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仮定法に悩まされています。学生時代からずっとなのですが、解説書を読んで初めて過去形ではなく仮定法として過去形を使っていることに気づいていて、自分で仮定法だと見抜いたことはほとんどありません。どのようにすれば仮定法を見抜けるのでしょうか?
例えば、I could help her. という文は、「過去であれば(事故で片腕を失う前なので)私の外科技術を持って救えたのに。」という過去の文か、「(私の外科技術を持ってすれば)彼女を救えるのに。(実際には監獄に入れられていて身動きがとれず彼女を救えない)」という仮定法を使った現在の文なのかは前後の論理関係から瞬時に見抜けるということなのでしょうか?

A 回答 (3件)

この場合はcouldですね。

過去を表す場合は was able toなどを使います。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2272923.html
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>前後の論理関係から瞬時に見抜ける



とは限りませんが、普通は、仮定法が突然文章の中で使われることはありません。

助動詞の過去形が使われるのは、普通、多くの場合、丁寧表現です。「~でしょうね」とか「~であるはずです」、「~であるかも知れません」のような表現が日本語で多用されるのと同じで、英語でも、このような表現はよく使われます。そのため、I/He/She/They/It could/would....とかは非常によく使われます。

I could help her.も、「100%の自信はないが、助けることが出来るかもしれない」と言う意味で使われるのが、多分、一番多いはずです。

多分、文法書が「仮定法」と言う言葉を丁寧表現の個所でも使っていて、そのため、一種の誤解が生じているのだと思います。
ただ、言語現象と言うか、意識としては、心理的距離感を示すための過去形なので、仮定法も実際の過去形も、丁寧表現も、同じなのです。
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文法の問題をおっしゃっているのか、それとも日常会話でのことを


おっしゃっているのかで少し変わります。

日常会話では低い可能性を表すことが比較的多いかなと思います。
つまり、文法言葉で言うところの「仮定法」というものの方が
多いように思います。特に仮定法はifがないとダメと
思ってらっしゃる方もいるかもしれませんが、実質的に
使用される場合はifは省略される傾向にあります。

元々、「仮定法」としてわざわざ文法的に分けていることに
問題があるように思います。couldと言った時点で「できる可能性が
極端に低い」を表しています。つまり、本来はcouldのつく
全ての文章が仮定法という解釈も本来の原義からすると可能だと
思います。(ある程度、個人の解釈の差異も存在しますが。)
「救えたのに」も「救えるのに」も実際的な可能性としては
ほぼゼロであることは一致しています。故に過去時制というよりも
仮定法としての色が濃い方が日常会話での解釈です。

では、これが文法問題であれば、やはりifがついているかどうか
ではないでしょうか?もしくは前後関係から推測するしかないと
思います。

ご参考に。
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