新しく質問する

宗教の違いについてどう思われますか?

役に立った:6件
  • 質問者:hikaru0705
  • 投稿日時:2008/11/09 23:11
  • 困り度:暇なときに回答をください

 僕はキリスト教の者です。キリスト教は神の存在というものを認めています。唯一真の神です。一方で日本古来の神は八百万の神ですね。石にも川にも山にも魂が宿っているアニミズムというんだったかな。また仏教は神を認めていませんよね。
 どの宗教が正しいかという事を論議するつもりはありませんが、皆さんは神の存在についてどのように思っていますか?
 また、その信ずる神(信じない無神論者)に行き着いた理由も教えて頂ければと思います。

この質問への回答は締め切られました。
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:6件)
  • 参考になった:1件

こんにちは。
「神の存在」を信じる者です。
でも、「○○教」と言うようなものには一切属しておりません。
また、神が「唯一」なのか、「複数」なのか、も確信はありません。

只、「人智を超える存在」「目に見えない存在」「全てに超越する存在」を、私は感じますし、感じて生きるべきだ、と思いますし、感じて生きたい、と思います。

私が宗教について考えるようになったのは中学校の頃からです。
私の家は、やはり何の宗派にも属しておりません。
切っ掛けは、「単純な疑問」からでした、
*幸せって何だろう
*本当の感謝って、どういうものだろう
*本当の謙虚さって、どう言うものだろう
。。。そんな「思春期の疑問」を突き詰めて考えていた所から、「宗教って?」が派生して来ました。

更に同時期に一連の「オウム事件」があり、
*他人と自分の幸せの両立は可能か、不可能か?
*神を信じる事と、他人を不幸にする事が同居する事の是非
。。。等が加わり、疑問はかなり混沌化しました。汗

そうは言っても、「してもらった事に感謝する」「育ててもらって感謝する」「日々の食卓に感謝する」。。。そんな事を「心掛けて生きたい」と望んだ時に、私にとって「神の存在は必然/当然」と感じたのです。

でも、では「自分は何教徒なのか?」と考えても、さっぱり判りません。
でも、「神はいる」のだから、「どの神を信じているのか?」。。。ずっと探して来ました。

そして、大学に入り、専攻外で「比較宗教学」を受講しました。その講義で「宗教の定義」や「教義と地理的/気候的条件の関係」「自分の存在の意味に悩む事と、信仰の関係」等、私にとっては「腑に落ちるもの」を得ました。

自宅に「エホバの証人」の方が、聖書の話をしにやって来ます。
聴いてくれる人に話し、断れれば黙って帰る、質問すれば答えようとしてくれる。。。その「謙虚さ」を私は好ましいと感じています。

水にも風にも動物にも、善にも悪にも「神が宿る」と言うような、「神道のおおらかさ」も私は素敵だ、と思います。

自分を律し、他人を律し、「身の丈にあった幸せを大切に」しているように見える、イスラムやヒンズーもささやかに謙虚で、素晴らしい、と思います。

キリストを信じる方々の、これ迄の歴史にある、世俗的な成功も宗教的な成功も、それはそれで、生活に根ざした神の存在を感じます。

でも。。。これらの「宗教/信仰」が、数々の「対立」を生み出し、「罪」を重ねて来た事、も「厳然たる事実」なのです。
何故?と散々考えました。「対立を生まない信仰」が在るのなら、それに属しても良いかな。。。と考えて事もあります。

そうして、考えて考えて、私が辿り着いた「結論」は、「宗教と言う団体に属す事」が「集団心理の傲慢さ」を生み、「周囲との対立を生む」のかも知れない。。。と言うものです。

たった一人でいれば、「自分の正しさ」に「確信を持てず」、絶えず「自問自答」する事になります。信仰に限らず、日常のどんな場面でもこれはそうだと思います。「一人」と言う状態は「謙虚な自問自答」を必要とします。それが「不安」や「寂しさ」から生じたものでも良い、と思うのです。

私自身の今迄の経験では、「自分の正しさを信じる」事から「謙虚さを失う」事が多かったように思います。。まして、「正しさの根拠」を「集団」に置いてしまった時は、かなりまずい自分になっていた、と。
私は「自分に自信が無い」ですし、「寂しがりや」です。
「こんな私」が、「宗教」に属したら、確実に「安心してしまって」「謙虚さを失う」と思うのです。

だから、私は「神を信じる」けれど、「○○教徒」にはならないで居ようと思っています。

纏まりが無いですが、回答になっていますでしょうか。。。?
まだまだ勉強不足故、此処をご覧の皆様、質問者様、回答者樣方、私の解釈等に不快な思いをされましたら、お詫び申し上げます。

通報する

  • 参考になった:0件
  • 回答者:hisya
  • 回答日時:2008/11/11 12:09

神の存在は漠然とですが子供の頃から信じていました。
自分を超えた存在が、何であれ、あるのだろうと・・・
ただ、空漠としていて、イメージは湧かなかったです。

しかし、人間が、活きた信仰を持つには<神的存在>を
イメージをもって実感するための<具体的な形象>が
どうしても必要なんだと思いますね。

キリスト教なら、イエスを媒体として、神なるものを思う
仏教なら、仏像や仏性を媒体として、法なるものを思う
アニミズムなら、自然を媒体として、魂なるものを思う

通報する

  • 参考になった:0件
  • 回答者:maimaisus
  • 回答日時:2008/11/11 11:12

No.11です。
一寸書き込み忘れていたので。
自分にとって宗教とは、人間の欲望形の一つだと思っています。んー恋愛に近いものですね。
それは、ある意味、神が有るかどかは別の事だとも思っています。

通報する

この回答への補足

 そうですか。あなたは宗教を欲望形の一つだと思っているのですね。確かに宗教は御利益などをうたっています。それが人間の願望と重なっているというのはなんとなく分かる気がします。
 

  • 参考になった:0件

 No.8&10&12です。

 ★★ 僕はキリスト教の者です。
 ☆ という前提で 話は 多少 端折って述べてきております。
 この前提が崩れたようですので どうしたものかと思案しますが もう一度 反省を促して そのあとの様子を見て 去ることにします。

 いちいち 評言を与えません。
 ★ 90%以上の人が宗教と関わりを持っているのですよ。あなたの言っていることは現実を無視した自分の頭の中だけで作られた不毛な話です。
 ☆ 意味を為しません。
 ▲▲ (ローマ書12:2) ~~~~~~~~~~~~~~
 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ですから 初めから 《一部ではあるが歪んだ現実を無視》して 話は始まっているという意味です。でした。
 これで 納得いただけるでしょう。わたしが あなたを棄てる理由も。

通報する

この回答への補足

最初に断っておきますが、私はあなたに反省を促されるような事は何も言っていません。すべて私が真実に思っていることを言っています。

あなたこそ、無神論者という前提が崩れているのではありませんか、にわか読みした聖書の知識では人の心を変えることは出来ません。だいたい無神論者が聖書を引用すること自体、自己矛盾に陥っていると思いますが。

 ★ 90%以上の人が宗教と関わりを持っているのですよ。あなたの言っていることは現実を無視した自分の頭の中だけで作られた不毛な話です。
これはあなたの《宗教は存在意義を失っている》という言葉に対して言っているものです。あなたはそう言っていますが現実にはこれほど多くの人が宗教に関与している。つまり、あなたの言っていることが現実に即していないという証です。

 あなたが去るというのであれば、私は追いません。むしろ、これ以上掲示板を汚さないでもらいたい。

  • 参考になった:1件
  • 回答者:kadowaki
  • 回答日時:2008/11/11 01:09

ごく平凡な真宗門徒です。

>僕はキリスト教の者です。キリスト教は神の存在というものを認めています。唯一真の神です。

特定の宗教を信仰する者とそうでない者との間で対話を成立させるためには、まず、互いに共有している一般的な論理と辞書と文法に則って、その範囲内でできるだけ論理的飛躍をせず、できるだけ共通概念を介し、それぞれの考えの根拠なり、源泉なりを確認し合うことが大切かと思います。

たとえば、質問者さんは「唯一真の神です」という命題を、まずは信仰と切り離した上でできるだけ論理的に、順を追って証明してみませんか。
一方、キリスト教に限らず、特定の宗教を信じない人は、各自の思考の根源なり、その思考の限界を窮めてみたらいいのではないでしょうか。

思うに、誰しも、この二つのいずれの立場に身を置こうと、それぞれの課題と向き合い、誠実に、徹底的に考え抜こうとすれば、結果的に両者は大同小異のゴールにたどり着くのではないでしょうか。

たとえば、もし無神論者が自分の知性をフルに活用し、その限界地点に到達したと仮定するなら、彼はその地点から知性の地平線を眺めやったとき、おそらく、その向こう側にチラチラ見え隠れし、好奇心旺盛な知性を誘惑してやまない未知の何かを認めざるをえないはずです。

このとき、己れの限界を窮めたはずの知性にできることと言えば、知性の力をもって解明し得なかったこの謎の前に謙虚な態度を取ること以外にはありえないはずです。
言い換えると、この謎を理解するためには、唯一、知性をその謎に委ねる以外にはないということです。

なお、キリスト教に限らず、あらゆる宗教は各時代・各地域の人々の生活の必要性から生み出され、さらには彼らの生活圏の気候的、地理的、歴史的等々の諸条件に規定されざるを得ないと思います。
でないと、日本の伝統的、自然崇拝的な多神教の成立事情についても説明し得ないからです。
したがって、各宗教の教義を並べた上で、その優劣をあげつらったり、その超越性、非合理性、非科学性を指摘したりすることにさほど重要な意味があるとはとても思えません。

ちなみに、私としては、どう考えても悪人でしかないわが身だけに、こういう自分を必ずや救済してくれる阿弥陀仏の本願、すなわち他力本願に縋るしかないと思っております。

通報する

この回答への補足

神の存在を誰にでも分かるように明確に証明することは、とても難しい事です。それが出来る宗教があれば、みなその宗教に改宗するでしょう。しかし、それを承知で僕が神の存在を知りえたきっかけをお話しましょう。
 まず、一つには自然をつぶさに観察したとき神の存在を感じました。自然はあまりにも美しくそして精密に動いています。生態系の生み出す森羅万象の美しさ、また星々の寸分たがわぬ法則にのっとった運行。それらを考えたとき何かうかがい知れぬ知性を感じました。
 もう一つは聖書の存在です。聖書は人類最古の本にもかかわらず。とても科学的な書物だということです。例えばヨブ記26:7を読むと『地は無の上に賭けられている』と述べられてます。すなわち比較的近年になって明らかになった引力や運動法則と一致した事柄を正確に述べられています。ちなみにヨブ記が書かれたのは西暦前1473年です。
ヨブがこの事実をいかにして知ったか。それは聖書に書いてあるとおり神がヨブに霊感を与えて知りえたという記載が納得のいく説明だったのです。

 以上、自然と聖書が私が神を知るきっかけでした。

  • 参考になった:0件

仏教の真言宗の者です、ほとんど形だけですが。

ところで人間社会に神が必要かと聞かれれば必要でしょうねと答えます。

神、特に絶対神は人々をまとめるには実に都合のいいツールで(失礼!)トップに神を置く事で全員がこれに向かって祈る、神の元に平等であると言われれば自然と連帯感も沸いてくると言うものです。強烈な上下関係が有って初めて横の連帯感が生まれ契約は絶対などと言う産業社会の価値観も生まれると言うわけです。

世界中のどこの国でも神に相当する物は有りますが内容はそれぞれ。
アメリカ
神だけでは多民族国家をまとめられないので事有るごとに星条旗と国歌を動員し連帯感を強める。それも国内が安定していれば、つまり経済がうまく行っていれば特に問題はないがいざ下降気味になると外敵を作ってこれを攻撃する事で大いなる結束を得る。神、国旗、国歌、外敵、この四点セットで国は永続するのです。

中国
神の存在は絶対に認めないがその代わりに【共産党=不可謬】の図式を徹底して教え込む。共産党は絶対に過ちを犯さないと言うわけです。
疑いを持つ人間は命の保障はありません。信じなければいけません、と言う事はこれは一神教と同じ価値観ですから中国は実はキリスト教国と相性がいいかもね。

日本
神が居ても居なくても国家が分裂する事は考えられませんので多くの日本人はあまり深刻な問題とは考えていません。日の丸、君が代を歌わなくても国は安泰だと言うことです。
「私は無宗教です」と言う人結構多いですがそれも当然であまり必要としていませんものね。

独断と大いなる偏見を許して頂けるなら神を必要としない人は幸福なのだと思います、逆に言うと必要としている方たちは不幸なのかも知れませんね。

え?実体としての神ですか?
そう突っ込んだ事は言ってはいけません、どんどん矛盾が噴出すことは目に見えていますから単純に信じれば良いのですよ。

通報する

この回答への補足

確かに日本は外国に比べて信仰心は希薄かもしれませんね。それでうまくまとまっているのは私たちの住んでいる地政学的、民族的性質と深く関係していると思います。日本は島国ですし、ほぼ単一民族です。だいたい同じような価値観をもつ人間の集まりですからね。西洋のように信仰に重きをおかなくてもいいのでしょう。

神を必要としない人のほうが幸福という言葉は、結構インパクトがありました。

あなたは神の存在について全面的に信じているわけではないようですが人間にとって神は必要だと考えているようですね。

まー、その辺が良識ある人の妥協点なのかもしれません。

  • 参考になった:0件

  No.8&10です。

 ★ キリスト教は恒常的に間違いを許していませんよ。
 ☆ 恒常的に人殺しをおこなっています。行なうことをゆるしています。
 ★ クリティカルな間違いをした人は宗教からは排斥されています。
 ☆ 戦争をゆるすことは 《クリティカルな間違い》ではないでしょうか。ゆるし続けているのではないですか? 《自己排斥》をおこなったとは聞いたことがありません。
 二千年 つづくのなら 《能無し》という言葉では 効かないでしょう。
 
 ★ アニミズムは人間が自然と深く触れ合ううちに見いだした一つの価値観だと思っています。
 ☆☆ アニミズムなら肩の凝らない程度に 魂にかかわれるというのは 歴史知性を得た人間にとっては 敗北主義です。
 ☆ と言ったことを 反駁するものとは思えません。

 ★ 仏教は私たちの生活、言葉、衣服、芸術などと深く関わりを持っていることを知らないのでしょう。例えば「いただきます。」という言葉、和服の作りや茶道、などは仏教の思想なしではここまで発展することはありませんでした。
 ☆ だから 役に立っていないと述べたのです。

 ★ 人間のやることに絶対に完全なことなどはありえないのです。
 ▼ (マタイ5:48) ~~~~~~~~~~~~~~
 「・・・だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

 ▲ (ローマ書12:2) ~~~~~~~~~~~~~~
 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

 ▲ (コリント後書13:11) ~~~~~~~~~~~
 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ この世のほとんどの宗教のみならず政治、財団組織だって存在意義を失いますよ。
 ☆ いまは ご質問に従って 《宗教》を問題にしています。《存在意義を失っていますよ》と。

通報する

この回答への補足

あなたは自分の範疇でしか物事を考えられない人です。
私の入っている協会は排斥を行っていると言ってもその事を受け入れません。
アニミズムを敗北主義者と説くのであれば、あなたは敗北主義者の子孫ですね。私は小学、中学、高校、大学で歴史を学んできました。歴史についても少なからず学んできましたがアニミズムが敗北主義だとは思いません。
仏教についての『だから、役にたっていないのです。』という言葉についてはもはや意味が分かりません。人の言っている事を聞く耳をもっているのか?

また、あなたは聖書をも引用するだけで深くは読んでいません。聖書では人間は不完全なものとして述べられています。だから救いが必要なのです。

宗教は存在意義をあなたは失っているといいますが世界中で何十億人が宗教に属しているか知っていますか?90%以上の人が宗教と関わりを持っているのですよ。あなたの言っていることは現実を無視した。自分の頭の中だけで作られた不毛な話です。まったくもって話になりません。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:maimaisus
  • 回答日時:2008/11/10 20:20

個人的に思っていることなんですが。
宗教なんてどうでもええって感じです。
必用な人が必要なもしくは好きな、宗教すればそれでいいと思いますね。
でも、キリスト教とかイスラム教は個人的にあまり良い印象はしないですね。
訳を述べるなら、人間を子羊に例えたり、神様自分で創った世界なのに計画性ねーし、絶対神とか言う割にやることザルみたいなんだよね。
まあ、表向きの話しだけど。
しかし、キリスト教は愛、イスラム教は戒律?がテーマなので上手く宗教としてまとまっているか?
仏教は正直、すげーと思いますね、しかし、難しすぎてね。
因みに自分は、神様はいるかもいないかも派です。

通報する

この回答への補足

 そうですね。宗教というものは必要としない人にとってはそんなものでしょう。しかし、前にも書いたように人間は心も体も生身です。いつ助けを必要とする立場に変わるか分かりません。そういう人達にとっては宗教というものはかけがえの無いものなのだと思いますよ。
 

  • 参考になった:0件

 No.8です。

 ★ 確かにあなたのいうように、宗教をお金を得る手段としている宗教家もいるようですね。しかしすべての人達がそうかといえばそうではりません。
 ☆ 一部のまちがいを 恒常的に ゆるしていれば 能無しだと言わなければならないと思います。

 ★ アニミズムを敗北主義と説くならば
 ☆☆ ≫歴史知性を得た人間にとっては≪ 敗北主義です。
 ☆ 古代の原始心性そのままの人たちのことではありません。

 ★ 仏教は・・・しかし、生老病死から抜け出る手段は無いかと、身を削るような探求を行った人達もいます。それらの人の行は、まったく無意味だと思いますか。
 ☆ そのとおりです。何の役にも立っていません。

 ★ 事実の一方の側面から見た物事の見方
 ☆ ではなくて 一部分を問題にしているのです。犬のしっぽを見ると このしっぽの振り方によって 頭の方向や行き先が 決まってしまっているのではないかという疑いです。
 

通報する

この回答への補足

 ☆ 一部のまちがいを 恒常的に ゆるしていれば 能無しだと言わなければならないと思います。
 ★キリスト教は恒常的に間違いを許していませんよ。クリティカルな間違いをした人は宗教からは排斥されています。
 また能無しなどと言う言葉は軽々しくもちいうるべき言葉ではありません。あなたより、様々な分野で能力に長けている人達はごまんといます。そういう人からみればあなたも能無しですよ。また本当に長けている人は他者に侮蔑の言葉を軽々しく用いたりしません。そういう意味であなたは、まだまだ半人前にもなっていないでしょう。

☆☆ ≫歴史知性を得た人間にとっては≪ 敗北主義です。
 ★私は人並みに知性を持っていますが、そうは思いません。アニミズムは人間が自然と深く触れ合ううちに身いだした。一つの価値観だと思っています。

 ☆ そのとおりです。何の役にも立っていません。
 ★あなたは仏教について本当に何も知らないようですね。仏教は私たちの生活、言葉、衣服、芸術などと深く関わりを持っていることを知らないのでしょう。例えば「いただきます。」という言葉、和服の作りや茶道、などは仏教の思想なしではここまで発展することはありませんでした。

 一部分を問題にする。ではあなたは一つ冤罪があったからといって、裁判制度自体がおかしいと思いますか?人間のやることに絶対に完全なことなどはありえないのです。一部分に間違いがあったからといって、そのことのすべてが間違いだといってしまえば、この世のほとんどの宗教のみならず政治、財団組織だって存在意義を失いますよ。どうもあなたの意見は極端すぎます。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:bananasand
  • 回答日時:2008/11/10 19:30

あなたは神を信じますか?

最近は声を掛けられることが無くなりましたね。

神と「あなた」は、信じられたり、信じたりする関係・・
「あなた」が神の存在あるいは不存在を証明する対象・・
「あなた」が「あなた」の中に神をイメージし、構築し、創造するもの・・

究極的にはどれでもないと思います。

神は間違いなく存在します。存在しないと「あなた」の存在原因が消失します。
神は「あなた」の土台であり祝福です。
神は絶対に存在しません。あらゆる存在、事象が不完全だからです。神にこの不完全性は許容されません。

この矛盾する両方の概念を同時に肯定しています。

あなたは神を 信じ ますか? と聞かれれば もちろん です。と答えます。

通報する

   1  2 次の回答→
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:6件)

このページのトップへ