スポーツにおける左右対象性について
陸上のトラック競技が、ことごとく左回りなのをいぶかしがっている人間です。その延長で考えますと、スピードスケートも同様、フィギュアも反対回転のスピンは見たことがない、野球も三塁へは走らない、その他いろいろあるかと思いますが、「回る」競技で左右対称性がないということは、なにか選手の体に負担をかけるのではないか、あるいは観ている側がどうもあきてしまうとか、さまざま問題がある気がします。
馬と比べるのは適当ではありませんが、競馬は左右回転コースが競技場ごとにあるわけですから、人間も左右対称性を取り入れようという思想はなかったのでしょうか?
人間は馬より融通が利かないのでしょうか。もしそうならそれは、体がより利かないのか、それとも心が利かないのか、どちらなのでしょうか?
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話の腰を折るようで申し訳ないんですが、
ハンマー投げは、どちらの回転で投げてもよいようです。
この回答へのお礼
右投げしかいなかったからああいう設置だったようですね。それはそれで現実的な処置です。
> 異議を申し立てます。防護フェンスを真ん中にこしらえるべきです。
念のために指摘しますが、真ん中にこしらえたらハンマーを投げられ
ませんよ。左右均等にこしらえよ、と言いたいんでしょ? こんな基本
的なところで単純な間違いを犯していること自体、スポーツを実践した
ことがない証拠であり、屁理屈ばかりこねるのもしょうがないですね。
その上で、「 異議を申し立てます 」と宣言したんですから、ぜひ
日本陸連に対してアクションを起こしたり、マスコミに投書するなり
して、ちゃんとした「 異議 」を表明してください。教えて!Gooで
屁理屈を並べたところで、異議を申し立てことにはなりませんよ。
> 本質的には、競争のみでよし、タイムを取る必要なし、しかし、それじゃ
> スポンサーがつかないし観客が来ないというならしょうがない、タイム
> とってもいいんじゃないですか。
なるほど、あなたはどうやら計時の必要なスポーツをやったことが
ないようですね。実際に競技経験のある人なら、タイムを取る必要なし
という観念論を口にするはずがありません。実践したこともない人が、
何を根拠に「 本質的には 」などと言えるのか、理解不能です。
> 記録は関係なく、左右周りを作るのがいいといっているのです。
> もう説明は3度くらいしましたが、いい加減わかってもらえたでしょうか?
あなたは右回りを選ぶ根拠として「 右回りのほうが得意な人もいる
かもしれない 」って書きましたよね。ではどうやって右回りが得意
だと認識するつもりですか? タイムを計る以外に方法はありえません。
しかも、単一の競争が本質だと主張されていますが、自分のタイムが
わかって初めて、自分の競技レベルがわかるんですよ。校内競争で一等に
なったからって、本当に早いかどうかなんてわかんないでしょう。
あと、私は根本的に右回りの必要性を認めていないので、多様性とか
いう屁理屈を百万回繰り返さしたところで、まったく理解できませんね。
大体タイムを取る理由にスポンサーとか言い出している時点で、スポー
ツを語る資格があるとはとうてい思えません。中学生がタイムを計るの
がスポンサーや観客のためですか? あまりにも屁理屈に過ぎますね。
> スポーツの根源は「競争」です。これは古代ギリシャからの伝統です。
これは否定しませんよ。
> 記録なんていう付随的なものがついてきたのは、オリンピックの歴史上ごく最近のことです。
でもこちらは根本的に間違っています。近代スポーツにおいて、記録は
本質のひとつです。あらゆる競技者はなにかしらの記録を念頭に置いて、
競技に打ち込んでいます。スポーツ経験のないあなたには理解できないの
でしょうが、計測が必要な競技で記録を気にしない選手など存在しません。
また、オリンピックの歴史について言及するなら、古代オリンピックと
近代オリンピックを同列に論じることはありえません。競技としてオリン
ピックを論じるときは、必然的に近代オリンピックを指します。近代オリ
ンピックにおいては、第1回のときから計測の重要性は何ら変わりません。
しかも、そもそも「 人類の多様性 」という観念自体、近世になってから
成立した思考です。その近世の視点で、古代から近代までの長い歴史を
推し量るのは、思想の遡及という誤った評価でしかありません。あなたの
主張していることはことごとく的外れなのです。
> 納得できない「ルール」もこの世の中にはいくらも存在するでしょう。
納得していないのはあなただけです。あなた以外に、トラック競技には
右回りも必要だと主張している例を示してください。
> こういう現状でそれを表明して実行したいと思いますか?
> それをさせない強制「ルール」が確立しているからです。
ほほー、ずいぶんと都合のいい逃げを打ちましたね。実に小ずるい
やり方だ。ともあれ、何でも「 強制 」と言えば済むと思ってるわけ
ですね。じゃあ、150m競争なら世界記録を出せる可能性がある人は、
100m か 200 mの選択を「 強制 」されているんでしょうね。
> 「どっちにまわって投げろ、どっちの手を使って投げろ、どっちの足を
> 踏み切って跳べ」と強制されていません。ですから各人の自由です。
では、ぜひハンマー投げにも異議を申し立ててください。
たしかにハンマー投げのルールには右回りで投げてはいけない
とは書いてありません。しかし、北京五輪での防護フェンスを
見るとわかるように、事実上、左回りを義務付けられています。
この回答へのお礼
異議を申し立てます。防護フェンスを真ん中にこしらえるべきです。
> そもそもオリンピック発祥から、ストップウォッチや精密な
> 測定技術が確立するまでは、記録なんてあってなかったようなものです。
それはスポーツの発展を無視した考え方ですね。時計は 19 世紀の
初頭にはすでに、計時に堪えうる製品が世に出ています。この時期は
近代スポーツが成立した時期にも重なります。
そして我々は近代スポーツの時代に生きています。現代における
競争スポーツは、記録の測定がなければ成立しません。19世紀より
以前のスポーツに言及することは、近代スポーツを論じる際には
まったく意味がありません。
> その通りです。右回り200メートルも左回り200メートルも記録をとります
> 本質的にはタイム測定の必要はありません
この2つが、本質的に矛盾していることに気が付かないのでしょうか?
片や記録を取る、片や記録は必要ないでは、論理が一貫していません。
> 少数派かもしれませんが、反対周りのほうが得意な選手もいるかもしれません
これもまた、矛盾です。あなたは記録は無意味と言いつつ、右回りの
ほうが得意な選手の可能性に言及している。でも、右回りと左回りは同
時に競争できないのですから、どっち周りが得意かという概念は記録を
計測しないことには成り立たないことになります。
> 競馬のように両方作ればいいではないかという話です
すでに論破されている意見を再び提示するのは、自らの理論の正しさを
証明できなくなった者がすることです。競馬では記録を比較していないが、
陸上競技では記録を比較する、だから両者を一緒くたに論じることは事の
本質を見誤っています。競馬を引き合いに出すのはもうやめてください。
> つまりオリンピックの記録重視が問題です
記録重視はオリンピックの問題ではありません。計時で記録を付ける
スポーツの根源であり、陸上や水泳では記録の重要性は論を待ちません。
> 可能性を強制的に閉じて、トラックはなんでも左回りしかしないという固定観念
固定観念ではなく、ルールです。ルールを統一しないと公正な競争が
できないのはスポーツの常識です。ルールに対して「 強制的 」という
言葉を用いるのは間違っています。
私の知る限り「 本当は右回りで勝負したいけど、左回りが強制されている
から仕方なく左回りを選んだ 」なんて選手は世の中に一人もいないでしょう。
この回答へのお礼
本質的には、競争のみでよし、タイムを取る必要なし、しかし、それじゃスポンサーがつかないし観客が来ないというならしょうがない、タイムとってもいいんじゃないですか。
記録は関係なく、左右周りを作るのがいいといっているのです。どっちがいい記録が出ようと知ったこっちゃありません。なにしろ、違う競技なのですから。もう説明は3度くらいしましたが、いい加減わかってもらえたでしょうか?
競馬でも記録を気にしてますよ。レコードとか何とかいちいちいってます。当然、どの馬場でもそこの記録であって、他の同距離の記録は比較の対象にしていません。
スポーツの根源は「競争」です。これは古代ギリシャからの伝統です。記録なんていう付随的なものがついてきたのは、オリンピックの歴史上ごく最近のことです。
ルールならそれがすべて合理的で従うのが当然だ。とおっしゃる。いや、「合理的」かはわかりませんがとにかく「ルール」だから有無をいわず従うべきだし、「納得するべき」だとおっしゃっているのですが、納得できない「ルール」もこの世の中にはいくらも存在するでしょう。その例ではないかということです。法律は強制の要素が大きいです。
右回りをしたいという人がいたとして、こういう現状でそれを表明して実行したいと思いますか?それをさせない強制「ルール」が確立しているからです。
念のために質問しますが、ハンマー投げや円盤投げは、右回りと左回りで
別々に競技したほうがいいとお考えですか? 同様に槍投げや砲丸投げなら
右投げと左投げ、走り高跳びや幅跳びは右足跳びと左足跳びにすべきなんですか?
この回答への補足
ハンマー、円盤、槍投げ、砲丸、高飛び、幅跳びは「どっちにまわって投げろ、どっちの手を使って投げろ、どっちの足を踏み切って跳べ」と強制されていません。ですから各人の自由です。
トラック競技は強制的一方方向です。ですから、反対も作ったらどうかということです。出場するしないは各人の勝手です。
> 陸上も競輪もボートもスケートも、記録は付属であって、出場選手の中で
> トップになればいいわけですから、反対周りを作って記録が落ちたとしても
> なんら問題はありません
それはスポーツの本質に反した考えです。スポーツにおいて重要なのは
可能な限りイコールコンディションで、公平な競争を行なうことです。
だからこそ世界記録をはじめとする記録には価値があり、各人の実力を
記録で比較することが可能になります。
それに記録は付属という考えは、タイムという記録そのもので勝敗を
決する陸上競技やスケートの本質を大きく外れています。単一の競技会
における決着のみに注目するのであれば、着順だけが分かればいいので、
タイムを測る必要さえなくなります。
それならば、右回りと左回りでタイムを比較することさえ無意味に
なってしまいますよ。その矛盾に気が付かないのでしょうか?
実際、人々は記録に固執します。五輪においても水泳の北島選手が
金メダルを2つ獲りましたが、世界新記録だったかどうかで本人の達
成感も周りの満足感も大きく変わりました。これが現実です。
> 一年も練習しないで「こっち周りはできない」というような感覚は
> あまり人間の賢さを表明していない事象
世界陸連が左回りという条件を統一した際に、ろくに協議しなかった
という事実でもあるんでしょうか? また、世界的なルールが定まったら、
その上で右回りを試すことに何の意義があるのでしょうか?
あなたの考えに沿えば、右利きの人は左利きも試してみたうえで
右利きを選択したわけではないので、賢くないという事象になるん
でしょうかね。右と左の両方を試すことがなぜ賢さにつながるのか、
さっぱり意味が分かりません。
この回答へのお礼
反対方向のみにしろといっているのでなく、競馬のように両方作ればいいではないかという話です。それに出場しようとしまいと勝手です。
>それはスポーツの本質に反した考えです。スポーツにおいて重要なのは可能な限りイコールコンディションで、公平な競争を行なうことです。
そうです。ですから、右回り左回り、当然公正に、「別の」競技が行われます。
>だからこそ世界記録をはじめとする記録には価値があり、各人の実力を記録で比較することが可能になります。
その通りです。右回り200メートルも左回り200メートルも記録をとります。
>それに記録は付属という考えは、タイムという記録そのもので勝敗を
決する陸上競技やスケートの本質を大きく外れています。
そもそもオリンピック発祥から、ストップウォッチや精密な測定技術が確立するまでは、記録なんてあってなかったようなものです。当然、重要なのは、ライバルに勝つということ。
>単一の競技会における決着のみに注目するのであれば、着順だけが分かればいいので、タイムを測る必要さえなくなります。
本質的にはタイム測定の必要はありません。
>それならば、右回りと左回りでタイムを比較することさえ無意味に
なってしまいますよ。その矛盾に気が付かないのでしょうか?
別に比較しません。別の種目ですから。各々の勝者は違います。タイムも違うでしょう。
つまりオリンピックの記録重視が問題です。
少数派かもしれませんが、反対周りのほうが得意な選手もいるかもしれません。そういう人は今の制度では埋もれてしまいます。
可能性を強制的に閉じて、トラックはなんでも左回りしかしないという固定観念を世界的に定着させてしまったことです。
> 多数派が抵抗なくできるように統一する、というかなり乱暴な決め方
乱暴ですか。いろいろな視点があるんですね。じゃあ左右だけじゃなく
背の高さも問題にしましょう。バスケットやバレーボールでは身長別の
リーグを作るべきでしょう。おっと、格闘技じゃないから体重別リーグも
ありませんでしたね。正直、左右だけにこだわる意味がよく分かりません。
> 馬ができるわけですから
だから、馬は統一ルールで記録を競っていないと書いているんですが、
理解できてますか? 右回りのダービーと左回りのダービーが別々に
開催されていたりするんですか?
この回答へのお礼
背の高低は、競技としては同じことを違う肉体条件でやるだけです。左右の両方の回り方を作ることは、その競技自体を2分してよりヴァリエーション豊かな体系にしようということです。当然、右回り選手左回り選手分かれるか、得意が偏るか、あるいは両方強い人いろいろでるでしょう。問題は、「反対周りが存在する」という可能性です。
陸上も競輪もボートもスケートも、記録は付属であって、出場選手の中でトップになればいいわけですから、反対周りを作って記録が落ちたとしてもなんら問題はありません。
とにかく、一年も練習しないで「こっち周りはできない」というような感覚はあまり人間の賢さを表明していない事象のように感じています。
まず陸上の左回りですが、スポーツの近代化においてはルールの
統一が不可欠であり、陸上では 1912年 に世界陸連ができたときに
世界中でバラバラだったトラックを左回りで統一しています。
とくに記録を争う陸上競技では、世界中で条件が統一されている
必要があります。右回りのトラックも存在していたら、右回りの世界
記録と左回りの世界記録を同一視することはできないでしょう。
そのいっぽう、競馬は記録を追い求める必要はなく、ひとつの
レースでの決着がすべてなので、各競技場で右回りと左回りが混
在していても問題ありません。記録があまり重視されないので、
「 融通 」が利くのかもしれません。
なぜ左回りなのかは解明されていませんが、心臓が左にある
からという説が多いですね。あと、人類に右利きが多いことも
理由になりそうです。右手に棒を持つと、物を叩く動作は必然
的に左回りになります。
ちなみに、自動車レースのサーキットには右回りが多いことは
ご存知ですか? 理由は不明ですが、ストレートでの観客が視線を
右から左に動かす( 頭は左回り )ので見やすいのかもしれません。
あと、右手でシフトするので左手でのハンドル操作が増えますが、
左手だけだと右にハンドルを切るほうがラクになります。
この回答へのお礼
スポーツで反対もという姿勢は意味なしということになったようですね。私なぞは、どうも右回り陸上の王とかそういう人がいてもいいし、競技もあるべきだと考えています。馬ができるわけですから。
なので、左回りと右回りの複合をやるとか、専門職を作るとか、どうでもいいのですが、とにかく並存させる意味合いはあると感じます。
結局、第一印象訓練なしで多数派が抵抗なくできるように統一する、というかなり乱暴な決め方に統一した印象です。
この理論で自動車レースその他もあるのですね。
近代五輪の第1回アテネ大会では、時計回り(右回り)だったらしいですよ。
あと、その頃は右回りか左回りか、というのは、その時々で決めてやっていたようです。
ですから、いろいろとやってみた結果、反時計回りのほうが走りやすい、いい記録が出やすい、という結論に達したのではないでしょうか?
こんな文章がありましたので、参考にどうぞ。
http://j2.ryu.kumamoto-u.ac.jp/class/05f/j4d/han …
この回答へのお礼
歴史的に物事が淘汰れ統一されてしまうという経緯はいろいろありますね。これは悲劇的な印象です。選手も片方向の訓練しかしないのは負担も大きいのではないでしょうか。
やりやすい、で決めてしまうことに、どうも粗野で短絡的なものを感じます。
文章読みました。おもしろいですね。
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