鬱の人に対する不快感/「鬱」と「鬱ではない」の境界線
タイトルの件、そういった感情を拭いきれません。優しい気持になるには
どうしたらいいでしょう?
職場に40代の男性がいますが鬱病で1年間休んだ後、今年初めから復帰しました。
40代なのに話し方なども本当に気が小さそうで、しかも人に頼りがちな依存的な部分があります。端的に言うと、「甘ったれ」な雰囲気があります。
気弱な話し方をする→人の反応を気にしている→自分が良く思われたい
→つまり優しく接してほしい。自分が守られたい。のではないかと思うのです。
ですが、今の世の中、みんなぎりぎりの状態の中で頑張って生きていると思うのです。私自身、正直、これ以上の不幸はないというほどの辛い状況です。でも、職場ではまったくそのように振る舞いません。でも、会社にいてもふとしたことで、仕事とは関係ない部分でわけもなく大泣きしたい気持ちになることがたまにあります。実際に涙ぐんでしまうこともあります。人には悟られないように。万が一みられてもコンタクトのせいにします。ちなみに何年も前ですが、鬱病と診断されたこともあります。けれども、それも隠してできる限り明るく振舞っていました。つまりアピールしませんでした。
自分のことを言ってしまいましたが、私に限らず、本当にみんな大変です。大変な部分は人それぞれですが。業務で多大なストレスを受けている人、私生活で大変な思いをしている人・・色々です。
だけど、一人一人、頑張っています。
これを読んでいる人もそういう人が多いのでは。
統計でも現在人の多くが鬱、もしくはその可能性があるとされています。
鬱と鬱の境界線などあるのでしょうか? アレルギーなんかもそうですが、発症していないだけで、あるラインを超えると発症するというそのいわば「発症ライン」ぎりぎりまで、アレルゲンが体内にたまっている人もいますよね。今や、誰でも、今日花粉症じゃなくてもいつなるかわからない、というような時代ですよね。。鬱だって、そうだと思うのです。鬱の要因を抱えてる。
自分は鬱だと言ってしまった人勝ちなのかとさえ思ってしまいます。病院に行けば鬱と診断される人が、単に受診してないだけで「鬱ではない」とカテゴライズされている。
職場の人のことに話を戻しますが、その人はアピールしています。無意識に。自分が鬱であることを。
そして、期待しているように見えてしまうのです。自分は鬱で、みんなはちがうのだから、みんなに理解して、やわらかく扱ってほしいと。小心さと同時にそのような部分を感じてしまうのです。性格もリーダーシップをとるのではなく、人に頼っているような気の弱さと、かすかな甘えの雰囲気。表情もどことなく子供っぽいです。
気弱な話し方をする→自分が守られたい。
こういった人は、自分が与えるのではなく、与えられたい人なのだと思うのです。自分が周りに愛情や保護を与えるのではなくて、自分が愛されたい、守られたい、・・つまり赤ちゃんのように。なのだと思ってしまいます。私は、同僚はギブアンドテイクでお互いに甘え甘えられ、お互いを思い遣るのがよいと思うのです。その人は自分が一方的に甘えたいのではと思えてなりません。もともとの性格として。
職場の人はみんな優しいので、その人に辛く当たったりはしていないようです。積極的に話かけたりしませんが、その人から用事で話し掛けられればニコヤカに接します。けれども、まれに業務上のことなどで微妙にきつい言い方をされると、偶然かもしれませんが、その次の日休んでしまいます。
私は内心不快です。
こんな私はひどい人間なのでしょうか? 優しい気持になるには、どうしたらいいのでしょうか? (優しく接するには?という質問ではありません。なぜなら内心の不快感をひた隠しにして、優しく接することは可能だからです。けれどもそれも苦痛です。不快感を拭って心から優しい気持になれたら、気持も楽です。)
他の方とは別の視点で、私が体験したことをお話ししますね。
3年ほど前に上司が代わり、毎日厳しい叱責を受けるようになりました。
また仕事量も倍増し、終電や休日出勤が当たり前になりました。
それから半年くらいは自分の任される仕事が増えたと言うことでやる気が出ていたのですが、
ある時期から急に身体にだるさを感じるようになりました。
頭に血がめぐらない、身体が椅子に沈みこんだように重たい、疲れが抜けない・・・
言葉がうまく出てこない、文句を言いたくても言えない・・・
だんだん仕事に支障をきたすようになったので内科で血液検査を受けましたが異常なし。
自分の気持ちが弛んでいるんだ、と鞭を打って働いても仕事は遅れていくばかり。
心療内科に行ったところ、うつ病の診断を受けました。
うつ病の症状は周りから見ていてもわかりづらいものです。
しかし症状と言うものは確実に存在します。
本人の中でも後ろめたい気持ちが当然あるものです。
「周りに迷惑をかけて申し訳ない」その中で自分も生きていかなければいけないので、何とか会社に出てきて仕事をしています。
当社でも従業員の3%が精神疾患を患っていますし、10%がその予備群であると言われています。
これは社会的問題です。
私はその後転勤をして負担の軽い部署に回されました。すると症状は見る見るよくなりました。
今ではうつ病になった当時の自分がいかに劣悪な労働環境の中で不当に扱われていたのか、理解できます。
その職場では当たり前のことが、場所を変えると全く通用しなかったりします。
22時、23時まで仕事をするのが当たり前と思っている一方で
17時前後になると帰宅ラッシュが起こっている現実があります。
質問者様が抱えている不満はうつ病患者に向けられるものではなく、会社に向けるべきものなのではないでしょうか。
>まれに業務上のことなどで微妙にきつい言い方をされると、
>偶然かもしれませんが、その次の日休んでしまいます。
>私は内心不快です。
これは誰でも不快だと思います。ご心情お察しします。
急病で欠勤と言うのは社会人として褒められた行為ではありません。
あまりにも当日欠勤が続くようでしたら会社としても当然対策を講じるべきですよね。
上司の方にどれだけ負担になっているか伝え、その社員の方に集中療養を勧めてもらってはどうでしょうか?
>こんな私はひどい人間なのでしょうか? 優しい気持になるには、どうしたらいいのでしょうか?
自分が新人だったときや困っていたとき先輩や同僚に助けてもらったことがあるかと思います。
その時の気持ちを思い出してみてはいかがでしょうか?
全てのうつ病患者が甘え体質ではないと思います。むしろ真面目で責任感が強く悩みを内に溜めてしまう人に多いです。
質問者様も体調に留意されて、少しでも異常が見られたら心療内科の受診をお勧めします。
自分が元気でなければ、人にやさしくは出来ませんからね。
私も、yunnowho様を、ひどい人間とは少しも思いません。
私も数年前に、とあるきっかけで「鬱になりかけ」と診断されたことがあります。
「毎日の下痢」「ずっと続く微熱」「過呼吸」「めまい」で最初「自律神経失調症」と言われましたが、心療内科に行って「鬱になりかけています。一歩手前です」と言われました。
そのとき「これは手前なんだ。まだ鬱じゃないんだ」となんだか不思議な気持ちになりました。
じゃあ、一歩先はどうなっているんだろう?今とどう違うんだろう?と。
ソース不明で恐縮ですが、私が以前読んだ本にズバリ「『鬱』と『鬱でない』の違いは、『病院に行ってそう診断された』か『診断されてない』あるいは『病院に行ってない』の違いだ」という趣旨の文章がありました。
yunnowho様がおっしゃっている通りです。
自分が鬱と気づかずに、またはうすうす気づいていても病院へは行かずに、つらくても一所懸命働いている人も大勢いらっしゃることでしょう。
その40代男性の態度に、診断を受けて「免罪符を得た」ように振る舞っている、と感じられるのかも知れません。
がんばるポイントは一人一人違いますから、その男性がどうがんばっているのかは本人にしかわかりません。
でも、#1さんがおっしゃっているように、「特別扱いする」必要はないでしょう。
その男性もお給料をもらっているのですから、そして職場復帰したということは「(完治はしていないとしても)医師が復職可能と判断した」のですから。
「やさしい気持ち」になるには…私だったら一番大切な人(子供とダンナ)の笑顔を思い浮かべます。
そして、特に松任谷由美さんのファンというわけでもないのですが、好きなフレーズを頭の中で歌ってみます。
カーテンを開いて 静かな木漏れ日の やさしさに包まれたなら
きっと 目に映る すべてのことは メッセージ
目に映るすべてのこと…やわらかな日差しや木々の葉っぱや、道端にゆれるねこじゃらしや、何もかもが、こうしていま生きている自分に、繋がっている…と思えて。
やさしい気持ちになります。
子供に、旦那に、会えたことを感謝します。何にともなく。心にちょっと余裕ができます。
yunnowho様が心から好きなもの、こと、人、その対象との出会い、好きな時間、その中に「やさしい気持ち」のヒントが隠れているかもしれません。
やさしさは心に余裕があって初めて生まれてくるものだと思います。
yunnowho様ご自身が、いきいきと、元気でいらっしゃることが、案外「急がば回れ」かもしれません。
ひどくないと思います。
質問者さまのような考えの人はたくさんいますよ。
私も悩みすぎて、欝のようになったことがありますが、
職場には言いたくありませんでしたし、そう見られたくありませんでした。
同じ部署に欝から復帰した男性社員がいました。
その方は毎日眠そうで、性格もあまりよくありませんでした。
元気ないし、電話もとらないのに、たまにひどい言葉を吐く時があったのです。
私のとった行動は、極力視界にいれない、ということです。
私はこのような病気に対して、理解しているほうですし、してあげたいと思います。
自分もなりましたから。まわりにも、いますし。
本当に辛いと思います。
でも、その人はもともとの性格が良くなさそうだったので、
視界にいれないようにしていました。
無理してやさしい気持ちを持たなくていいと思います。
もともとの性格がそのようだったから、病気になってしまったのではないでしょうか。
その人が、アピールしていようが、仕事を休もうが、
質問者さまには関係のないことだと割り切りましょう。
男性社員の評価がさがるだけですから。
あなたは優しい人なのですね。
その鬱の人に対し、不快だ、と思っていること自体は問題ありません。
正直でいいと思います。
それでも、あなたは自分がひどい人間ではないか、と気にしているところがあなたの優しさの表れだと私は思います。
あなたが不快に思うのは、私だってギリギリのところで頑張っているのに甘えないでよ!と思っているからなのでしょう。
あなただって甘えたいし、守られたい。
あなただけでなく、職場のみんながそう思っているでしょうね。
世の中の人誰もがそういう気持ちを持っていると思います。
どんなに強く見える人でも、みんなどこかで誰かに甘えたいし守られたい、と思って生きているのだと思います。
ただ、どこかに自分を甘やかし、守ってくれる人がいるかいないか、そこが違うのだと思います。
会社を離れれば、家に帰れば、自分を大切に思ってくれている人が待っている。今日一日の愚痴を聞いてくれる。
そんな風に自分を理解してくれる人を持っている人は、会社で他人に対し優しくできるのではないでしょうか。
人は誰でも、十分に甘やかされる必要があると思います。
子供の頃、十分に甘える事を許された子供は、情緒的に安定した本当の大人になることが出来るのだそうです。
自分が十分に甘やかされ、気持ちが満たされているので、同じことが他人に対しても出来るのだと思います。
その人は、自分の欲求を我慢しすぎて、今まで十分に甘えることが出来なかったからこそ鬱になってしまったんだと思います。
その人は、あなたがおっしゃるとおり、子供です。赤ん坊と同じです。
いま、一方的に満たされなかった甘えを必要としているのです。
あなたは自分がいま苦しんでいるので、その人に対し、心から優しくなれないのだと思います。
自分の辛い気持ちを隠さず、「私もいますごく辛いんですよね」と言ってみてはどうでしょう。
自分のそういう気持ちを認めて、人に話すということは、甘えることになると思いますが、それでいいと思います。
自分が人に甘えられて初めて、人の甘えを受け入れる事が出来るのだと思います。
人に頼ったり、甘えたりするのは悪い事ではありません。
世の中、持ちつ持たれつです。
素直に人に甘えられるほうが、楽に幸せに生きられると思います。
まず、いま自分が泣きたいほど辛い思いをしながら頑張っていることを
周りの人にアピールしてみることです。
心から優しい気持ちになれるには、まずあなた自身が人から優しくされる必要があります。
そのために、人に迷惑をかけたり、わがままを言って甘えてみることです。
そのとき、人が自分のためにわがままを聞いてくれて、優しくしてくれるのを感じて初めてありがたいと深く感謝し、人に対して同じように心から優しい気持ちを持って接することが出来ると思います。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
あなたこそ、優しい人だと思います。
でも。私が会社で優しくされていないのではなくて、
幸運にもみんなに優しくしてもらっていると思うし、必要があれば
甘えるしわがままになっています。私ががんばっているのは、人生投げ出したいような状況なのに、普通に出勤して、普通に勤務をこなしている部分です。
たしかに自分が120%幸せだったら、その人に対しても優しくなれるのかもしれません。というか人のことなんて全く気にならなくなるのかもしれませんね。
「自分がこうなんだから相手もそうしろ」という考えは嫌いなのですが、
そのようになってしまう自分のいやな部分は当たっています。
それから、鬱病は病気なのに、そのような認識ではなく、好き嫌い、不快感を持って接していいのか?と思うのです。けれども、その鬱のボーダーラインは本当にあるのか? というジレンマがあります。
ところで、正直、ここに質問したことで、自分の気持を少し吐き出すことができました。そしてそれに対して優しい回答をありがとうございます。
説得力があって、読んで納得してしまいました。
イライラがおさまらないのは、自分が我慢してきているのに他人が我慢していないからですかね。
なんのために我慢してきたんでしょうね。
我慢してきたことが十分報われていないのでしょうか。
自分自身がいま幸せだと思えていないから腹が立つっていうのもあるかと。
大変なところを我慢したり無理するということもその人への接し方も含めて、
自分の利益(不幸からの脱却?義務を果たす?)のために自分のやりたいようにやっているという実感はありますか?
(偉そうなこと言ってすみません)
この回答へのお礼
おっしゃるとおりです。自分が幸せでなから腹がたつのかもしれません。
自分が幸せだったら人のことなんて気にならなくなるのかもしれないです。
>自分の利益(不幸からの脱却?義務を果たす?)のために自分のやりたいようにやっているという実感はありますか?
(偉そうなこと言ってすみません)
そうですね・・・、そうしないと生きて行けないからです。現実的な問題です。
自分の利益のために、自分は我慢してきただけのこと、とおっしゃりたいんですよね。それはそう思います。人間のほとんど全ての行動や思考はけ局自分の利益という部分に帰納しますよね。たとえば愛というものも、無償の愛でなく、相手からの見返りを求めるなら自分の利益ということだし。
そういう思いは、今私がとっている対策です。でも、割り切れない。そう思いつづけられない。
(偉そうに、なんてぜんぜん思ってませんよ。)
ありがとうございました。
たぶんにその同僚の方は「鬱病」だけではないですね。
文章からだけで、その他の心の病(自己愛性パーソナリティ障害など)か単なる性格かは判断できませんが、仕事に来ている以上優しく接する必要はないでしょう。
他の社員と同じように普通に接すればいい。
それで仕事が出来なくなるなら、再び治療に専念するなり会社をやめ別の仕事を探せばいい。
会社はリハビリ施設じゃないんです。
いじめとかあるなら問題外ですが、普通に接して本人が勤まらないならやめてもらうしかない。
貴方としては特別扱いする必要はないが、その人の性格だと思って普通に接することは出来ませんか?
(貴方自身の性格で甘ったれた行動に不快感を持ってるように見える)
そういう性格だと思って割り切るしかないのでは?
「こういう人嫌いだけど、仕事だからしょうがないか」と。
性格の合わない人はほかにもいるでしょう?
その同僚のことも「鬱病」としてみるのではなく、単に気の合わない同僚と思えば、多少不快感も軽減されるのでは?
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
>(貴方自身の性格で甘ったれた行動に不快感を持ってるように見える)
この部分、本当にそうだと思います。自分自身子供っぽいのだと思います。もうちょっと上から目線で見られるようになればよいのですが・・。 (ちょっと想像とは違いますか?)
それから鬱病は病気なのに、そのような認識ではなく、好き嫌い、不快感を持って接していいのか?と思うのです。けれども、その鬱のボーダーラインは本当にあるのか? というジレンマがあります。
でも対策としては、おっしゃるようにそういう性格の人だと割り切って普通に接する(必要以上に考えない)ようにしたいと思います。たぶんそれがベストかと。
正直、私の質問に非難がたくさんくるのではないかと思っていたのですが、端的な回答にすっきりした気分がします。
ありがとうございました。
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