶのもそういう意味合いですね。

外大臣はいないから、外府と呼ばれた人は、いないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>中納言のことを「黄門」と呼ぶとか。
ウーム、そうゆう事だったのですか。知りませんでした。

お礼日時:2002/12/12 21:43

みなさんの回答に「屋上屋を重ねる」形になりますが...


目上の人に対し名前で呼ばないのは、「日本語の習慣」ですね。でも、それは昔に限ったことではありません。今でもそうです。

徳川家康へは、「家康殿」と呼びかけることはなくて「内府殿」となります。
織田信長へは、「信長殿」なんて呼ばなくて「右府殿」。
豊臣秀吉は、「秀吉殿」ではなく「太閤殿下」。

でも...
小泉純一郎総理大臣は、「純一郎さん」でも「純ちゃん」と呼ぶのは街のオバちゃんくらいで、あらたまった席で面と向かって呼びかける時は「小泉総理」や「首相」です。
扇千景国土交通大臣のことを、「千景さん」と呼びかけるマスコミはありませんね。大抵は、「扇大臣」か単に「大臣」です。
普通の会社でも自分の上司を「宗一郎さん」とか「耕一さん」とは呼ぶ人はいません。やはり「社長」や「部長」です。
..自分の親だってそうです。
自分の母親を「まなみ」とか「みさえ」と名前で呼ぶのは、くれよんしんちゃんぐらいなもので、普通は「母さん」とか「ママ」でしょう。

もし、当時の人が家康のことを「家康殿!」なんて呼んでいる現代のドラマを見たとしたら..きっとものすごい違和感を感じるでしょうねー。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>徳川家康へは、「家康殿」と呼びかけることはなくて「内府殿」となります。

信長が朝倉義景を攻めた時に、浅井長政が織田家との同盟関係を破棄して挟み撃ちのような状態になっていますね。大河ドラマなどでは、家康がしんがりを申し出た時に、秀吉など織田家の家臣たちが、「徳川殿は・・・」と言う様なセリフを言う事がありますが、あれは「三河殿は・・・」が正しいのですね。

お礼日時:2002/12/13 08:23

こんにちは。


概ね今まで書かれた方の回答でいいかと思うのですが。

昔の人たち、殊に官職を持っている人は名前で呼ぶよりも官職名(もしくは
姓+官職、名字+官職)で呼ぶ事が多かった様です。
有名なトコロでは「水戸黄門」「大岡越前守」「吉良上野介」などなど。

さて、「内府」ですが、これは律令制度に照らし合わせると「内大臣」です。
さらにまたこの官職名を中国風に呼ぶ事も多かったようで、「内大臣」を中国風に呼ぶと「内府」となります。

ですから、歴史上「内府」と呼ばれる人は「内大臣」に任ぜられた人の数だけいらっしやいます。
たまたまTV・小説などで家康が取り上げられる事が多く「内府」=「家康」のイメージがついてしまいました。
   (*注意:ですから鎌倉・室町時代を舞台とした小説に「内府」と
    出てきても家康と早合点されないように・・・)

さて、先にも「水戸黄門」等の例を挙げましたが、この「黄門」も官職名の中国風の読みです。
太閤=関白(但し、現職ではなく、前任の・・・という場合に用いられます。)
黄門=中納言(これも同じかな?・・・違ってたらごめんなさい)

他に幾つかの例を挙げますと
相国・大相国=太政大臣(平相国=清盛など)
内府=内大臣
右府=右大臣
亜相=大納言
宰相=参議
都督=太宰府帥

また読み方ですが「ないふ」で正解とは思いますが、実は「内府」に限らず
「正しい読み方」が解らないものも非常に多いです。
故に諸説ある読み方もあり、書物によって若干、フリガナが異なる場合があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>たまたまTV・小説などで家康が取り上げられる事が多く「内府」=「家康」のイメージがついてしまいました。(*注意:ですから鎌倉・室町時代を舞台とした小説に「内府」と出てきても家康と早合点されないように・・・)

まさにその通りでした。 多分このような事が自分には沢山あるのだと思います。

>また読み方ですが「ないふ」で正解とは思いますが、実は「内府」に限らず
「正しい読み方」が解らないものも非常に多いです。

納得です。

お礼日時:2002/12/12 21:57

以下の参考URLが参考になりますでしょうか?


「豊臣政権下の官位について」

ご参考まで。

参考URL:http://plaza2.mbn.or.jp/~nari/faq29.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
URL大変よく判りました。官位はその政権によって違うものですね。

お礼日時:2002/12/12 21:51

辞書で内府を調べてください。

「内大臣の別称」とあるはずです。

このころは官位で相手を呼ぶことが多かったのでそう呼ばれているんでしょう。関白とか筑前の守とか。そういうのと同じです。

参考URL:http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/o_kan_da …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>関白とか筑前の守。
これはイメージが感覚的には判ります。

お礼日時:2002/12/12 21:47

家康は朝廷から「内大臣」の官位を受けていました。


その後の歴代将軍も内大臣に任ぜられているようです。
「内府」とは「内大臣」の通称みたいなものだと思います。
ちなみに、織田信長が「うふさま」と呼ばれているのを、テレビの時代劇で見たことがあります。信長は最高位が右大臣でしたから、「うふ」というのは「右府」つまり「右大臣」のことだと思います。
参考になりましたでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
信長が「うふさま」ですか。初めて聞きました。なんか新鮮に聞こえます。

お礼日時:2002/12/12 21:39

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