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いつ死が訪れるか判らない世の中ですが(病気以外に事故や殺人など)
日々の生活で死を意識しておくことは精神的にマイナスでしょうか。

私は毎日「今日死んでも後悔しない様に」と思いながら生きています。
何だか暗くて悲観的に思われそうですが後悔しない人生なんて無いと
思っているので逆に今もし死んでしまっても後悔したくないと常に
考えてしまうんです。

でもこう考えることが心の支えになったりもします。
先が短いんだから漫然と生きずに大切に生きようと思う様になるからです。
まもなく死が訪れるんだから心穏やかでありたいという気持ちを保つために
わざとこういう精神状態に持っていっているというのもあります。

でも実際病気で死を告げられたら耐えられるのか正直なところ判りません。
その段階で自暴自棄になってしまうのではないか、周囲に当たってしまうの
では無いかと思ったりもしています。
実際今病気が告げられている訳では無いのですが年を取るといつなんどき
そういう可能性が出てくるとも限りません。

・・・最近毎日毎日こんなことを考えてしまいます。
特に寝ている時考えてしまい不安を打ち消す為に逃げ道にしている気もします。
精一杯後悔しない人生にしたいという思いが強くなっているんです。
こう考えること自体あまり健康によく無いのでしょうか。
精神的な安定を得る為に考えてしまっているのにそれが逆効果だったら
・・・というどうどう巡りになっています。

共感、否定、助言アドバイス等何でもいいのでありましたらお願い致します。

A 回答 (15件中1~10件)

人間の魂は死にません。

我々は奴隷として45万年ほど前に遺伝子操作によってオリオン座の方からきた宇宙人の細胞から作られました。それから暫くして人間らしく感情を持つようになりましたが、逃げ出せない様に体が死んだら生前の記憶を失うように作られていました。そして3次元に閉じ込められることになったのです。しかし2012年が近ずくにつれて多くの人が何かおかしいと気付くようになっています。人類創世記に書かれているように、地球人は宇宙人との遺伝子操作によって誕生しました。その後地球に我々よりも長く住んでいる爬虫類人が地上に出てきて人間と血縁関係を結び、13血統をヨーロッパに広げました。エリザベス女王や殆どの王族そしてアメリカ大統領の44人中43人は爬虫類人と混血です。You tubeでReptilian Bushで検索して目を見てください。ブッシュはエリザベスの親戚です。彼ら爬虫類人は、このところ人間の姿を保てなくなり多くの人に変体している現場を目撃されるようになりました。混血率が50%の場合爬虫類の姿になることが出来るのです。なかなか写真が存在しませんが、殺されたダイアナさんの事故現場写真の顔を見ればあごに角が2本出ているのが分かります。ダイアナさんはパッセージ ツウ ダイアナといわれているパリのトンネルの中の13番目の柱にぶつかって死にました。彼女は自分が殺されることを知っていました。これは爬虫類人の儀式の生贄だったのです。当時パリには、もとナチスドイツでエンジェル デスと恐れられたメンゲラ医師がいて、ダイアナさんの魂と体の一部を儀式のために秘密裏に切り取っていったそうです。生贄の儀式なしでは人間の姿を保てないので年に何回か行っていたのですが、2012年が近ずくにつれて頻度が増してもうどうにもならないところに来ているそうです。ですから
2012年問題で悩んでいるのは彼らのほうなのです。2012年12月22日に25800年の周期を終えて2013年3月28日からアクエリアス時代に入り、我々は3次元の世界を卒業して5次元の世界へ行きます。では具体的にどんなとが起こるのでしょうか。爬虫類人達は4次元までしか行けません。ですから人間と混血になって5次元に行きたいのですが、2012年が近ずくにつれそれは不可能なことがわかっています。そこで我々をだまして3次元に留めようとするはずです。信じられないでしょうが、彼らは魂を集めることが出来るので9/11のように、テロに見せかけた核戦争や自然災害に見せかけて多くの人を殺そうとするはずです。そして最後には宇宙人を装って地球に突然着陸し、我々を助けるふりをするのではないかといわれています。ナチスドイツ、アメリカ、イギリスには少なくとも65年以上宇宙人が政府と一緒になっていろいろなことを計画して来て、決して宇宙人の存在を認めなかったのに、いまさら巨大な宇宙船ではじめて現れるように演出するのは何かたくらんでいると見たほうが良いでしょう。6000年も騙されてきたので今度だけは騙されない様にしないといけません。マヤ人によると2012年12月ごろのある日突然世界中が3日ほど暗闇に包まれるそうです。これは、地球が銀河系の中心平面を通過しているということです。このときもし地球の南北が入れ替わり回転軸の位置がずれると映画のようになります。このとき青い強い光が銀河の中心から注ぎますので、この光を浴びてください。これによりあなたのDNAは新しくなり5次元にいくことが出来ます。5次元の世界は、3次元の時のように死にません。体は魂の一時的なよりどころで必要な時に新しい体に変えられます。もはや地位やお金の奴隷ではなくなるのです。
ちなみにこの爬虫類人達は、行動する前に皆に知らせなければ行けないという取り決めをしています。映画、テレビ、雑誌、新聞、ラジオなどは全て彼らの会社ですので、しっかりと見ておいてください。2012年に関した映画結構ありますよね。インディペンデンズデイの始めのところを読んでいたら、48歳のシカゴ選出で民主党の大統領が主人公の一人になっているのは偶然でしょうか。来年48歳のオバマ(もちろん爬虫類らと血縁関係)も本に書いてあるとうりシカゴホワイトソックスのフアンですよね。スターウォーズ、未知との遭遇、MIB、スターゲート、ミムジーなどにはずいぶん本当のことが織り込まれています。スターゲートの中で考古学者のDr.ジャクソンが古代言語を解読してその星の人の起源のことを説明しますが、じつは人類の起源のことでその星の人々は我々の祖先であるアトランチス人だと思われます。少年がグレイと呼ばれる宇宙人に取り付かれて支配者(ラ)になりますが、多くの宇宙人は人間の体に取り付くことが出来ます。ヨーロッパ、アメリカ、日本の政治、経済、金融のリーダーの多くが、取り付かれいるか血縁関係ですので、戦争、経済不況、麻薬などがいつまでたっても解決しない理由が分かりますね。世界は今ニューワールド オーダーにもとずいて動いていますので、アジアの国々は中国に吸収されるでしょう。1ドル札の後ろにピラミッドと支配者の目が描かれておりラテン語で計画に同意せよ、ニューワールド オーダーと書かれていますがほとんどの人は何のことだか分かっていません。(You tubeでIlluminatiと検索してください)
2013年は、3次元に残ったものにはつらい日になるでしょう。3次元の未来のことはジョン タイターを調べてください。大体のことがわかると思います。
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再度書込失礼します。

No.6で回答した者です。他の方の回答も読ませて頂きました。
色んな考えがあって、とても興味深く、面白いと思いました。

 「生と死」漠然としすぎて、実際には分からない事ばかり。
大昔、人類滅亡の噂があり、最近連続してる大地震。
何となく[死]を意識してと言うか、漠然とした危機感はありますよね。
不安と言うのとも違う。どちらかと言うと[何かしたいけど、分からない]と言う焦りかな。

 昔の映画で[ペイ・フォワード]と言うのがあったのですが、ご存じですか?
[世界中を幸せにする法則]
13歳の子供が出した答えは、[1人が3人を幸せにする。その連鎖が世界を幸せにする]

 1人の力で出来る事はとても小さいけど、出来る事はある。背伸びする必要はないし、
どんな小さな事でも、奇跡は起こる。

不安は、どんなに消そうと思っても消えないもの。それなら、共存する方向で考えたら良い。

何を幸せと感じ、何を不幸と感じるか? その答えは自分の中にある。
他人に良い評価されない人生って思ったら、不安も残る。だから、必死になるんでしょうけど、
無理はしない事です。必要とされる事は、多かれ少なかれ、確実にある。
地道だけど、[価値ある人生]それを見付けられたら良いですね。
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この回答へのお礼

また一つ一つの言葉が深く染みこみました。
「1人が3人を幸せにする」いいですね。
宮沢賢治の「世界が全体幸福にならなければ個人の幸福はありえない」を思い出しました。
共存や地道な価値ある人生は私にとっては身の丈にあった幸せなのかと思いました。

お礼日時:2008/09/29 20:50

貴方は、苦しいのではないでしょうか


> 私は毎日「今日死んでも後悔しない様に」と思いながら生きています。
この言葉だけですと、とても勇気のある前向きな感じですが
読み進ませていただきますと、不安に怯えている貴方を感じました
もしかしたら貴方は「死」が怖くて、こだわってしまっているのでは
ないでしょうか
太陽を直視できないように、死も直視できないと思います
「がん」を例にお話しますと、末期がんの方のためにホスピスという
病院があります、余命があと少しという方のために痛みを薬剤で
緩和したり、精神的な支えをして差し上げたりしているようです
万一死が身近に訪れたとしたら、私なら、医師に助けて頂きます
ホスピスは日本中で増えていますが、通常の病院(ホスピタル)でも
同様なことは医師の判断で可能でしょう
がんという病気は意識が混濁しない傾向のある病気です
痛みをあまり感じない方もかなりいらっしゃるようです
もし痛みが強い場合は鎮痛剤に始まってモルヒネも使用するそうです
それ以外の病気で死に至る場合は、たいてい意識が混濁して、苦痛を
感じない場合も多いようです
もちろん死という一大事に遭遇しているのですから様々な想いや
苦痛もあるでしょうけれど人間の身体は不思議なもので苦痛や恐怖に
直面すると、人体では
「アドレナリン」が放出され「興奮」したり
「セロトニン」が放出されて「安定」したり
「ドーパミン」が放出されて「爽快」になったり
「エンドルフィン」が放出されて「快感」になったり、するそうです
「ドーパミン」は脳内覚醒剤とも言われ
「エンドルフィン」は脳内麻薬と言われるほど効くのだそうです
つまり私達の人体は様々なことに適応できる不思議なものらしいです
ですから安心して死を忘れて楽しいことをしたり考えてはどうですか
もしできないなら心療内科や精神科に相談されてはいかがでしょう
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なんだか具体的なご説明を頂いて少し気持ちが楽になった気がします。
そうなんですか。
人間の脳はそんなに不思議な働きをしてくれるものなんですね。
少し安心しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/26 21:06

30代♂です。



死を考えるということは、つまりは生きるということだと
思います。あなたのように、マイナスな死への考えでは
なく、死を真摯に受け止めプラスに生きることを考えることは
良いことだと思います。
それが今を生きるということだと思います。
ただ、後悔しない人生が良い人生だとは思いません。
むしろ、そうした後悔の中から生きる意味を知るような
そんな気がします。
ですから、あなたもあまり自分自身を追い詰めないで
もう少し気楽に、今を生きてみてはどうでしょうか。
失敗してもいい、間違っていてもいい、後悔してもいい、
そんな弱い部分も全て受け止めることも必要なのです。
これからも、たくさん後悔して生きて行きましょうよ。
それをただの後悔にするのか、未来へ向かう肥やしに
するかは自分次第なんですよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の年齢を言っていませんでしたね。
私も30代です。
「後悔しない人生が良い人生とは思わない」というご意見に少し驚きました。
既に色々経験された上での結論なのでしょうか。
私も気楽に行きたい、失敗してもいいと思うようにしています。
そうしないと自分のふがいなさに押しつぶされてしまいそうになるからです。
弱い部分を受け止められないから後悔したくないと必要以上に
意識してしまっているのかも知れません。

お礼日時:2008/09/26 21:02

ご質問がちょっと目にとまって,,回答もひとしきり読ませていただいたものですから。

。。。意見というより独り言。。。。

>「今日死んでも後悔しない様に」
死んだら後悔しなくていいかも,,と,ちょっと思いました。わたしなど後悔する状況に陥ること自体が嫌で,日常的になんでも先回りする思考(志向)ですが,死んだら自分は“後悔できる状態”じゃないわけで。。。。

それよりなにより,自分の死より知人,家族の死のほうがいろいろ不安な気持ちにさせられます。これは“後悔”とおんなじですね。(知人,家族の)死のあとにも,自分は生きて考えて感じているから。“後悔”は失敗の前後を通して“考える”自分があるから“後悔”するのでしょう?

考えてみると....生まれる前の時間と,死んだあとの時間は“わたし”にとって“わたし自身がいない”,という点で同質なはずなのですが,,生まれる前の時間について惜しんだり悩んだりすることはあまりないですね(あたりまえですが)。やっぱり自身の“死”そのものについて,痛そう辛そう酷そうと,悪いほうばかりに憶測するばかりなので,臆病風に吹かれるんじゃないですかね。初体験を迎えるおんなのこみたいに,痛み辛みのむこうにすてきな感覚がある,,という確かな情報さえあれば,そうそう構えずとも受け入れられそうな気もしますが,,,,こればかり(確かな情報)は望むべくもありません。。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
色々なご意見があり、それぞれ私の思ってもみなかった方向からのお話で
質問して良かったとつくづく思いました。

>それよりなにより,自分の死より知人,家族の死のほうがいろいろ不安な気持ちにさせられます。

その気持ちもすごくよく判ります。
何となくですが死ぬ人より残された人の方がつらいのではないかという気持ちを持つことがあります。
それもあり、私は夫よりも長生きしたいという気持ちもあるんです。
独り残される方がきっとたまらない、耐えられないのではないかと思うんです。
それなのに死ぬ時のことも考えてしまっているのでもうどうしたらいいのかと思っています。

>やっぱり自身の“死”そのものについて,痛そう辛そう酷そうと,悪いほうばかりに憶測するばかりなので,臆病風に吹かれる
んじゃないですかね。

正直この思いは強いかも知れません。
本当に臆病で弱い人間だと思います。

お礼日時:2008/09/25 23:32

死について考えてはいても、死を覚悟は


出来ていない状態なんでしょうね。
でも、それが人としては正常な状態だと思いますよ
死を覚悟するなんてよほど精神力の強い人か
特殊な状況下でなければ出来るもんではないですから。
それと、文面から貴方は後悔しない人生にしたいと
思っていてもそれが何なのか解っていない気がします。
どんな、高名な人間だって後悔はするのだから、貴方が
何を持って幸せだと思えるか、それを考えてそれを
実現する為に努力してみてはいかがでしょうか
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
シビアなご意見ですがそうなのかも知れません。
自分が成長の努力が無い人間に思えてきました。
今はその場に立ち止まりただ不安な気持ちを持ち続けているだけの私です。
「後悔しない人生」についてもう少し考えてみようと思います。

お礼日時:2008/09/25 23:30

>日々の生活で死を意識しておくことは精神的にマイナスでしょうか。



死を意識すること自体はマイナスにもプラスにもなります。
どうせ死ぬんだから努力しても意味無いと刹那的に生きたらマイナスでしょう。

でもa1y2u3m4iさんのように死を意識して、だから今を精一杯生きていつ死んでも後悔しないように生きることは大事です。

死を意識している人のほうがその時間を大事にすごし、多くのことを成し易いです。
死を意識してない人は時間を無駄に過ごしてしまい、大事な時間を見殺しにしてしまっている場合が多いです。

そして今のように漠然といつ来るかわからない死を意識しているのと、病気などで余命後いくつと言われた場合ではまた精神的に違ってくるのは当たり前のことです。
その時はその時。言われた直後は周りにあたってしまっても周りの人は理解します。
そういうショッキングな時間が過ぎた後どう考えるか。
それはその時になったらまた考えれば良いことです。
ただ、普段から死を意識し死生観を持っていれば、ショックから立ち直ればまた普段と変わりない考えに落ち着くものですよ。
その考え、行動を無理やりやっていないのであれば。

足ることを知り、自分の出来ることを知り、多くも少なくも求めずに自分でいれば精一杯後悔しない人生を歩めると思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
はげましと慰めを言われた気分です。
私は見えない恐怖にただ怯えているだけなんですよね。
現実と向き合い、もっと建設的な前向きな考えを持った方がいいのだと思いました。

お礼日時:2008/09/25 23:29

『死』とは何でしょうか?


私は宗教との関りはありませんが
『別世界への旅立ち』と考えるようにします。
真実は深く考えても出せる結論ではなく、
死に直面して初めて分かる事。

そうそう
我々の日本人の祖先、真のサムライは『死人』であったと聞きます。
つまり守るべきものを自分の命を賭してでも守り通す。
常に死と隣合わせでいながらも全力で戦い抜いてきたのです。

きっとサムライも
今のあなたと同じ心境で
夜になると死への恐怖の不安で一杯だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
強い精神力のある人でも不安な気持ちになるってことですね。
私ごときがあがいてしまうのは当たり前なのかと思いました。

お礼日時:2008/09/25 23:28

死を意識して生活する事は悪くないと思います。


もしそれなりのお年なら病気などでなくても、必然的に考えたりするのが普通だと思いますし、悔いのない人生や今をより良く自分らしく生きるためにも大切だと思っています。

「死を考える事は生を考える事」であると言う事でしょう。

しかし神経質にそればかりを考えていては、毎日の生活が潤いませんよね。
究極な例ですが「悔いがない」ことを第一にするなら我慢は必要なくなります。
明日死んでも悔いがないように「食べたいものは我慢しない」「人の迷惑より自分のしたいこと」って具合に。(あくまで極論ですよ)
遺書も書かないといけないし・・

交通事故や急病死、殺人?なんかを考えたらみんな「自分が明日死んでもおかしくない」と思っています。
でもどこかで「自分の明日はやってくる」とも思っています。
でも明日の死を本当に現実味をもって、真剣に考えられる人は重病で余命宣告されている人くらいではないでしょうか。
結局はみんな堂々めぐりなんじゃないかと。
だから死を意識して生きる事は大切な事だけど、毎日毎日考えてしまっては精神的に良くないし、意味がない(毎日死んでもいいようにって、無駄も多いし)、結局はもっと前向きに考えて生活してればあんな事もしたのにって後悔が生まれてしまうかもしれません。
ストレスは様々な病気の要因にもなりますし、もう少しおおらかに考えてはいかがでしょう。

後悔しない人生・・そうありたいけど、そんな事ができる人はたぶんいないのではないでしょうか?
いつも死と向き合っている人(医師、僧侶など)で、死生観を持っていてもいざその場になったらやはり心はゆれると思います。

大きな枠で自分の「死生観」を考えたら、後の細かい事はその場になってでもいいと思います。
急死・・もあるからモンモンと一人で考えず、機会をみて家族にも考えを話しておくことも必要でしょうか
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
こういう意見が多いのではないかと想像して質問を致しました。
後悔しない人生というのは確かに難しいです。
多分私は身勝手な人間で他の誰よりも死ぬ時に「何故自分が死ななきゃならないんだ」と
思ってしまう気がするんです。
その一方で昔から人より劣る人生であるという意識も強いのでやっぱり私はいい死にかたはしないんだろうなと
思ってしまうこともあります。
「自分の明日はやってくる」という意識があまり強くないほうで、何か災害や事故があったら
私は真っ先に死ぬのではないかと思ってしまいます。
だから余計死ぬことに対して怯えと覚悟が交錯してしまい、今はこういう精神状態になっているのかなと思います。

お礼日時:2008/09/25 23:26

基本的に、[こう言う考え方がいけない]なんて理論は無いと思います。

時期的なもので、
いつのまにか、どうでも良くなったりするし、そう考えるなら、自分なりの理論を作り上げても
良いんじゃないですか?

 私自身は、実際に交通事故にい、2年ほど寝たきり生活でした。意識はあったものの、全身の神経が
全く機能せず、手足は勿論、目も口も、自力で動かせない状態。痛みがあっても、暴れられない。
死ねない。生きられない。自分の無力さ感じ、物事への執着心が無くなる。何の為に生きるのか?
[後悔しない為に生きる。]これが、私の理論だけだったど、[死は死] 何をしようと、最後は[無]
後悔も未練も何もなかった。


これは、私の勝手な考えだけど、死と生は全くの別物で、生きる為に[生]を楽しむ。
死ぬ時は、[死]の事だけを考える。怯える必要はないし、堂々としてたらいい。
[死]に対して、危機感を持つのは大事だけど、生きる理由に[死]は要らない。
一生懸命生きて、一生懸命悩んだら良い。その事自体が[生]を楽しんでる事になる。

私自身は今、片手片足のみが麻痺してる状態。自分が生きてるって思うからこそ、
生きる楽しみを探してる。

考え方は人それぞれ。自分だけがオカシイ訳でもないし、自分なりの理論が固まったら、
自信も付くんじゃ無いですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
経験に基づいたお話を聞かせて頂きまして感謝いたします。
重みのある言葉が私の甘っちょろい考えを吹き飛ばす勢いを感じました。
まさに叱咤激励ですがとても温かくやさしい励ましを頂いた気がします。
何度も何度も読み返してその言葉の意味をもう少し自分なりに消化したいと思いました。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/09/25 23:24

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