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 ヰ゛トゲンシュタインは 読んでいません。
 強いて解釈を加えれば 二つの可能性があると考えます。
 A. 一人ひとりの存在が 掛け替えのないものであると言おうとしている。 
  これは 魂の存在を言おうとしていると取っても それは 一般的な人間の存在を言うはづですから 独我というようなものではないと考えられるのですが 方向性として そうであるかも知れません。

 B. 結局 絶対者とわたしとの関係を 自己の存在の背景に持って来ようとしている。
  これは たぶん ふつうの神ではなくて 無神という神 との関係だろうと思われます。特に何かにつけて言う必要のない絶対者のことだろうと推測します。
 このBも もしそうだとすれば けっきょくは Aと同じ意味にもなると思います。ただ Aの場合よりは 根拠(と言っても 無根拠のことですが)が しっかりしているとは 推し測られます。
 
 ヰ゛トゲンシュタインの解説を述べるのは分かりますが なんで このような無味乾燥〔にわたしには見える〕独我論を いくつかの著書として書いているのでしょう? 是非このわたしの見えないところをおしえてください。
 
 

A 回答 (1件)

「永井均の独我論」とは、いっちゃ悪いですが、孤独から生まれた理論です。


極端に言うと「他人は自分ではないから、他人には自分の意見を、これっぽっちも理解なんかできやしない」っといった所でしょうか。
どうやら、自分が他人と同じ見識だったら、自分を見失いそうで、自分と他人の意見がかぶるのを許せないようです。
別人だろうと少しくらい同意見があるものなのに、どう考えても変な話。早い話が、ひねくれ者なのかもしれません。
・同感 (論理積)   「僕もそう思ってたよ」や、
・共感 (論理和)   「僕もそうだと思うよ」ではなく、いつまでも
・反感 (論理否定)  「君がそう思うなら、僕はそう思わないね」や、
・違和感(排他的論理和)「君もそう思うなら、もう僕はそう思わないや」で
考えているようでは、いつになっても両者の答えは、収束しません。
つまり、これを独我論と呼んでいるのでしょう。意味不明ですが……。
抽象的な「自分」「他人」の概念のままでは、数学的に空論ですので、どうぞ気になさらないでください。
もっとも、この回答も、いくら正解だと主張しても、分野が違ったりするだけで語意が相違となり、誤解や曲解が生じるので、心意が正確に伝わらず、不正解と解釈されます。
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この回答へのお礼

 yukigleさん ご回答をありがとうございます。

 そうなんですか。閉鎖性というのは 感じられなかったと言いますか 感じさせようとは していないと思っていました。現に 議論をしているわけですから。
 でも もし おっしゃるようですと 《 idiot 》という語を思い出しました。たしか 《独自の》という意味から来ていると思いますから。あたかも 《独自の人間 / 独自の〈わたし〉》を作りだそうと腐心しているということになりますね。

 《他者》の問題なら 分かるわけですが。つまり 他者にかんしては 自己の内面にある部分があたかも共通のものとして理解できるが それだけであるということ。それ以外では ついに《他者》は 分からないという問題。これなら あとは コミュニケーションを重ねるという道を踏んで進むということになり 分かるわけですが ついに おっしゃるとおりでしたら 自己ブラックボックス化のような現象が起こったのですね。

 《言語ゲーム》についても――解説を読む限りでは―― いま上に言ったように 《コミュニケーションを重ねていく》という過程とその社会構造のことを言うものと思っていました。つまり すべてが 当たり前のことを言っていると思ったわけです。二三冊を読んだだけでは分からなかったです。もっとも 自己鎖国という方針だとは 自分からは言わないでしょうか。

 こりゃあ 困った事態ですね。ありがとうございました。反論への道として もう少し 開いています。

お礼日時:2008/08/19 09:52

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