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私は創価学会を脱会し法華講(お寺)に入信しました。難しい理由はありません。ただ母が亡くなったときに葬儀で戒名を頂き、お経をあげて頂きたかったからです。もともと創価学会の活動にも興味もなかったし、疑問すら感じていました。かと言ってお寺が正しいという確信もありません。いまだに創価学会の人が連れ戻そうと家にやってきますが、お寺を攻撃するばかりですし、お寺も創価学会を誹謗するばかりです。何が正しいか両者の話しだけでは判断できません。どなたかこの問題を客観的に理解し説明して下さる方、おられましたらお願いします。

A 回答 (5件)

まず、ご生母様、ご遺族へ、お悔やみ申し上げます。



私見ですが、亡くなった方をめぐり、宗教・宗派がイザコザを繰り広げることに、遺憾を覚えます。
あまりに、こじれているなら、創価学会と法華講をひとつの席に着かせて、決着させればいいのでは?

生は天からの授かりもの。死は天へ至る自らの道のり。天下にひとつ輝くものです。
創価学会であろうが、法華講であろうが、瑣末な事。
どう、弔うか急ぐことでもないでしょう。
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この回答へのお礼

親切なお言葉心からお礼申し上げます。ただそれぞれ巨大な組織なので、末端の人達を話し合わせても結論を出すのは難しいかもしれません。冷静に見て普通の考えを持った人達ではないようですから・・・

お礼日時:2008/10/26 18:27

 再度投稿させていただきます。

 
 客観的事実を判断材料にしたいとありましたので、参考になりそうなものを上げます。
 
 かつては日本最大の仏教団体として栄華を極めていた日蓮正宗ですが、戦後間もないころは本山の大石寺ですらボロボロの貧乏寺でした。戦後になり創価学会が発展し、宗門を守ろうとして寺への供養が始まりました。ここで注意したいのは学会はそんなに裕福だったかというと、そうではありませんでした。かつては「創価学会は病人と貧乏人の集まりだ」と揶揄されるほどでした。
 そんな中でも真面目な学会員の人たちは少ない収入を貯めてご供養をしていきました。
 その結果、終戦後の大石寺の境内が5万坪だったのが、1970年には113万5000坪までに拡大し、学会が建立・寄進した寺院は全国で356ヵ寺にまで及びました。もろもろを換算してもその供養の額は天文学的数字になるといわれています。
 つまり、学会員としては自分たちはこれ以上に無いくらい宗門に尽くしてきたという自負があるのです。
 しかし、宗門は前法主阿部日顕の代になると、この上ない贅沢ぶりと風紀の乱れを見せるようになりました。ゴルフにパチンコ、豪遊三昧をし始めました。そして、学会が宗門内の風紀の取り締まりを度々お願いするようになると、宗門は学会に「破門」通告書を送りつけ、話す余地もなく切り捨てました。
 こういう経緯があるので、学会の宗門に対する怒りはハンパなものではないと考えられます。

 また、「シアトル事件」裁判も学会と宗門の代表的な対決です。
 前法主の阿部日顕が教学部長という高い役職についていたときのことですが、1963年に海外出張御授戒という海外布教のときにアメリカのシアトルで出家でありながら、売春婦と金銭上のトラブルを起こしました。
 このことを学会が報道したときに宗門は名誉毀損で1993年に東京地方裁判所に提訴しました。
 これに対して東京地裁は学会の報道は真実であると判断して、宗門側敗訴を判決(2000年)。宗門は東京高等裁判所に控訴しました。
 東京高裁は両者に和解を勧告。宗門は控訴を取り下げ、この裁判は2002年に終結しました。
 宗門内ではこの和解は実質的勝訴としていますが、本当にそうなら、学会側が異議申し立てするはずですし、また学会側から相応の解決金を宗門に支払わなければなりません。
 しかし実際には、学会側は裁判をせず、また1400万円もの訴訟費用は全額宗門が支払いました。第一、「シアトル事件は真実」とした東京地裁の判決に対しての控訴を取り下げることは、この判決を認めたということになります。

 以上2つのことを取り上げてみました。詳細に関してはもっといろんなことがあったと思いますが、ここでは省かせていただきます。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。こんなに大きな事件があったとは驚きですね。学会側の悪いお話はマスコミなどからよく流れてきますが、お寺側の信ぴょう性のある話は今回初耳でした。でも私が嫌な思いをさせられるのは、そういった大きな話ではなくて、末端の学会員の態度・言動・行いなどに不信感があったのです。私の会社内でも勧誘のターゲットにされて、ストーカーのように付きまとわれ、気の弱い人だったので会社を辞めてしまいました。もし創価学会が立派な組織であったとしても、末端の人間がこのような程度の低い人なら、全組織が同じ目で見られても仕方のないことだと思います。そして私の母の葬儀の時に起きた学会対法華講の主導権争いでした。要は宗教家であるなら個人の意志や幸せを尊重してほしいということです。

お礼日時:2008/10/28 01:15

 はじめまして。

とても興味があるので投稿させていただきました。
 まずはじめに、あまり知られていませんが、元来仏教においてお葬式のときに坊さんがお経を唱えなければならないという決まりはありませんでした。
 中世以降に仏式葬儀が行われるようになって、さらに江戸時代には「檀家制度」よって葬式が坊さんの専売特許になっていったのです。
 ですから、俗に言う「出家のお経でなければ無くなった人は成仏しない」というのはありえないことです。第一、仏教の創始者釈尊は自分の葬儀に出家は参加させなかったとさえ言われています。
 ちまみに、創価学会は「友人葬」といってなくなった方の家族・友人で葬式を取り計らうそうです。学会員はだいたいみんなお経が読めるので。
 
 あと、私がとてもびっくりしたのは日蓮正宗の抱えている裁判の多さです。しかも、ほとんど敗訴。
 代表的な例の一つが日蓮正宗の「遺骨大量投棄事件」です。これは日蓮正宗が預かった遺骨を他人の遺骨と混ぜた上に、使用済みの米袋に詰め込み、さらに同じような米袋を150~200も境内の空き地に穴を掘ってごみ同然に捨てたというものです。
 これが明るみに出て、遺族のうち4人が損害賠償請求の訴訟を起こして、東京高裁の控訴審までもつれ込んで、2003年に東京高裁は日蓮正宗側に全面敗訴を下し、合計200万円の慰謝料の支払いを命じました。
これは紛れも無い事実です。
  
 私なりに、できるだけ客観的な事実からお話をしたつもりです。その気になれば創価学会の本は否定的なもの肯定的なものたくさんあるので、両者の立場の本を読んで考えてみるのもよいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

具体的な内容のお話ありがとうございます。私の知らなかった内容があり驚きでした。どちらかといえば自分の経験で学会の悪いところ、お寺に対するデマ(お寺に行くと法外な布施を要求されるなど)が多かったので、自分の考えがお寺寄りに傾いていたという面もありました。私が言いたいのはどちらがというのではなく、相手をののしり合うだけの勧誘合戦なく、事実をもとにした話を判断材料にさせて頂きたいということです。

お礼日時:2008/10/27 00:55

ANo.1です。

再度の投稿お許しください。

インド・パキスタン分離のころですが、ヒンズー教徒とイスラム教徒が激しく対立し、互いに殺戮し合う騒乱になりました。
あるヒンズー教徒の男はイスラム教徒の子供を殺しました。しかし、その罪に悩み、ガンジーにどうしたら償うことができるか教えを乞いました。
ガンジーは、親のいないイスラム教徒の孤児を引き取り、イスラム教徒として育てなさい、と答えたそうです。
映画『ガンジー』のなかのエピソードです。

マザー・テレサは、キリスト教徒でなくとも、貧しいヒンズーやイスラムの人々を引き取り、それぞれの宗教の仕方で弔いをしたそうです。
私は、宗教に懐疑的ですが、このふたつのエピソードは心にとどめています。

創価学会、法華講、ともにお話しになりませんね。このどちらが故人を弔うにせよ、空念仏で虚しいですね。あなた一代が思うやり方で弔えばいいじゃないですか。そうしながら、先々をお考えになればいいと思います。

返答のコメントなど、お構いなく。
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この回答へのお礼

何度もご回答して頂き感謝しております。答えの出ない問題かもしれませんが、私の悩みに真剣に耳を傾けてくださる方がいたというだけで救われます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/10/26 20:52

その「お寺」も、相手を誹謗しているというのであれば、同じ穴の狢です。


おつらいのであれば、その「お寺」も抜けて、仏教の原点にふれてみても
よいのではないでしょうか。たとえば中村元先生の著作をおすすめします。

ブッダの言葉
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。本来の宗教の目的を見失っている人が多いと思います。

お礼日時:2008/10/26 20:45

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