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大河ドラマで篤姫を見ていたら島津久光が1000人の兵を率いて上京、その武力に幕府は驚いて・・・将軍家茂が3000の兵を引き連れ上京、云々とありました。
この一例を深く掘り下げるつもりはありませんが、関ヶ原の際に1000や3000の兵力ではたいした働きはできません。太平の世が続き、幕府、藩ともに財政破たん?だったとしても、あまりにも少なすぎませんか?しょぼすぎ。

その要因って、他に何かあるんでしょうか。
旗本を数万人動員ってのも厳しいんでしょうか。
(鎌倉時代や戦国時代は自腹、あるいは多くを自腹で参陣するケースもあったと聞きます)

A 回答 (6件)

島津久光の東下は、警護の人員と言う意味もありましたが、洋式歩兵・つまりライフルで武装した歩兵のお披露目みたいな意味があります。



藩内でも鋭意軍拡中ですし、藩外に連れて行ける洋式歩兵の兵力が1000だったのかもしれません。

旗本はとてもじゃないけど戦争には使えません。
彼らは基本的に米を給与(ほとんど働いてないけど)として受け取ります。戦国時代から幕末になるころには、貨幣経済の発達や商品作物や工芸品などが多く増え、生活費に比べ米価は大幅に下がっています。とてもじゃないですが、武具をそろえて戦争はできません。
あと、旗本も腑抜け切っているので、戦争が始まると隠居届けだすとか忌避行為が横行しています。
既存の旗本は使い物にならないので幕府でも、洋式歩兵の練成等行っています。

なお、関が原の時代にスペンサー銃等連発銃があれば、1000の兵でも地形さえ使えれば万の兵を退けることも可能でしょう。
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すでにご回答にあるように諸藩は与えられた所領よりの年貢米での収入では危機的な情勢でした。


裕福とされた藩はいずれも密貿易、殖産、過酷な課税、外資の援助などによる収入を図っていました。
したがって軍備予算に注力する余裕はありませんでしたのと長い平和に慣れてほとんど関原合戦と同様の状態でした。

その為近代装備(連発可能な金属薬莢を使用するライフルや大砲)には対抗できなかったのです。
毎分1発程度の火縄銃(有効射程1百m程度)と毎分5~6発(有効射程5~6百mのライフル}とを比べればわかるでしょう。
この武器の性能差のほか平時の供ぞろえと戦時の編成とは明らかに異なります。

戦時には長州藩では武士だけでなく、志願兵制度の奇兵隊を編成しており、戦闘時にはほとんど奇兵隊が活躍する有様でした。
薩摩藩は男子皆兵の土地柄でしたから動員兵力が多かったといえます。

他藩では戦闘は武士によるものという風潮が強く、その武士は官僚化して現在の公務員のような職務についており、戦闘員としての訓練、練磨はすたれていました。
このような人員をいくら集めても役にはたちません。
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平和ボケと銃砲の導入で軍事費が増加したので兵士を削減した


もともと兵卒は戦争時に農民を狩り出して組織する方法だったが幕府や藩の弱体化で農民を強制するだけの力が力がなかったのだと思います
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この回答へのお礼

皆さん早速のご回答ありがとうございました。

いろんな理由があるんですね。

お礼日時:2008/10/05 10:22

久光の上京は、戦争行為ではないので、それほど多数の人員を


連れて行くことはできません。
何万人も連れて行ったら明確な倒幕意思と見られて、
謀反を問われます。
家茂の上京も、警護の人員に過ぎませんし、
将軍の場合、大半の領地は部下の土地ということで、
自分の家の中を移動しているのに等しい。
どちらも戦争の意思がないわけで、戦争の準備をしてません。

対して、長州征伐では10~15万程度の兵力を動員しており、
関が原の時代といささかもかわってません。
要するに平時か戦時かということです。
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理由はいくつかあります。



一つは他の回答者さんが答えている財政問題ですね。
なので私は他の部分から答えます。
一つ目は装備の高騰です。当時の最新式の武器は言うまでも無く外国製です。銃は小銃であり射程・威力・連射性など全てにおいて火縄銃を圧倒しています。勿論輸入物なので高価ですしその訓練も海外のマニュアル(操典)を翻訳したり原書で読んだりして調べながら進めます。勿論その人材育成やスカウトにもコストが発生しますね。
次にそういった装備で固めた軍隊はそれ以前の旧式の軍隊とは比べられない程の戦闘能力を持っています。鳥羽伏見の戦いでは新政府軍五千と幕府軍一万五千が戦って新政府軍が勝利しています。誤解されがちなんですが幕府軍も一部の部隊は最新式装備を持っていました。他にも政治的な理由も絡むのですが、それでも3倍の差を覆した事実は動きません。

旗本の動員ですがこれは非現実的な事です。250年の間に軟弱になり経済的にもインフレや経済成長で物価が上がってるのに給料据え置きですから自弁で装備を調達するのは不可能です。極一部に戦意が旺盛な人が居て集まって奇跡的に装備を持たせても訓練が出来ていません。これは剣術とか射撃とかの個人スキルの問題では無く、部隊運用のレベルでの話です。例えば近くの繁華街を歩いている人たちに声かけて集めてから行進させてみたとします。中にはオリンピック選手もいるかもしれませんし警官や空手の達人もいるかもしれません。しかしピッタリと息を合わせて足並みを揃える事は困難でしょう。つまりはそういうことです。
他にも補給の問題がありますね。小銃や弾を集められても食料・医薬品・弾薬・陣地設営資材等素人考えでもその位は必要です。そうそうある意味人材も消耗品ですからその育成と供給もありますね。
分かり易い食料一つ取っても兵士に一日辺り三千キロカロリーは必要です。体格が小さい事を考慮しても二千を切ったら戦力の保持は不可能でしょうし。

あくまでも個人的な見解ですけど。
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幕府は諸藩の軍事力を弱めるために幕府の事業に参加させたり参勤交代など過大な財政負担を押し付けました


だから諸藩は軍備どころではなかったのです
諸藩の軍事力が低下するにつれて幕府の軍事も形骸化して弱体化したのです
幕府も諸藩も軍備どころではなかった
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この回答へのお礼

太平の世が続き、幕府、藩ともに財政破たん?だったとしても、あまりにも少なすぎませんか?

お礼日時:2008/10/04 10:33

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