古典派の協奏曲のカデンツァについて
古典派の協奏曲のカデンツァはモーツァルトのように作曲者自身も書いたようですが、なぜどれも似たりよったりなのでしょうか?ヴァイオリン協奏曲でもピアノ協奏曲でもオーボエ協奏曲でも旋律が似ていますね。一種の流行だったのでしょうか?
回答(3件)
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No.3ベストアンサー10pt
こんにちは。
参考意見、というよりは参考にすらならないような気もいたしますが、ベートーヴェンがピアノ協奏曲1番のために書いた3つのカデンツァの譜を読み比べてごらんになったらいかがでしょうか。作曲家(少なくとも初期のベートーヴェン)にとっては、どのくらいの相違が許容範囲だったのかを想像する材料になるかもしれません。
現在手元に楽譜もCDもないため確認できないのですが、ヘンレ版では1番目のカデンツァが比較的易しく、協奏曲学習初心者にとって手頃なレベルだったと思います。とても「古典派」らしい印象でした。
それに比べると3番目は華やかで(しかも長い)技巧的、ピアニストがいかにも目立ちそうなカデンツァです。素人耳の印象では、こちらはあまり「古典派然」とはしていないんですよね・・・・。
個人的には、曲全体を聞くと簡単で「お約束事」を踏まえている1番目の方が愛らしくて、しっくりいくような気がするのですが、いかがなものでしょうか(もし、どちらも既にご研究なさっていらっしゃったなら、このあたりのご意見が伺いたいものです)。
録音では、アルゲリッチ/シノーポリやルプー/メータは1番目のカデンツァを弾き、ペライア/ハイティンクは3番目を弾いていたと記憶しています。
この回答へのお礼
ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番のヘンレ版の1番目のカデンツァがとても「古典派」らしいみたいなので早速聞いてみます。
No.2ベストアンサー20pt
もともとカデンツァは終止形としての和声進行を意味していますが、協奏曲の即興的独奏部分(華やかな名人芸を披露する箇所)について一般的に「カデンツァ」が使われることが多いようです。
典型的な例では、四六の主和音上で合奏が停止し、属音上のトリルを以て独奏部分を終わります。この場合、和声的には独奏部分全体を巨大な一つの属和音とみなすことができるでしょう。
独奏者が即興で演奏するためにカデンツァの部分だけ質が低下すると感じる作曲家も登場し、作曲家が協奏曲全体の統一を図るため、あえて作曲者自身が同じ楽譜の上にカデンツァを書き記すということが行われるようになりました。古典派(後期のモーツァルト・ベートーヴェン)では、演奏者の独断を許さない作曲者の強い支配性がカデンツァまで作り付けにして演奏者を拘束している?または曲全体の流れの統一感を持たせているといえるでしょう。
似たりよったり・・・あえて曲のスタイル(当時の古典形式・様式を踏襲)に合うように、また曲中のモチーフを使い自然な流れでまとめあげるため、そのように感じるのでしょう。ロマン派の協奏曲などはあえて作曲者自身はカデンツァを書かないで演奏者の即興に任せたり、当時の著名な演奏家の自作のものを慣例的に演奏したりするのが普通です。
この回答へのお礼
曲のスタイルに合うように、また曲中のモチーフを使い自然な流れでまとめあげたのですね。
なるほど、面白いですね。
単なる個人的な考えを書きます。
例えばカデンツァに、あまり個性のある音形を置いてしまうと、新たな意味や方向性で主張してしまい、すんなり終わらせるの難しいとか。
かといって、主題などで使用した音形を流用などしたら、仰々しくて気持ち悪いし。
結局、無害に、素直にスケールを踏まえて、トリルを入れて終わり、みたいな定番の形が出来ちゃったのではないでしょうかねえ。
でも僕はモーツァルトのなんか、かなり好きです。
「ああ、やっぱり来た!」と思います。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
確かに「素直にスケールを踏まえて、トリルを入れて終わり」がほとんどですね。
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