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(1)よくある質問かもしれませんが、石原裕次郎がスターになった理由はなんでしょうか。太陽族であり、芥川賞受賞の慎太郎の弟であり、水之江たきこに気に入られていたのはわかりますが、それだけであの風貌で、特に演技もうまいとは思えない人物が大スターとなるとは考えにくい。「あがり症」だったというエピソードからして、「大物」「憎まれっ子世にはばかる」というのにもあまり当てはならない気がする。加山雄三のように親が役者というわけでもない。
(2)上記のような特徴を持つ石原裕次郎のようなスターは、他の例で言えばのちの誰があげられますか?。全く思いつきません。のちじゃないけど、ジョン・ウェインがなんとなく似てますかね?。男前でもなんでもないのにスターになった。
(3)それから、「太陽の季節」「狂った果実」は、ヌーベルバーグに影響を与えたそうですが、映画界や社会に殴りこみを欠けるような雰囲気があります。しかし、次の「嵐を呼ぶ男」以降は、一気にアイドル映画というかくだらないたのきん映画のような雰囲気に落ち込んでいるような気がします。エルビス・プレスリーや、マーロン・ブランドもデビューした時は危険な香りがしましたが、すぐにハリウッドの当たり障りのない存在になってしまいました。石原もそうだったのでしょうか。

A 回答 (2件)

(1)月並みながら、理屈では表せないスターのオーラがあったということでしょう。


よく言われるのは、育ちのいい甘さを含んだ不良っぽさや、「あがり症」からくる照れ屋で素人っぽい佇まいなどをひっくるめて、そのカッコよさがトレンドとなり、それまでの長谷川一夫や鶴田浩二などに代表される、美男で演技がうまいというスター像を根底から覆す清新さが支持された旨の見解です。
結局は、ステレオタイプな方程式では説明できないところが、大スターの所以なのではないでしょうか。

(2)確かに、彼のようなスターは他に例がありません。白人や黒人の美男の基準はわかりませんが、小林旭や勝新太郎などは、そもそもかなりの美男ですし、逆に演技派の大物でカリスマ性を帯びた大スターは見当たりません。

(3)太陽族映画で爆発的な人気を得た後は、映画会社側が商業ベースで安定・穏当な方向にプロデュースするのは当然です。
しかし、裕次郎本人が会社の規定路線にギャップを感じていたことから、自らの方向性を志向して石原プロを設立したわけです。特に「黒部の太陽」には、その意気込みが感じられるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
(1)やはり理屈ではあらわせないのですね。それまでのスター像を覆すのは覆すのでしょうが、マイナス方向の「違い」で覆せるところがわからないところですね。
(2)やはり他に例がないのですね。困りました。
(3)やはり、スタジオ都合の路線に乗せられてしまったのですね。

お礼日時:2008/11/23 22:57

一言で云えば、時代が石原裕次郎をスターにしたのだと思います。


邦画といえば、東映時代劇が主流で、松竹、東宝は、ホームドラマ
な時代に、不良感度バツグンな日活映画は、同世代の男性観客を
魅了したのです。現在でも、60歳以上の男性のファンは多い。
観客の7割以上が男性、しかも多くは、東映時代劇。その中でも
同世代、または兄貴と思える、カッコイイスターでした。
今の、アイドル世代とは、全く時代や環境が違う、と言えます。
ですので、後になって、同じような俳優は、いないでしょう。
ヌーベルバーグに影響を与えたと言われたのは、中平康監督
などで、裕次郎、とは違うと思います。

後に、デップリと太った、西部警察のイメージが強いですが
これは、やはり、年齢から来るものであり俳優の宿命でしょう。
早世したスターが伝説になっているのは、やはり若いままの姿が
一生記憶に残されるからでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
どうやら、「太陽の季節」と「狂った果実」の映画がかっこよかったからそれにたまたま出てた裕次郎がスターになったってことでしょうかね?。不良だからかっこよかった。つまり、不良だったら誰でもスターになれた可能性があるってことでしょうか?。しかし、同じ「太陽の季節」に不良役で出てる長門ひろゆきが石原ほどスターになってない。石原の特別性は不良では片付けられないですよね。なんなんでしょうね?。

お礼日時:2008/11/23 23:05

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