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硫黄島の戦いでなぜ日本軍は「5日で攻略できる」と豪語したアメリカ軍を相手に1ヵ月以上も抵抗することができたのですか?

A 回答 (4件)

A,2です。


直接回答ではありませんが揚陸戦に関して、ということで
硫黄島と全く無関係でもありませんので…。

硫黄島に対する補給は不可能です。
上陸作戦というのは一部の地域確保を目的としない奇襲上陸を除いて
制海権、制空権を完全に確保して、あるいは相手がどのような反撃に出ようともそれを、予想、撃退するだけの準備をして行うものです。

島の周りの海にいる艦船に対しての通常攻撃さえおぼつかないのに在島部隊に対する補給など不可能です。
ましてや、当時の日本に米軍撃退など不可能です。

また、守備部隊の集結も1944年からで包囲される前に空襲の合間を縫って行われたものであり、戦車26連隊なども一度海没し装備を失っています。

備蓄についてもただでさえ不足している物資を戦争中に前線に送らず後方に備蓄するなどありえません。
戦場は硫黄島だけではないのです。

硫黄島は戦前より飲料水すら自給できないのはご存知でしょうか。
また、地面を少し掘れば有毒ガスが噴出することはご存知ですか。
生存環境の悪さ、救援の望みなし。
だから絶望的な戦闘なんです。

米軍が苦戦したのは硫黄島だけではありません。
原爆投下は認めませんが新兵器は完成すれば使うものです。

実際の戦争は都合のよい仮想戦記でもなく、
もちろん、歴史にIFはありません。
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 米軍は穴に弱いという点を突いたことでしょう。

補給路があって、備蓄があれば追い払えたかもしれません。
 しかし 戦争は勝つか負けるか。あの大苦戦の苦い思いが、後の原爆投下と言う暴挙に結びついていなければ良いが、今ではわからない。
          戦争にもしは無いですし。
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20年以上前に読んだ単行本を元に回答します。


残念ながら、その本はもう手元になく、題名も不明です。

A.1さんの回答によるところの士気の高揚、維持、信頼でしょうか。
各級指揮官、兵も優秀で栗林中将(当時)の意図をよく理解していたのでしょう。

戦術的には艦砲射撃でつぶされる海岸防御をすて(一部犠牲部隊として実施)比較的地質の強固な内陸部の地下陣地に立てこもり無駄な攻撃を避けたことが大きかったのではないでしょうか。
あと、守備部隊が当時の日本陸軍としては火力が高かったことも一因かと。

戦略的には当初から上陸してくる米軍に勝利するためでなく、
日本本土における防衛準備のための時間稼ぎと割り切ったこと。

硫黄島の戦闘である程度、多数の損害が出ることは米軍でも予想しており(初めての日本国内での戦闘)
民間人が疎開して島には軍関係の人間しかいないため当初は毒ガス攻撃も考慮されたようですが(日米とも第一次大戦後の禁止条約に批准していない)
合衆国の歴史を汚すという理由から回避されたようです。

いずれにしろ、孤島で絶望的な戦闘を完遂した日本軍将兵、
任務のためとはいえ勇敢な戦闘を行った米軍将兵に対し
敬意と哀悼の意を捧げます。合掌。
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指揮官の采配・部下への接し方に依るところが大きかったのではと感じております。



以下の書物が参考になるものと思われます。
柘植久慶著『栗林忠道――硫黄島の死闘を指揮した名将』
(PHP研究所、2006年12月、ISBN 4569667430)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2008/11/16 14:28

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