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こんにちは
ドイツの戦前の歴史などを勉強してます
ひどいインフレでお金が紙くずのようで
それに加えて過酷なベルサイユ条約の賠償金
ひどいことに支払いが遅いとドイツ領をフランス軍は
勝手に占領などなど・・
こんなひどいことをしてドイツを責められるのでしょうか?
ドイツに戦争責任無しと思いませんか?

A 回答 (11件中1~10件)

戦争責任という言葉についての定義しだいですね。


「戦争」中に行った行為の「責任」や
「戦争」を引き起こした「責任」や
「戦争」に負けた事で負わされた負債への「責任」等の
解釈次第で変わってしまいますね。
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>この世界恐慌以前は列強はあからさまに弱いものイジメに徹していたように思えます。



前回も書いたように、ベルサイユ条約への反感がヒトラー政権成立の大きな要因だった事は明らかです。ただ、列強側を一枚岩のように考えるのはどうでしょうか?例えば、ルール占領についても、イギリスは反対でした。(参考URLをご覧ください。)別に「イギリスが良い子だった」と言いたいわけではありません。イギリス、フランス、更にはアメリカも、それぞれ追求する利益・目標があった、という事です。
前回も書いたように、戦争を悪とする考え方はそれほど古いものではありません。第一次大戦は、一つの大きな転換期でした。それまでの大国同士のある意味単純なパワーポリティクスから、初めて多くの一般国民を巻き込んで甚大な被害をもたらした第一次大戦をはさんで、(建前に過ぎない部分が多いとは言え)「民族自決」「不戦」といった『理念』が生まれました。それ以降、ほんの少しづつだけど、建前が本音になりつつあるのが現在だと思っています。(未だに大部分「建前」にとどまっているでしょうが。)

「弱いものイジメ」とか「戦争責任」といった概念自体、ある程度『理念』を前提にしています。しかし、過渡期である第一次大戦後のフランスの行動は、近世(ナポレオン戦争等)からひきずっている伝統的な考え方に基づくものです。
最終的に「ベルサイユ体制下ではドイツは戦うしかなかった」という結論に達するとしても、その前に、「戦争責任」といった現代的な考え方からの見方だけではなく、「伝統的な考え方に基づく各国のそれぞれの行動」という観点からも考えられてもいいんじゃないでしょうか?
「複数の立場・観点から考えられる」というのは、その時代に生きていた者としてでなく、過去の歴史として振り返る者の『特権』です。それを生かして見る事をお薦めします。

尚、第一次大戦後フランスがドイツに対して「やりすぎた」というのは、現在ではまず一般的な考え方でしょう。ですから、「フランスがあそこまでやらなかったら、ヒトラー政権もできなかったかも知れないし、従って、第二次大戦も起きなかったかも知れない」という意見であれば、あまり反対される方はいないと思います。
しかし、「ベルサイユ体制の必然として第二次大戦があった」と言い切るのに私が躊躇するのは、以下の理由によります。

(1) ヒトラー政権は大幅に減額された賠償金も払わなかったが、だからといってまたフランスが占領した訳ではない。(他の国からの批判もあったし、戦術としてもルール占領は失敗だった。)賠償金の支払停止=ヒトラー政権成立からポーランド侵攻まで、6年あった。
(2) ヒトラー政権成立後、ドイツ経済は上向いていた。大恐慌からの回復期で、同時期のアメリカ等もそうだが、「ヒトラー政権後ますます追い詰められて、戦争に至った」のではない。また、ヨーロッパでの第二次大戦の始まり方は、植民地争奪戦ではない。

つまり、「ベルサイユ体制⇒ヒトラー政権」という矢印は比較的簡単に引けても、「ベルサイユ体制⇒第二次大戦」とつなぐには、何らかのジャンプが必要だろう、という事です。

後は蛇足です。
>「我々より劣る民族」の存在が必要であり…
最大のライバルである共産党に対する敵意と、経済的苦境にあった人達の「受け」(貧乏なのはユダヤ人のせいにする)を狙って、ユダヤ人をスケープゴートにした、という考え方が多いと思いますが、おっしゃるとおりかも知れません。しかし、ユダヤ人敵視・迫害と第二次大戦とは一応は別の話ですよね?(ユダヤ人問題だけならば、国内問題にとどまっていたはず。敵視・迫害を是とする訳ではないが…。)念の為です。

参考:http://www3.kiwi-us.com/~ingle/weimal/ruhr.html
(もう一つしたにあります)

長々と失礼しました。

参考URL:http://www.interq.or.jp/venus/edwerd/contents/ho …
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No.5の方やNo.6の方が触れられていますが、支払が非現実的なぐらい過酷な賠償金、ハイパーインフレ、フランスによるルール占領は、ヒトラー政権誕生の前に『一応は』片付いています。

ドイツ経済も、大恐慌直前の1927~28年には、第一次大戦前のレベルかそれ以上まで回復していました。賠償金は、1932年には、当初の40分の1ぐらいのレベルに下げられたと思います。(それでも莫大だけど…。但し、ここはあまり自信なし。)

ベルサイユ条約が重い賠償金をドイツに負わせた事が、ヒトラー政権誕生の重要な要因の一つである事はその通りでしょう。少なくとも、ヒトラーが「ベルサイユ体制打破」を唱えた事が彼らの『人気』の理由の一つなのは、はっきりしています。

しかし、ヒトラー政権成立は、1929年のアメリカ株式暴落をきっかけとした大恐慌への、ドイツの「回答」だった、と考えた方がよいと思います。イタリアも日本も、賠償金は背負って無くても、枢軸国側になりましたし…。ワイマール体制末期は、ナチスのみならず共産党も勢力を拡大したのは、要は「景気をなんとかしろ!。仕事をくれ!」って事だったのではないでしょうか?。ナチスの正式名称は、国家社会主義ドイツ労働者党で、失業対策や福祉に関する選挙公約もあったはずです。

また、理屈の上の議論をすれば、戦争を国際法上も「基本的にはやってはいけないもの」と明確に考えるようになったのは、比較的最近の話で、特にそういう考えがはっきりとしたは、1928年のパリ不戦条約から、と理解しています。それまでは戦争自体を「悪」とは考えないし、「そもそもどっちが悪かったか」という事はさして悩まずに、負けた方が勝った方に賠償金(あるいは領土)を渡すのが通例でした。(但し、不戦条約も、「自衛戦争」は認めるという前提でできているし、英国は、植民地防衛も「自衛」に入る、という留保をつけています。また、その条約を強制力をもって実行させる機関はありませんでした。実態としては「他人の国や勢力圏に、新たに出張っていくのはいけませんね」というのをお互い確認しあった、ったぐらいの話でしょうね。)
いずれにせよ、後で「ルール」が変わってしまったわけで、「責任」論を理屈の上でやると、ドイツが勝つのはシンドイんじゃないでしょうか?。

こういう理屈の話じゃなく、今の時代から見て、「良い」「悪い」とか「理不尽だ」とかいった議論をするなら、例えば、ヨーロッパ諸国の植民地のアフリカの人から見れば、イギリスもドイツも、み~んな「悪く」て、そいつらの間の内輪もめの中で「どっちが悪いか」なんてどうでもいいや、って事にならないでしょうか?ご質問の趣旨からはずれますが、「戦争責任論」を聞くと、時折そんな事を考えてしまうもので…。
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この回答へのお礼

こんにちは
回答有難うございます
この世界恐慌以前は列強はあからさまに弱いものイジメに徹していたように
思えます
それに「戦争の是非」もとても参考になる意見有難うございます
当時のドイツは「劣等民族」というイメージから脱したいと思ってまして
その為には「我々より劣る民族」の存在が必要であり
それが「ユダヤ民族支配のドイツからの脱却」という方向に
向いていったのだと思います

お礼日時:2002/12/25 05:43

またしても引用です。


「賠償条項の圧力は1923年までの5年間に、ドイツ経済に天井知らずのインフレーションをもたらすことにより、ドイツ経済と、特にドイツの中産階級とに、壊滅的打撃をあたえた。5年間に、マルクの価値はほとんどゼロになった。(中略)1919年から5年間にわたるインフレーションが、ドイツ政府の意識的な政策であったが、ほかにやりようのない不可避なものであったかは別として、「上からの階級闘争」といわれるインフレーションが、ドイツの中産階級の資産と貯蓄をゼロにしたことは確かである。(中略)他方で、巨大資本はインフレーションを通じてどんどん肥え太っていった。第一次世界大戦後東独に安住の地を求めたワイマール共和国時代の外交官プトリッツの回顧録は、代表的重工業資本家のフリッツ・ティッセンが、インフレーションを通じていかにあくどい儲け方をしたかを、ティッセンの商会に勤務して身近に体験し、嫌悪の情におそわれたいきさつを巧みに述べている。このように、ワイマール共和国を通じて、資本家と労働者は、とくに前者はおおきな概得権を確保し、これを拡大させてゆき、後者もいささかの権限を獲得することができたが、この二つの層にはさまれた中産階級は、インフレーションでそのわずかな蓄えをゼロにされたあと、いうに足る保護と助成とをどこからも得ることができぬままに放置された。都会の中産階級ばかりでなく、中産農民もほぼおなじような状態に捨てて置かれた。これらの「忘れられた人々」としての中産階級が、「おれ達のことは誰もかまってくれない」という孤独感を強烈に意識したことこそ、ヒトラーの運動にとって絶好の基盤を用意したものであった。ヒトラーは、ユダヤ人の資本家と、これもヒトラーによればユダヤ人のペストに他ならないマルクス主義の双方を攻撃した。ヴァルター・ラーナテウの例に見られるように、ユダヤ人の資本家がドイツ経済の中でもある程度の役割を果たしていたことは事実である。特に、百貨店の多くは、ユダヤ資本家の支配下にあった。また、新聞、雑誌なども、ユダヤ人の経営、編集にかかるものが多かった。ヒトラーの宣伝は、自分たちの貧窮の責任を、これらユダヤ人資本家だけになすりつけたがった中産階級の心理に強力に訴えかけた。ユダヤ人資本家とマルクス主義に立つ労働組合にはさみうちにされて自己の存在の基盤を喪失するという、なかば幻想であり、なかば事実にもとづいた、中産階級の孤立感と恐怖感とに、ヒトラーの主張はじわじわと食い込んだのである。  1919年から5年のあいだに、ヒトラーの登場するための準備はできあがっていた。1929年にもう一度恐慌の打撃をうけて、ドイツ経済を一時的に支えていたかりそめの繁栄が、3月の雪のように消えてなくなった時、ヒトラーは一挙に政権の座にのし上がることに成功するのである。」
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ん、ムッソリーニは自殺じゃなく処刑だった気がする。

。。
細かいことですが(笑)
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この回答へのお礼

こんにちは
確かムソリーニは愛人と一緒に捕まり処刑されましたね

お礼日時:2002/12/20 04:19

戦争自体、良い戦争悪い戦争の区別がむずかしいため第二次大戦でのドイツの責任はわかりません。

(アメリカの対イラクは? イスラエルの対パレスチナは?)
ユダヤ人虐殺は戦争しなくてもできるし、していたので戦争責任とは無関係です。

そもそも、戦争をした国で多少問わず、戦争犯罪をおこなわなかった国などあるのでしょうか、と思います。キレイな戦争などありえるのでしょうか。。。



ちなみに日本は、日中(1937~)または太平洋戦争(1941~)で韓国を占領したわけではないです。韓国併合は1910年。日本語教育も戦争以前からおこなっていました。韓国軍と日本軍の戦争はありませんでした。(韓国の右翼みたいな自称愛国軍は火炎瓶とか投げてますが)

また、第二次大戦で枢軸側のイタリアは日本・ドイツと組んで連合側と戦いましたが英米に追い込まれムッソリーニが自殺したけど国土は分裂しませんでした。イタリアは反ムッソリーニ組織が連合側に降伏し、日独に逆に宣戦布告し勝利国側に与したからだというなら負けた側にいたから、つまり負けたから分断されたというわけですよね。負けたから悪い。つまり軍事的な問題か。

あと、ドイツの賠償金は途中で免除されたような。ドイツはあとの方は結構豊かになってたはず。

この回答への補足

皆さん全員にお礼書きますので少々お待ちください

補足日時:2002/12/19 05:36
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この回答へのお礼

こんにちは
回答有難うございます
その通りいい悪いは無いと思います
でも過去の大戦では勝者がいいという図式になっており
この賠償から逃れて国を復興するには戦争で相手を倒すしか
道はなしという状況のように思えるんです

韓国の話も興味深いです
なるほど日韓では戦争は無いですね

イタリアの話も興味深く参考になりました。

お礼日時:2002/12/19 05:32

当時のイギリス首相は「レモンの種が泣くまでしぼり取れ」と選挙のスローガンで当選し、フランスのクレマンソーは「ドイツに何もかも支払わせてみせる」と公約したそうです。



以下引用です。
「ワイマール共和国の歴史は、ヴェルサイユ体制下の「負け犬」の生活史として、いささかネガティブな意味においてではあるが、両大戦期間の歴史の縮図であり、焦点である。この「負け犬」が、けられ打たれる第一次大戦直後の五年間を苦しみ抜き、ドーズ案以来、すこしはましな待遇をもらえるかと前途にはかない希望を託したのもつかのま、世界恐慌によって、「負け犬」は「負け犬」としての扱いしか受けない運命にあることを思い知らされた。この「負け犬」が、絶体絶命の窮地に追い詰められて、開き直ったのがヒットラー政権の意味であった。」


あまりにも多額の賠償金で首が回らなくなったドイツの唯一の救いはドーズ案と呼ばれる戦勝国によって作られた制度でした。これによって外国資本がドイツ国内に入り、ある程度の賠償金の支払いと経済の成長の見通しが立てられたのです。その経済は著しくアメリカに依存せざるを得ませんでした。その資本のほとんどはアメリカのものであり、その資本で稼いだ資金を賠償金に回して、かろうじてやりくりしていたからです。例えるなら、首に縄をかけられてつま先だけで立っているようなものだったのです。しかし、ドイツに流入する資本のほとんどは短期貸し付け金であったため、いったん大不況になって信用が収縮し、ドイツに入っていた資本が逆流して流出し始めた時、ドイツはすべてを失うことになりました。なぜなら、ドイツのそういった経済体制はアメリカ資本が入ってくることを前提にしていたからです。そして、最も恐れていた事態が発生しました。世界恐慌が発生し、ドイツはめでたく、国の将来も、明日食べるパンすらも失ってしまいました。

この時点でドイツは、将棋で言えば「詰み」の状況だったと私は思います。審判に「詰みです。」と言われて、ドイツは二つの選択肢しかありませんでした。すなわち、「はい、まいりました。」と手を上げて投了するか。それともわずかな国家の存続の望みのある領土拡大に動くか。前者の選択肢は国家の「死」を意味します。選択肢から外されます。となると後者しかドイツにとって行動の仕様がありませんでした。無論、そんなことをすれば英、仏、米と開戦の危険性が高まることは分かりきっていましたが、しかし、他の選択をするのとリスクは変わらなかったのです。すなわちどちらをとっても国家滅亡の可能性が非常に高かったわけです。ドイツにはもはや選択する余地はなかっただろうと思います。
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 #3です。

第一次大戦後のワイマール体制下のドイツのことでしたね。基本的な文意に影響はないと思いますが、戦争被害者の内容について混乱と錯誤があったことを訂正とお詫びを申し上げます。そのあたりはこれからもう少し調べてみます。
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この回答へのお礼

こんにちは
回答有難うございます
第1次第二次大戦のどちらでも結構です
戦争の勝者が敗者に課す賠償や裁判なども
考えねばならない問題ですよね

お礼日時:2002/12/19 01:07

 確かに「戦争責任」という言葉は、単に負けた方に押しつけられるという印象があります。

しかし数百万とも言われるユダヤ人に対して行われた虐殺の被害者、戦闘により命を失った一般人、その後の混乱の中で不本意にも命を奪われた被害者など、おびただしい数の戦没者の存在を考えると、当時のドイツに責任なしとは言えないでしょう。もちろん戦勝国とされるイギリスやフランス、アメリカにも同じ理由で責任はあると思います。

 現在使われている「戦争責任」という言葉は確かに、いきさつをきわめて単純化してしまう妙な言葉です。複雑な国際情勢の中で、人間を容易に残虐行為に導く異常な状況を導いた責任を、一つの立場にしか求めないことはどう考えてもおかしいのです。民族主義的対立が生み出した戦争の帰結を、民族主義的解釈によって解決に導くには明らかに大きな限界があると感じます。

 誤解を恐れずに言えば、自らの戦争や戦時の残虐行為に対する深い洞察力やそれを可能にする人間性を、悲惨な歴史を通じて人類が自らの所属や出自に関係なくどれだけ身につけてきたのか、その高い到達点こそが唯一「戦争」を裁ける立場なのではないでしょうか。

 80年以上前のこととは言え、今現在の世界情勢(特にパレスチナ情勢)とつながりがあるので、本当の意味で客観的にベルサイユ条約以後の評価をすることはまだまだむずかしいのかもしれない、そんな気がしています。
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戦勝国が敗戦国を抹殺しようとして科したのがベルサイユ条約ですよネ。


1320億金貨マルクという賠償金は当時の国家予算の30年分ですから,今の日本に当てはめると2500兆円もの賠償金を請求されたということになりますネ。
もともとがドイツ領だったアルザス・ロレーヌ地方もフランスが没収しますし,ポーランドまでが一部地域を自国領土にしてしまい,海外植民地は全て没収されてしまいましたネ。
賠償金を払うにも,植民地や領土の没収によって金を生み出すすべをなくし,パンを買うためにリヤカー一杯の札束が必要となるようなインフレによって経済は麻痺してしまうという結果になったのですよネ。
こういう状況下でヒトラー率いるナチスが選挙によって民主的に議席を獲得していったことは,流れとして必然だったのではないかと思っています。
ベルサイユ条約というのは,戦勝国が敗戦国に対して過剰な罰則を与えることが、その国の活力を奪うことだけではなく、新たな紛争の原因となることを如実に示した非常に不適切な条約であるといえますネ。
戦争そのものについては,イギリスの初期の弱腰外交がなければ大きく変わっていたでしょう。チェンバレン政権も大きな戦争犯罪(消極的な賛成を表明した)を犯したのではないかと思います。
日本がABCD包囲網やハル通知という事実上の宣戦布告文書を受け取り,滅亡か戦争かという状態に追い込まれて戦争を起こしたのと同じようなものではないかと思います。
結果的には,敗戦国は戦争責任を問われ,戦勝国は一切の責任を問われないというものですから,日独両国に戦争責任は?と聞かれた場合,「あった」というのが公式見解となるでしょう。
ただ,同時に,ニュールンベルグ法廷と東京裁判によって両国の戦争責任については国際的に決着を見ており,それ以上のことは国際法上要求されないものですよネ。
余談ですが謝罪外交を一切行なわないドイツの姿勢は見習いたいものです。
以上kawakawaでした
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