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国民統合の象徴が天皇ということであるが、それは、言い換えれば、国
民を統合できる何らかの「力」を、持っていると言える。それは凄い力
だと思われるが、実質的な行政権等の権力を有していないのであれば、
それは、精神的支柱としての統合力を持つ精神的指導者、あるいは、そ
れが語弊があるのならば、教皇とでもいうような立場であると言わざる
を得ない。でなければ、統合力を有しているとは言い難いであろう。そ
して、その霊的な「統合力」をいつ天皇が有したかと言えば、天皇が、
明治憲法において、神様のような立場で、国家神道を当時の国家が支援
して、祭り上げたところの天皇=現人神であればこその統合力であり、
江戸時代に、天皇に、国民統合の力や国民意識なるものがあったとはこ
れまた到底言い難い・・・だとすれば、この「現行憲法」で言うところ
の「象徴天皇」は、まさに、明治憲法において定められたところの君主
天皇であると言わざるを得ない。となれば、現行憲法は、かつての「国
家神道」をも支持しているということになるのではないだろうか?

なぜなら、江戸時代には、天皇は、国民統合の力など微塵も持ち合わせ
ていなかったと思われるからだ・・・

「象徴」は、すなわち、教皇のような精神的支柱であり、なおかつ明治
憲法の改正であるのなら君主の立場を踏襲していなければならず、国家
が支援した「国家神道」における天皇の当時の立場をも暗に認めている
ようにも受け止められる・・・
果たして、このような「象徴天皇制」を憲法で規定することがどこまで良
いのか?私には分かりかねます・・・

政府は一貫して国家神道は、宗教ではないと言い張ったが、道徳は、宗
教なくしては有り得ないとも言えます。(武士道の精神)
日本国民を統合できる力が、宗教的力なくしてあり得るのであろうか?
もしそうだとすれば、天皇は、宗教を超えた「神様の立場」にいまだに
あらせられるのであり、絶大な霊的力を持つ教皇、大主教のような立場
だと言わざるを得ないが、それでも、宗教は全く関係ないのであろうか?

それほど、天皇は、カリスマ性のある国民が総意で尊敬できる凄い偉大
な人物なのであろうか?人間宣言をされたのにも関わらずである・・・??

そうなると、どう考えても、天皇は憲法の制約を受けることができない
立場だと思うのですが・・・・天皇は、日本の自然法の法源なのか??

つまり、「”国民統合”の象徴としての天皇制」を、憲法で謳って良い
のか?どうかということを是非、専門家の方にもお伺いしたいです。
何卒、よろしくです。

A 回答 (7件)

専門家でも何でもありませんので自信はありませんが参考までに


まず天皇が上位か憲法が上位かという話は様々な議論があります。
ですが私が天皇を何かモノに例えるとするなら土に例えます。
土があり、その上に住まう人々が居る。これが日本一国とするならば、人々はその土の使用に関して法律(憲法)を設けることができても
同じく法律を以って土自体を統御する事は当然出来ないわけです。
よって人々には関わり方を変容させる事ができても根本的に存在自体を変容させる事はできないと思います。
(ですが土と異なり、脆弱な存在でありますので庇護が必要なのは確かです。)

これが嘗ては君主としての天皇、国家神道という形で時の政府が関わったのだとするならば、現行憲法は国民の総意で象徴という
関わり方を選択した事になります。要は天皇の運用方法が変化しただけであるということです。

天皇の持つ価値と言うのは様々な所に言及する人がいますが宗教的な側面を否定する事はできません。
昭和天皇は人間宣言で天皇の神格化は否定されましたが、宗教的なもの自体を否定したわけではないと思います。
ですが現行憲法が定められる過程で国家神道の見直しではなく、宗教性の否定という方向に走ったために多くの矛盾を抱える事になりました。
憲法違反を危惧して宮内庁の職員が宮中祭祀から宗教性を排除しつつあるのは、その一例です。
これを批判する識者によれば宮内庁は皇室を擁護する組織ではなく、嘗ての京都所司代のようなものということですから、憲法によって天皇の存在が変容させられているというよりも、政府側の組織である宮内庁が関わり方を異にしているということになるかと思います。

また同識者は象徴という言葉には非常に肯定的です。
説明として葦津珍彦という神道家が天皇の尊さは言葉では説明できないと述べられていた事を例に挙げ
人によって歴史的な価値に重きを置く人も居れば、宗教的なそれに置く人も居る。
象徴という言葉はそれら全てに対応できるので適当だという論調だったかと思います。

国民統合というと国民の一致団結と言う事を連想しがちですが、恐らく一致団結という事ではないと思います。
国民が一致して、その価値を認知しているというのが近いのではないでしょうか。
先ほどの土の例えに戻すなら、土がどういうものなのか重力云々ということは分からないけれども若しくは論じないけれども
自分達がこの土に足をつけて生きていることは認めるし、その認識は共有しているということになるのではないでしょうか?
別段、この部分については問題ないと思いますが、政教分離については一考あってしかるべきだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、そういう考え方なんですね!
土ですか・・・なかなか穿った示唆に富んだ考えで妙に納得
しましたが・・・
アダムも土から作られてますし・・・(^^)

土自体に重力がなくても、土に皆足を付けて生きるしかない。
その重力は土の背後にある・・・その天皇の背後にあるものは
では何か?? 皇国史観という歴史ではないでしょう・・・?
となれば、どうしても貴殿が言われるように、宗教性を完全に
排除することはできないでありましょう・・・

良く分かりました。ただ、国民の総意として象徴に
してもらえるほど天皇にカリスマ性があるということもまた
事実だと思います。なんのカリスマ性もないのに、
天皇が突然国民の象徴になるわけがありません。
なんの「精神的的力」がないとは言い切れないと私は思います。

>政教分離については一考あってしかるべきだと思います。
このようにお考えになってくださってとても同感いたしました。
感謝です。どうも有り難うございまいました。

お礼日時:2008/11/20 11:17

ご質問なのか意見募集なのかよくわかりませんが。



「象徴天皇制」があるから、今上天皇が天皇であるという前提で論理を組み立てているとすれば、それは一つの意見であって日本人の総意ではありません。

天皇というのは、国民とあわせ、国体そのものであると言えます。ですから、憲法がどう規定しようが変わるものではありません。

つまり、現憲法を「日本国の代表は国民の選挙により選出する」などと改定しようがしまいが、そんなものを超越して、天皇は天皇として存在しつづけるのです。

あえていうなら、東方の島国を日本たらしめているのは天皇が存在しているからであり、天皇の存在の是非を問おうとするならば、天皇家を滅ぼした上で、国名、国旗、国歌を全て変える必要があるでしょう。

国名、国旗、国歌を継承するということは、天皇の立場を継承するということであり、いわば皇位乗っ取りです。

この回答への補足

どうも有り難うございます。
意見も入ってますね。確かに・・・仰せの通り!
けど、一応、質問です。(^^)>
キリスト教的な神の代用品として天皇を祭り上げたのは
事実ですので、その君主としての天皇は、御用思想としての
国家神道と切り離すことができません。
その天皇が、「国民の統合」の象徴というところに疑問符が
あるのです。それが今回の質問でございます。
つまり、戦後の憲法委員会が、ただの単なるシンボル的な
形式的儀礼的な「象徴」ではなく、明治時代における天皇=現人神
としての国体の護持を願っての苦肉の策としての「象徴」と、
やったのではないかと・・・・
元首でもなく君主でもないという意味で「象徴」としたいのなら、
「国民の連帯の象徴」というように、マッカーサーが持ってきた
ウエストミンスター憲章のその語句通りに使用すべきでは
なかったのか・・・そうすれば、天皇も国民も連帯として
横の並列な関係となり、昭和天皇の人間宣言も十分に生かされる
というものではないだろうか??なのに、「統合」と
やっちゃったもんだから、またまた、日本国民の上に立っちゃった!
江戸時代まで天皇が国民の統合だったことはないのですから、
全然、歴史的に精神的支柱でも何でもないです。現に、
そのような天皇絶対主義である前近代的専制国家的な伝統主義が
未だに、この現行憲法に見え隠れするわけでして、これでは、
いつまで経っても、日本は、真の意味で、民主主義国家なんかに
成り得ません。
人間を創造した神様(原因)と人間(結果)との
関係における「個」の確立に基づく自己責任主義が徹底していない
いまの湯武放伐論を否定したような天皇絶対主義
(=責任の所在が不明確 官僚的無責任主義)では、
いつまでも、キリスト教の神様を日本は受け入れ、無神論国家から
脱却できない。となれば、結局、中国や北朝鮮のような唯物的な
共産主義思想となんら変らない衆愚的な人間中心主義に
なってしまうのではないかと??
そういう意味もまって、「統合の象徴」というのは、おかしいのでは
ないかと思うのです。どうでしょうか??
私は、皇室が、キリスト教を受け入れれば一番良いと
思っております。裏神道は、実は、ユダヤに端を発する
唯一神を拝する宗教なのです。ということで・・・
もし、天皇=国体を維持したければ・・・ですが、
「皇室典範」という天皇家の家法を国民の手で
勝手に改正できるようにすべきではなかった!!
というのが私の持論です。
ここに憲法の矛盾があります。主権者であるはずの国民により
変更できない国体としての天皇を象徴として祭り上げておきながら、
皇室典範を国民が改正できる?
これが矛盾と言わずしてなんでありましょうか?
きっと良くは知りませんが、三島由紀夫もその辺のことを
お嘆きになられたのではないかと感じます。

補足日時:2008/11/22 16:40
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象徴と言わないと、「天皇=現人神」と洗脳された人が理解してくれないから。


際どいが良く思いついたと思うよ。

ちなみに、今年は皇紀2668年。
皇紀0年を想像出来れば色々と分かるよ。
まぁ天皇批判が出来る連中にゃ今から2668年前なんて想像できないだろうけどね。
特に、現人神や皇帝だなんて思ってる人間には尚更。

2668年前は中国最初の皇帝、始皇帝すら生れていないのだから。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。
>際どいが良く思いついたと思うよ。
なるほど、やはり、名案だったのですか・・・
2600年前と言えば、南北王朝分立時代のころですから、
北朝イスラエルの10部族のうちのどれかが、神武天皇でしょう。
つまり、天皇とユダヤとは深い関わりがある。
それは山鉾巡行なんかを調べると良く分かります。
祇園祭の山車に書かれている絵巻は、イサクとリベカの
情景らしいですからね・・・
この辺が将来はっきりしてくれば、天皇家が韓国からの渡来系で
あり、また、さらには、ユダヤ民族に繋がる唯一神を拝する
キリスト教であることがはっきりしてくると思います。
神道の裏神道は、あるブログによると「唯一神信仰」だとも
言われていますから・・・そうなれば、日本民族も、堂々と、
キリスト教の神を受け入れる正当性があり、それこそが、日本の
伝統であるとも言える気がしてます。私は、自虐史観から、
日本人が唯一抜け出せる路がその当りにあると信じて止みません。
ではでは。どうも感謝です!!

お礼日時:2008/11/20 15:05

天皇が日本の象徴という発想は日本人のものではないですね。


マッカーサーが昭和天皇の従順ぶりを見てこれを日本の象徴にしちまおうかー、と思ったのは実にアメリカ人らしい。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。
そうですよね!
マッカーサーの押しつけ憲法であることは否定
できないですね。けど、その内実は、昭和天皇の大権という
ご意志に基づく国民への主権譲渡であり、下賜であるので、
その一点において欽定憲法(発布後に「主権」の所有権が移転する
特約付として「憲法」自体の所有者の名義変更がなされ
”民定憲法”に転化した!)として有効であると思われます。

そこにおいて、「日本の象徴」というのは、あくまでも、
天皇=国体=国柄を維持しようとした当時の憲法委員会の
切なる意向が反映されてのことでしょうから、
マッカーサーは、別に、国家元首でも良かったんだとは思いますよ。
ただ、それだと、あまりにも君主に限りなく近いので、そこで
ちと考えたんですね。きっと・・・明治憲法と
天皇の立場が大して変らないじゃないかと。
だから、精神的支柱としての明治における天皇を、元首にする
ことで、君主として俗なるものに、神様の位置から、
おとしめてしまえば、それはそれで良かったんでしょうけど、
曲がりなりにも、「国体としての天皇」を存続させようとして、
「統合の象徴」なんてやっちまったもんだから、
始末におえませんね・・・どう考えても、矛盾している・・・(笑)
天皇を神聖視するなら、皇室典範は、憲法と同格でなければ
ならないし、俗なる君主におとしめるのなら、象徴なんていう
変な言い方して天皇制を憲法で保持しないで、ただ、
「元首」と規定して、天皇は、君主として「神聖ににして不可侵」
とすればよい。神様を憲法で制限することは出来ませんよね。
そう思いませんですかぁ?ではでは。どうも感謝です。

お礼日時:2008/11/20 14:55

良かれ、悪かれ、大日本帝国憲法の影響を受けているためですね。


日本国憲法は大日本帝国憲法を基礎に、全面改正して作り直したため、
その根本思想の天皇第一主義まで変えられなかった所に、限界があります。

日本国憲法が「正統だ」と言う根拠は、「天皇が認めたから」が唯一の理由ですので、
(基本ベースをGHQが造ったとかは関係なく)
「天皇が国民に与えた」形をとっている以上、天皇は憲法より上の存在になってしまいます。
喩えるなら、社長を辞めて会長に就任したようなものであり
その時に「国民に、日本国憲法を下さった」と【公的には】なっているのが現実だから・・・・
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この回答へのお礼

どうも大変ありがとうございました。

>「天皇が国民に与えた」形をとっている以上、
天皇は憲法より上の存在になってしまいます。

なるほど!わかりやすいですね!
ただ、私の考えでは、憲法を与えたというよりも、
主権譲渡契約とでも言うような内容だと思っています。
つまり、憲法を与えたというようりも、主権の所有権を
移転した・・・と。国民に。だから、天皇は主権者ではない。
ただ、与えたからと言って、「現在も」憲法より上とは限らないです。
皇室典範が憲法と同格でなくなってしまったからです。
会長にならずに、自ら平社員になったら良かったんですね!!
けど、それはとても出来ない相談でしたね。当時。
私は、125代の天皇の血筋ということを考えると、やはり、
国民とは別格だな~と感じてしまいます。また、
人権がないというのも、実は、公的無私なお立場で、
ずっと国家の安寧を祈られて来られたのが天皇の歴史でもあります。
具体的な権力を握らず、教皇のような立場で、将軍を任命して
来られたわけです・・・・
そういう意味では、天皇の立場は偉大だと思います。
だから、そういう意味で、憲法では俗なる君主の権力は、
制限できても、聖なる教皇を制限することはできないと
思うのです。
だから、皇室典範を改正できる今の憲法で、天皇象徴制って
何なの?これ??って感じなんですね。国家元首と規定していない
のに。

政教分離の観点からも、天皇を憲法で謳う必要はないと。
ただただ、憲法で、皇室典範を変更できないと規定すればよいのだと
そう思う訳なんです。明治憲法の時のように。

お礼日時:2008/11/20 11:46

>国民統合の象徴が天皇ということであるが、それは、言い換えれば、国民を統合できる何らかの「力」を、持っていると言える。



これは、私は逆に解釈します。
天皇が、国民を束ねる力を持っているのではなく、「国民が象徴とするものが天皇である」と解釈します。
そのため、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされているのであると。
つまり、国民が象徴とするものが、何であるかを決める事ができ、現在は、たまたまそれが天皇であると考えれば、何の問題も無いことになります。

それゆえ、
>現行憲法は、かつての「国家神道」をも支持しているということになるのではないだろうか?

は、誤りであり、そうはならないと解釈すべきです。
ですから、
>それでも、宗教は全く関係ないのであろうか?

に関しましても、全く関係ないとしかいいようがありません。

>どう考えても、天皇は憲法の制約を受けることができない立場だと思うのですが・・・・

とう憲法を読んでもそうはなりません。
「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とありますから、国民が望めば、天皇の廃位とか、天皇制の廃止なども可能という意味ですから、天皇は、憲法内の規定に縛られる事になります。

>「”国民統合”の象徴としての天皇制」を、憲法で謳って良いのか?

天皇制を廃止するならば、憲法で謳う必要はありませんが、現在の象徴天皇制を維持するのであれば、憲法で規定しておく必要があります。

質問者は、象徴天皇制を、天皇が自らもたらしたものと解釈していますが、国民が統合の象徴として天皇制というものを選んだという立場であれば、質問者の考え方のおかしな点が理解できるでしょう。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。
なるほど。そうですね。そう考えれば至極納得ですね!

>つまり、国民が象徴とするものが、何であるかを決める事ができ、
>現在は、たまたまそれが天皇であると考えれば、
>何の問題も無いことになります。

けど、確かに、「たまたま」と言われればそれまでなんですが、
たまたま、国民の象徴になれたわけではないでしょう??

何らかのカリスマ性が無ければ・・・・

また、国民の総意で天皇が国民の統合の象徴になれるとは
すごい、天皇に力があるはずだと思われませんか?
現に、マッカーサーは、最初、at the top of the state
というふうに、確か、最初の段階のノートでは、
国家元首としての国体としての天皇を規定したと言われています。
天皇=国体なのです。そういう意味での象徴と捉えないと、
明治憲法とのつながりがまったく無くなります。
ましてや、現行憲法は、私は、天皇が下賜したものだと
思っています。つまり、中身は、民定でも、実際は、
欽定憲法です。そのような権威のある天皇であればこそ、象徴
につけるのであって、そうでなければ、たまたまでも、あり得ません。
そういう意味で、そのような天皇は、明治における宗教的神道と
無関係な天皇ではありえないわけです。
だから、政教分離という観点からどうなのか??というわけです。
別に、天皇制が悪いといっているのではないのです。
天皇を国家元首として規定していないのに、国民統合の象徴と
規定している。そして、貴殿が言われるように、皇室典範を国民が
勝手に変えられるようにしてしまった・・・・
家法である皇室典範を法律にしてしまった。
憲法と同格であるべき皇室典範を・・・
でありながら、国民統合の象徴とのたまうその憲法に対して、
一言言いたいわけです。
ではでは。どうも有り難うございました!!

お礼日時:2008/11/20 11:32

民衆を統一するには宗教しかないでしょうね,ただその根本となる正しい宗教が大切なのです。

国家神道はすでに過ちのなにものでもないことは心ある者には認識しているところです。天皇は明らかに人間であり,新憲法の下でも象徴,つまり人間天皇であることを宣言しているのです。昭和天皇もその旨を明らかにしています。つまり憲法で国民統制とは天皇は人形であるということですから,憲法違反ではありませんという結論です。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。なるほど、そうですね。
その「正しい宗教」こそが、私は、
まさに、キリスト教だと信じ止まないのですが・・・
早々に感謝です!!

お礼日時:2008/11/20 11:19

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