ずばり、人生の目的は何か知りたいのです。
できるだけわかりやすく簡単に教えてください。

A 回答 (45件中1~10件)

No.43の補足説明です。


誤解の無いように、もう少し説明致します。

人生の目的を探す前に、自分の心の中の魂を育てるのが先決では?
と、言いたいのであり、
「心の支えとなる魂を育てる事」が、人生の目的と言う事ではありません。

私自身は、魂の成長が不十分と思い、その途上にある者です。

途上にある間は、その都度、そのつど小さい目的や目標があれば十分で、
人生全体を貫くような大目的や大目標は無くても構わないし、
仮にあったとしても、神のみぞ知るで、自覚していなくても良いのでは?
と、思っております。

むしろ、魂が十分育つ前に、人生全体を貫く大目的を持ってしまうと、
目的に近づけない焦りや、目的を諦めざるを得なくなった時の絶望感、
あるいは目的を達した後に無目的になってしまう虚無感に脅えながら、
悲しい人生を送るようになるのでは?と、恐れます。
つまり、目的に押し潰されてしまう事を恐れます。

魂が十分育った後で、人生の目的を自覚したのであれば、
現状の自分がどんなに低級でも、
これを自己受容できるのではないか?

自己受容ができれば、たとえ、少ししか前に進めなくても、
これを喜び、感謝することができるように、思えます。
喜びや感謝は、前進のエネルギー、アクセルになるそうです。

一時的に後退しても、あわてず、悲嘆せず、再起できるのでは?
と、予想するのですが、実際の所は、まだ良くは分かっておりません。

「自己受容」の参考URL
http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page045.html

自己受容できていれば、初めは、亀のようなゆっくりとした足取りでも、
継続する事により、次第に早く歩めるようになり、
目的を達するかもしれませんし、
達しなくても、喜びと感謝に満ちた人生になるでは?
と、思います。

また、そういう事で良いならば、
その都度、その都度の小さな目的や目標でも、
同じように、喜びと感謝に満たされる事もできるようにも思えます。

自己受容できるようになるまで、魂を成長させる事、
こちらの方を、先に求められては、如何でしょう?

その上でなら、人生の大目的は、分かろうが、分かるまいが、
どちらでも良いことで、あせって答えを出す必要もないのでは?
と、思うのですが。

参考にして、お考え頂ければ、幸いです。
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人生の目的は何か?


これは、誰もが一度は考える人生最大の疑問です。

これについて、絶対的な答えなんてありません。
人それぞれが、自分で決めるものなのです。

では、どうやって決めたらいいのか?
これが非常に難しいから皆悩むのです。
そして一度決めたとしても、本当にそんなことしたいの?
と思い直してしまったりもします。

では、ぶれない人生の目的はどうやって決めたらいいのか?


これは、持論ですが人生の目的を決める方法は存在すると思ってます。


その方法をご紹介します。

まず、あなたから次の2つの制限を取り去ってください。

 ・お金
 ・時間

お金にも時間にも困らず余裕がある自分を思い浮かべて下さい。
そんな状態になったとき、あなたは何がしたいですか?
遠慮せずに想像してみてください。

いろいろ浮かんでくるのではないでしょうか?

今浮かんだことこそが、あなたが本当にやりたいことです。
どんなくだらないことでもいいんです。
それが本当にやりたいことなんです。

人生は一度しかありません。
だから、この本当にやりたいことを絶対達成して下さい。

これが人生の目的です。

この目的を達成するためにまずすべきことは
自由を手に入れることに他なりません。

では、どうやって自由を手に入れるのか?
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同じようなことで悩む人が大勢いらっしゃいますね。


以前も、似たような質問にお答えしたことがあります。

その時の回答は、次のURLで、ご確認ください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/430573.html

ずばり、その疑問を解くカギは、
「人生の目的」を欲しがる、その気持ち、
なのかもしれません。

違っていたら、お許しください。
私も、昔、似たようなことを考えたことがあるので、
その時の気持ちを思い出すと、
心に支えが欲しいのではないでしょうか?

それが無いと、
心が、ポッキリと折れてしまいそうだから。
だから、そんな弱い心から離れた所に、
支えになってもらえる何かが欲しい。
そんな気持ちではありませんか?

しかし、自分の外側に支えを見つけたとしても、
何かの拍子に、それが支えにはならなくなってしまう。
それを、絶望と表現できるかもしれません。

自分の外側に見つけておいた支えは、
どんなことで失ってしまうかわからない。
それを、不安、恐れ、恐怖と表現できるかもしれません。

自分の外側に見つけた支えなど、はかない物です。

自分の内側に、自分の心の中に、
支えを育ててください。
その支えは、何かと言えば、
それは、自分自身の「魂」です。

この世に生を受けた瞬間から、
自分の中に、少しずつ、少しずつ、
真珠を育てていくように、育てていく自分の魂です。

魂は、自分を取り巻く環境との関わりあいを通し、
一生を通し、育まれ、磨かれていくもの。
この宇宙に存在していると言うだけで、その機会を得たのです

参考URL:http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/
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人生の目的は悟こと。


ではないでしょうか…

この世のあらゆるもの、物、生物、自然、何でも、必ず悟って存在していて、生きて、それを悟っていく。

悟はそれぞれ違うし、正解はない。

悟ときは、自然か不自然かと考えてみるといい、とある人から教わりました。

悟は人それぞれ、成し遂げれない事なんて人生にはないから、悲観的になないで、何でもできることからやってみて、死ぬ前に、できない事も、死ぬ気でやってみたらいいと思う。

私の人生の目的です。
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人生は、死ぬためにあるのです。

産まれたその瞬間から、人は、死に向かって歩みます。ですので、どうやって生きるかを、考えてください。人間は、迷っている内は、努力しています。努力するだけでよいのです。天才のように、ひらめくのを待つのは、愚の骨頂です。我々は、凡人でよいのです。凡人は、努力あるのみです。下手の考え休むに、にたりです。貴殿は、察するところ現状に満足していませんね?不満がありますね?ですから、生きる意味が、知りたくなるのです。月並みこそ、黄金です。毎日が、同じ事の繰り返し、堂々巡りのどっちらけですよ。それでも、我慢して生きねばなりません。やがて、貴殿も私も、黄泉の国へと、旅立つのですから。永遠の人生なんて、ありません。ですから、人生の目的は、死ぬためにある!ということで、御理解下さいませ。
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みんなに共通する人生の目的なんてのはないです。


いってみれば人生なんて『使い方は自分で自由に決められる』んです。多分この国では。

歴史だとか世界をみればそれ自体すごい事なんですけどね。

「一生懸命働く」「幸せに生きる」って使い方も、「ただただ怠ける」「不幸に生きる」って使い方も、別にいいんです。
後者に関しては、面白くないのでお勧めしませんが、本来正解不正解ないですから何ともいえませんね。
自分や自然が、最終的には決定することなんだと思います。
(それで他の人に怪我をさせたりするのはどうかと思いますけどね。つまらない使い方だという意味でも迷惑という意味でも)

で、質問者さんがそういうことを聞いてないとして、僕の一見解を求めてるとすると、
「社会との良好なつながりの中で無我夢中で生きる事」です。

僕も前は「幸せに生きる」論者だったんですが、
「幸せのために」という下心もでないくらい、
夢中で生きれて、社会と良好な関係がきずけているのが一番いい状態かなぁと思って、そのような結論に至ってます。

結局それも幸福観の一種なんですが、幸福のためってなると下心っぽくて純粋な人生への愛っぽくないと思いまして…。
「あなたはお金持ちでかっこいいから」ってより「貧乏だろうとかっこ悪かろうと大好きだから」って思う方が愛に近いだと思うんですよ。だからまあ生きることに対して精一杯愛情を注ぐ事とも言えますね。

とりとめもない文ですがそんな感じですね。
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 生きている事を楽しむのが人生の目的です


 しかし自他とものエゴイズムによってなかなか生きている事を楽しめません
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私の勉強した範囲内で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。



「宗教の話は嫌だ」と言わず、とりあえず、一度読んでみてください。

仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。

釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品(後半14品が重要で、「法華経本門」といいます)」を説きます。

しかし、その「法華経本門」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。

そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(無神論)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。

仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」としてふわふわ存在するのではなく、死後は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。

簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。
過去世の生命境涯や行いにより、現世の生命境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、自身の内の境涯変換(仏界涌現により)、定業(決定している宿業)でも「宿業(宿命)転換」が可能です。

また「成仏(仏)」とは「仏界をひらく」ということで、死んだ人のことではありません。(もし、死んで仏になれるのなら、早く死んだ方がいいということになってしまいます。)

また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。簡単に例えると、テロリストの子として生まれ、出生時から洗脳され、自分もテロリストになって、人殺しをしてしまう、等々が、これにあたります。

私事で恐縮ですが・・・

私は、その「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。
これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。自身の生命の内側に全て備わっていて、それを引き出すというもので、どこかに、神様や仏様がいるというのを否定している、無神論の教えです。
(自身の仏界を引き出すことが重要で、外にはなく、生命に内在しています)

私は、前半は、外道(キリスト教や神道などの有神論)と、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。

10年かけて、しっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。

ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません。
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人間の本質である魂を鍛えるため、磨くため、進歩向上させるため、いろいろな経験をつむためにあえて、天国からみれば地獄と思われるような地球社会に生まれてきたわけですね。

ずっと天国にいたら、鍛えられないわけですね。もちろん人によってカルマを償うために生まれた人もいるでしょう。
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地球上の他の動物には失礼かもしれませんが、この宇宙は何のためにあるの?、何のために生まれてきたのか?、生きることの目的は何?などと考えるのは唯一人間だと思います。


それが考えられるだけでも人間として生まれてきて幸せではないでしょうか。
そしてまた、生まれた瞬間から唯一確定していること、それはいずれ死を迎えるということです。
この生まれてから死ぬまでの寿命の間は唯一自分自身が人生を自主に創造できる権利を与えられた不確定な時間です。
この不確定なものを確定的なものにするために自分自身で夢や希望を見出し、それに邁進して自分自身、家族、社会のために意味ある人生を創造することではないでしょうか。

それともあなたは人生の目的が最初から与えられているものであったなら何かメリットがあるのでしょうか。
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