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伊達政宗の弟伊達小次郎 幼名:竺丸 別名:政道/正道
について質問します。
明和二年(一七六五)に建立された金上盛備墓の碑文に

老臣四輩議曰以政宗之弟正道為嗣然則解舊怨令請和睦
と書かれていますが、これは明治時代調査の物であり仮名であるのかもしれません。
さらに、この文章では、正道とされていますが、政道と書かれていることもあったらしい・・・政道と書かれてるものは見たことないです。(書いてある明治の資料があるサイトあったら教えてください)
通称小次郎としますが、改めて通称とは?と思い調べてみたところ
【正式ではないが世間一般で呼ばれている名称。とおり名】と書かれています。
明治の調査で何を根拠に伊達の弟正道(政道)と書いたのだろうか悪魔で推測?
明治では、もうすでに誰もしらなかった?らしいので、正道(政道)と
確定することは難しいと思いました。
 さらに母の義姫による伊達政宗毒殺未遂事件の件で、貞山公治家記録には「小次郎ニ科ハナケレドモ母ヲ害スル事ハ不叶故ニ如此ス」とかかれており、ようするに小次郎に罪は、ないけれど母を殺すことはできない

すると小次郎は伊達の弟のことだったのだろうか?そもそもここに書かれている小次郎は本当に伊達の弟のことだったのだろうか?
するとなぜ小次郎なのか小次郎は誰なのか?となり思考的八方塞になってしまいます。
自分としては、母に殺されかけて弟に手をかけることなど考えられません・・・誰でもそうだと思いますが
誰か詳しい事情知ってる方教えてください。一番知りたいのは政宗の弟の名前です。

A 回答 (1件)

「政道」、「正道」



どちらが正しいかを特定する史料は現存していないそうです。
その為、「伊達小次郎」として一般的には認識されていることが多いようです。
また小次郎と政宗は同母の子であり、実の兄弟であり、実の弟を殺害に及ぶに至るには、家臣や領内の混乱を鎮め、政宗の権威を示す意味があったと認識しております。


誠に申し訳ありませんが、出典等については、随分以前に複数の書物などを趣味の範疇で読んだ程度の知識の為、定かではありません。ご容赦下さい。
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