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高校三年生の女子です。
私は将来のなりたい職業がなく未だに大学の学科も決まっていません。
自分のやりたいことから決めようと思うのですが、
私は人の気持ちについてや善悪について、
生きる意味などを考えていきたいと思いました。

そこで自分にあっているのは哲学科なのかなと思うのですが、
大学で学ぶのは哲学史や言語がほとんどだというように見ます。
知識として先人の考えを学ぶというのももちろん興味深く、
学んでいて(といっても入門書を読む程度です)楽しいのですが、
やはり私は自分の考えと他人の考えの議論など
(答えがなくても)能動的に考えるということがやりたいと思うのです。
哲学科では本当に思想などを「学ぶ」だけなのでしょうか。

日本文学科では文芸・文学コースを選べば本を深く読んだり、
表現方法を学んだり出来るみたいなのでそちらのほうが向いているのかもと思いました。

うーん…結局私には何が向いているのでしょうか??
哲学科、日本文学科以外でも向いている学科がありましたらアドバイスお願いします。
また、それぞれの学部の具体的な授業内容も知りたいです。

自分のやりたいことがはっきりと1つ決まっていればいいのですが、
如何せん色々と興味が散漫しているのです。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

若し未だに悩んでいらっしゃるのでしたら、就職活動に役立つ判断が優先されるべきよね。



企業の中では学問の話題への言及は否定されますよ。
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>哲学科か日本文学科か



私は哲学も日本文学も大好きですが、大学入学時(70年代)に選択志望したのは、哲学でも文学でもなく、卒業後に就職に直結することが確実視される分野でした。
理由は簡単でして、貧農に生まれ、わが子にだけはそういう暮らしをして欲しくないという親の切ない願望をひそかに感じていたからにすぎません。

大学に入学して最初に受けた授業時に、大学院を修了して間もないフランス語の若い先生から説かれたのは、「大学4年間はとにかく徹底して語学を磨け、あとは好きな本をたくさん読んでいればそれで十分!」ということでしたが、そう言われた私はダマされたつもりでそれを実践してみました。

30年以上経た今でも、当時のフランス語の先生の言葉については感謝しながら想い出します。
後悔することがあるとすれば、本当はもっと徹底的してそうすれば良かったのに、生来の怠惰に何度か妨害されたということぐらいでしょうか。

以上のような経験に基づいて申し上げますと、哲学を専攻しようと、文学を専攻しようと、別にもう一方を学ぶ機会が犠牲になるなんてことは決してないということです。
と言うか、優れた哲学者の場合、例外なく膨大な質量の文学書を読了していますし、同じことは文学者にもそのまま当てはまるとお考えになって間違いありません。

敢えて、両者の違いについて申しますと、哲学を本格的に学ぶには、英・仏・独語以外にラテン語・ギリシャ語も辞書さえあればなんとか読める程度に修得しておく必要があるということになります。
こういう地道な基礎的スキルの修得を怠ったままで、どんなに「自分の考えと他人の考えの議論など(答えがなくても)能動的に考えるということがやりたい」と言っても、おのずと限界があるからです。
もっとも、大学院への進学を目指すのでなければ、ラテン語・ギリシャ語までは要求されないかもしれません。

一方、日本文学を志望するとなると、たとえ現代文学を専攻するにしても、古典や外国文学の教養は必須である上に、そのテキストを構成する日本語そのものについての深い知識をも要求されます。
古典を勉強するには、さらに中国古典(漢文)に関する豊かな教養も不可欠となります。

>うーん…結局私には何が向いているのでしょうか??

敢えて申しますと、現在質問者さんが抱いている哲学や日本文学のイメージにしたところで、首尾よく志望大学に入学し、各科目の最初の授業を一通り受講した段階で、良くも悪くも完膚無きまでに崩壊させられてしまうはずと断言できます。

大学というのは、実験・実習等の制約がある学科・専攻でない限り、基本的に自分で何を勉強しようと文句も言われなければ、妨害もされないところに最大のメリットがある、とお考えになった方が良いと思いますよ。
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経験から私が言いたいのは2点だけです。



1.
大学で何かを教えてもらえるというのが幻想だということは
大学に入ってから分かります。大学ではだれも教えてなんか
くれません。本を読み学科のクラスメイトやサークルの先輩
と議論氏話し合う中でいろんなものが形成されいくわけです。

2.
大学にはいろんな大学があります。ことに文科系の場合には
その大学のコンセプトというものを持っているものです。
哲学科と文学科を分けてガチガチにそれだけ勉強するという
のは古いタイプの考えです。大学の中には学際的なものを
重視しているオープンな大学があります。そこでは文学の
専攻学生も哲学の授業に出て講義を聴くことができます。
中でコースを変更することも、中途で他の大学に転入する
こともあります。一つですべてが決まるわけではありません。

がんばって。
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<<私は人の気持ちについてや善悪について、生きる意味などを考えていきたいと思いました。

>>

何冊か書籍をオススメします。

サンガ出版の
「仏法」
「ブッダの実践心理学シリーズ」
「現代人のための瞑想法」
「心の中はどうなってるの?」

がオススメです。

哲学的にも常に最先端に有ると感じてます。
一度読んでみてください。

驚かれること思います。
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WHATではなくHOWを考えてみたらどうかと思います。

つまり私にはどんなことが得意だろうかではなく、具体的な対象や課題に対してどんな風に取り組んでいくのが得意だろうかと考えることです。人生の矛盾ですが自分の得意なことというのはやってみなければわかりません。つまり振り返ってしかわからないものです。私がもう一度若くなれたら高校の教科の中で何が得意かではなく各教科にどのように取り組んでいるかを考えてみて将来の方向を決めてみたいと思います。極端に言えば正業だったらどんな職業を選んでもあまり変わりがないと思います。その前段階である大学についても全く同じだと思います。それが冒頭のnot what but howのことです。
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こんばんは、



大学は主に知識を習得する場なので、あまり過剰な期待はしないほうがいいと思います。
善悪や人の気持ちが教科書に書いてあるわけではないですし、知識としてのそれで満足したいわけでもないでしょうから。
その気になれば哲学と日本文学の両方を勉強する事だって可能でありましょう。

自分に何が向いているかを見つけるために大学にいく、と考えるのが今はいいと思います。
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