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 ノートは、キレイにとるべきでしょうか。
 あたりまえのような気もしますが、先日、宮本哲也という方の本を読みました。
 「強育論」 
 という本なのですが、そこには、
 「ノートをキレイにとらせるのは、親の自己満足に過ぎない。」
 「本当に算数ができるこのノートは、グシャグシャである」
 
 といったことが、書かれていました。
 それは、思わず納得させられるものでした。

 
 一方で、ノートをきちんととる、、、と言う小さなところから、
 心のすさみが除去されていく。
 そうした態度教育・しつけの部分がしっかりしてこそ、回りまわって子供の学力や、その他の分野における
人生全般でのパフォーマンス向上につながるのだ・・・といった意見もあります。

 
 そして 小さな話に戻ってくるのですが、
 ノートというのは、強制的にでも、やはりキレイにとらせるべきでしょうか?
 そのようなキレイなノートのほうが、学力向上につながりますでしょうか?


 アドバイスを、お待ちしております。

A 回答 (11件中1~10件)

教師は出来るだけ分かりやすいように学習内容を黒板に書きます。


ですから、黒板を写すノート作り自体には学習内容をまとめておくと言う意味において意義があると思います。ただ、黒板をきれいに写していても授業中ノート作りに熱中して内容の理解が出来ていないようならばノートの意味がないと考えます。逆に授業中に内容を理解していても本人も分からないようなノートのとりかたをしていたのではその学習はその時間で終わってしまい復習の道具としてノートはいきません。

個人的には学力向上につながる良いノートのとりかたを次の順番で考えます。
(1)教師の話を理解しながら誰にでも分かりやすいノートを工夫しながらつくる。
(2)教師の話を理解しながら自分にとってだけ分かりやすいノートを工夫してとる。
(3)教師の話を理解しながら黒板をきれいに丸写し。
(4)教師の話を理解しながら自分にも分からないノートをとる。
(5)教師の話を理解しないで黒板をきれいに丸写し。
(6)教師の話を理解しないで自分にも分からないノートをとる。
(7)教師の話を理解しないでノートもとらない。

小さなことをきっちりとやることが心のすさみを取り除き、全般のパフォーマンスをあげるということには特に異論はありません。ですが、ノートづくり以外にも時間を守るとか身の回りを整頓するとかきっちりとやるような場面はあると思います。きっちりやることで何か(この場合には学習内容の理解)を犠牲にしてしまう可能性があるならどちらが現状に照らし合わせてより大切なのかを考える必要があると考えます。
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> ノートというのは、強制的にでも、やはりキレイにとらせるべきでしょうか?


> そのようなキレイなノートのほうが、学力向上につながりますでしょうか?

他の方も仰ってますが、ばっちりと綺麗に書く必要はありません。
本人の負担にならない程度に、綺麗にする努力をしてくれれば良いと思います。
字に関しては、誤読しない程度に整っていればよいでしょう。

学校の授業はノートを取るだけじゃなくて、先生の話もちゃんと聞く必要があります。
口頭でしか教えないことだってあります。
綺麗なノートを作るのに集中力を使い、先生の話を聞き流してしまっては本末転倒です
(本当にノートを作るのが上手い人は、必要とあらば、口頭で教えられたこともノートに書きます)。

学力が向上するノートというのは、書いた本人が後で読み返して理解できるノートです。
「ここをノートに取らないと、後で分からなくなるな」という部分はしっかり書き、
「ここはノートに取らなくても大丈夫だな」と確信できる部分は書く必要がありません。
自分なりの解釈を書きいれておくのも良いでしょう。
黒板の図を書きうつすのが大変なら、教科書や資料集から同じ図をさがして
「教科書p32の図4」と一言書くだけでも構わないと思います。

それから未来の自分が読んだ時、「分かりやすい」だけでなく「読みやすい」とさらに良いと思います。
ちなみに「読みやすい」は字の綺麗さの話ではなく、どちらかというとレイアウトの話です。
別の分野の話に入ったら次のページから書き始めるとか、適度に空行を入れるとか、
細かい図はなるべく大きく描いてみるとか、そんな感じです。
字の綺麗さを求めるとノートを取るのに時間がかかりますが、
レイアウトの綺麗さを求めてもそれほど時間はかかりません。

小学生だと辛いかもしれませんが、中学生からは少しずつ意識した方が良いかもしれません。
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凡人が天才のマネをしても駄目です.



頭のいい人がぐちゃぐちゃのノートを書いても困らないのは,授業を聞いただけで内容が頭に入ってしまうからです.だいたい頭に入っているからこそ,いい加減なノートでも,どういう文脈で何について書いたのか思い出せ理解できる.つまり,優秀な人にとってはノートは何かを思い出す鍵に過ぎないので,汚いノートでも困らないのです.

ノートを使って復習をしてやっと頭に内容が入る凡人はその真似をしてはいけません.

要は,復習の時に役に立つ程度の『きれいさ』で書いてあれば十分でしょう.字が汚いとか,罫線からずれて斜めに書いてあるとか言うのは気にしなくて良いと思います.

整ったノートを書きたければ,授業内容を理解せねばなりません.そういう意味では,整ったノートを書くのは意味があるかな.

なお,先生が黒板に書いたことをそのまま書き写すのは,どうなんでしょうね.
ノートに取った方が良いこともありますが,ちょっとした計算例や教科書に書いてあるのと同じコトなど,いちいちノートに取らなくても良いことを書くこともあります.
そういうコトを考えずに,ひたすら「黒板書き写しマシーン」となって「きれいなノート」を書いたとしても結局生成期にはつながりませんね.

失礼ですが,お子さんの現在の状況によってノートに対する適切な指導がなにかも変わってくると思いますよ.
「まず先生の話を全部ちゃんと聞け.ノートはその余力の範囲でしか書くな」と指示した方が良い場合もあるでしょう.

そうそう,ノートをきれいに書いている学生は,実は授業中にとっているノートはきれいではなくて,記憶が薄れないうちに復習を兼ねてきれいにノートを清書していますね.
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まあまあ悪くない最終学歴を持っています。


中高の成績は、上の下ぐらいでした。

もともと字が汚く、整理整頓が苦手です。
時間が経ってから自分のノートを見返しても、
何が書いてあるのかよくわかりません(笑)

中学2年の頃、ノートをとっても見返したことが無いのに気づき、
それ以降、ノートをとるのをやめました。
教科書や参考書にキレイにまとめられているものを、
なんで、わざわざ自分の汚い字で書く必要があるのでしょう?
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都内のいわゆるブランド私大に通っています。

大学生です。

私もそれほど綺麗なノートではなかったですね…。
トップクラスの子になればなるほど、本当に要点しか書いていなかった様に思います。高校時代、後に京大に進学した子にノートを見せてもらったらかなりシンプルで、びっくりして理由を聞いたら、「授業中は授業聞いてるんだからこれくらいが限界じゃない?」なんて言ってましたし…

ノートが綺麗だから云々、とかノートが汚いから云々とかは正直私は疑問です。ただ、ノートは綺麗な方が…と大多数の学生も親も先生ですらも思っている中で、あえて自分のスタイルにノートを染め上げて(あえてラフにして)いる子は、明らかに自分がどうやって勉強したら良いか、を真剣に考えている子です。
そのような子が頭がいいのは必然なのではないでしょうか。

つまり、ノートがラフだから学力が高いわけではなく、学力が高いから、人と違う、オリジナリティのあるノートになるだけではないではないのだろうかと、私は思うのですが…
ノートを綺麗に取る指導の前に、是非「なんで勉強するのか」という問いに一度真剣に向き合ってみる事を勧めてみて欲しいなぁ…。
私は学力向上には、これが一番だと思います♪
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こんにちは。



自分の学生時代を思い返してみても、
ノートをきれいに取っていた子には、心優しく、素直で気持ちのいい子が多かったように思います。
だからといって、ノートの汚い子の素行が、特別悪かったようには思いませんし、かえってそういう子は成績がよかったように思います。

ちなみに私は汚く取る派でした。
自慢になってしまって恐縮ですが、成績はよく、学歴だけは申し分ないです。
えへっ。

最初は、きれいにとらなければ、という思い込みがあったのですが、
そのうち、きれいなノートは自己満足にすぎず、学習のプラスにはならないと気づき、
汚くていいと割り切ってからのほうが、先生の話を聞いて、自分の頭で理解したことを即まとめてノートに写せるようになったので、理解が深まりました。
きれいなノートの子は、板書を丁寧に書き写すことに集中するので、授業のないようは頭に入りにくいのかもしれません。

何でも丁寧にする、という心がけは情操教育にはいいのかもしれませんが、ノートは学習のためという本来の目的を見失ってはいけないと私は思いますよ。
しかし、何よりも、お子様自身が気づき、理解しないままでは何でも身につきませんので、どんなノートを取るかは、簡単な助言のみにとどまり、しばらく見守ってみてはいかがでしょうか。

そして、こころの教育は、ほかのことで補うようにしてはいかがでしょうか。

社会を興すお子様に育つよう、お祈りしております。
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私の経験、私見ですが、



ノートを綺麗に取る、綺麗にまとめる。
こういうやり方をしていて、
頭の良い人(この場合はテストの点数が高い)を私は知りません。

綺麗にまとめるている人は、そこで満足して、
それをゴールと誤解して、それをテストに生かせていないのです。
しかもノートに集中し過ぎて、肝心の先生の話を聞かないなんて
こともあると思います。

ノートをきちんと取る=よいしつけ=学力向上
ではないです。

それよりも、なぜノートを取るのか?
そのノートはちゃんと勉強に生かせているか?
これを教えるべきではないでしょうか。

蛇足ですが、

「本当に算数ができるこのノートは、本当に必要なことしか書いていない」

と思います。
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「要点をまとめ、後で見直せるための覚え書き」を記しておくのがノートですからね‥‥



ノートを一字一句綺麗に書き写していた人のうち、記憶する限りではよくお出来になる子はあまりいなかった印象があります。
・模写することに気を取られ、肝心の意味が頭に入ってこない
・綺麗なノートができた という事実に満足してしまう
・そういう子に限って自分ではノートを見返さない
・自発的に詰め込み勉強をしなければならないシチュエーションでも、ノートの作成にばかり時間をかける

以上、全てうちの兄弟の子供の頃の話ですが^^;
まあしつけ云々で言えば「お行儀のいい子」という事になるのかも知れませんが、それは別の場所でも十分身につけられます。
勉強する場所では効率よく勉強する方法を優先して身につけるべきですね。

#1さんもおっしゃってますが高校あたりになるといちいち噛み砕いて教えなくなりますから、要点のみを手早く書き留めるクセがついていないと苦労しますよ。
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>「本当に算数ができるこのノートは、グシャグシャである」


センスがあるお子さん(天才肌?)だったら、そういうこともあるかもしれませんね。

私は中学生の子供を持っているのですが、担任の先生はクラスノートを作っていて、当番のお子さんがその日の授業をノートを纏めてクラスにおいておくことになっています。
そのノートを見る限り、ノートの綺麗さと成績は完全に比例しています。
いつも満点のお子さんは、参考書かと見まごうばかりに整理されていました。
字も綺麗だし、バランスもいいし、色や記号も上手に使っていました。

私の知る限り、頭の良い人は、生理整頓が上手だし、ノートも綺麗ですね。
その傾向は、理系の人に顕著に出ているような気がします。
ノートを見ていると、その人の頭の中を垣間見る感じがします。

>ノートというのは、強制的にでも、やはりキレイにとらせるべきでしょうか?
強制してできるのだったら、させた方が良いかもしれませんね。

私の子供の場合は、できませんでした。
でも、自分で勉強して、成績が上がるにつれて、ノートも綺麗になってきました。
ノートをきれいにとったから成績が上がった、というよりか、綺麗に書ける能力が身についた、という感じです。

授業中にとったノートを復習として纏めなおすのは、成績アップに繋がると思いますが、授業中ノートだけに集中するのは、必ずしも良いことではないかもしれませんね。
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こんにちは。

はじめまして。

数学の問題を早く解く場合には、ある程度雑な字になっても構わないと思いますが、一般的な板書を写す場合であれば丁寧に書くべきだと思います。

なぜなら、いつも意識的に字を綺麗に書くようにすれば、書くときに集中力が生まれ、また、綺麗な字を書ける癖付けができると思うからです。

いつも雑に書いていると、大人になっても字が汚いままです。大人になってから困らないためにも、いつも綺麗な字を書くように心掛けた方が良いと思います。
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