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学校で勉強し、優秀な成績を納めた子供に
たいして、お金や金券といった金銭的な報酬が与えられないのは
なぜでしょうか。

大人は、会社の利益のために働くことで給料をもらいます。
なぜ、子どもには、同じ理由で報酬が支払われないのでしょうか。

テストでいい点をとる、出席など態度がよい、
など良い成績をおさめる努力をした子供に
報酬を与えれば、それがインセンティブとなり、
教育水準の向上に役立つと思います。

また、学校の機能として、
将来、国家を背負う優秀な国民を育てる
という側面があると思うのですが、
学校で優秀な成績をおさめるということが、
国家の利益につながるのであれば、
国立の学校では、そのような生徒に対して相応の報酬を支払う
べきではないでしょうか。

私立の学校でも、進学率等が学校経営に
非常に大きな影響を与えます。
成績順に授業料を安くするなどの制度を
取り入れている学校はないのでしょうか。

奨学金という形で間接的に支払われるケースは
あるのですが、
成績に直結した報酬制度を聞いたことがありません。

社会人になれば、
金銭的な報酬が最もポピュラーな報酬システムなのに、
学校に、金銭的な報酬というシステムが入っていないのは、
なぜなのでしょう。

金銭的な報酬を払う制度を入れれば、
国家の教育水準を引き上げることは容易だと思うのですが、
そういったシステムを導入している国はないのでしょうか。

質問事項がまとまっていませんが、部分的にでも解答を頂けるとうれしいです。

A 回答 (14件中1~10件)

本来学校の目的は、企業に人材を提供するための施設だと考えています。


スポーツで例えるなら、いわば練習をしているのと同じです。練習でいくらいい成績を残しても練習に過ぎません。
試合で結果を残してこそ初めて報酬を受け取れるのです。
やる気を出させるためにご褒美をあげるというのはありだと思いますが、あくまでご褒美程度です。
それだったら早く企業人になってバリバリ稼いでほしいです。
ご一考いただけたら幸いです。
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なかなか面白い意見だと思いますが


問題点を挙げるとすると

1、お金を直接もらった後の使い道
  ゲーム機買って、勉強しなくなったでは意味がない。
  まぁ、実際にはあまり可能性は高くないだろうけど…

2、勉強して好成績を挙げるということでお金を得ようとせず、 
  報奨金?をもらった生徒をカツアゲしてお金を得ようとする者が
  出てくること

  時間がないのですぐに思いついたものはこんなところですかね。
  

学力低下についてですが、必ずしも基礎的なことが理解できていない
ということではないようで、
単純な計算問題は解けてもちゃんと問題文を読めば
解ける問題を白紙回答で提出する
「面倒くさい文章問題は解かない」という生徒も多いようだし
(文章を読む能力がないのかもしれないが…)

実際何が問題なのかと考えてしまうんですよね。

他に世間の風潮として「努力」=「ダサい」「かっこ悪い」というイメージが
いつの頃からか芽生えてしまったという点も
問題の1つだと思うし、
「立身出世」という考え方も今ではなくなってしまったし、
現状維持から緩やかに落ちて行くしかないのかな、日本は… 
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この回答へのお礼

問題点については
1も2も、インセンティブとは別の問題ですね。

ポイント制にする、金券にする、現金でなくても
いろいろ方法はあるので、あまり考えなくても良い部分では無いでしょうか。

学力低下問題については、
私も問題とは思っていません。
学力=国力となるように設定できていない文科省の問題もあると考えています。

努力=ダサいを変えるのが、この施策だと思います。
キャバ嬢がなりたい職業の上位にランクインするのだって、
お金と自己承認がインセンティブになっているからではないでしょうかね。

お礼日時:2008/12/08 02:54

戦後教育の目標は全員平等です。


出来ない子が居ては駄目なのはもちろん、できる子も駄目なのです。
今でも昔ながらの(日教組の強い)地方の先生は自信たっぷりにこう言います。
「我が校の教育目標はエリートを出さないことです。」
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この回答へのお礼

>戦後教育の目標は全員平等です。

これは、おもしろい視点かもしれません。
でも、これだと私立学校のように生徒の学力の高さが
経営に響くような組織について説明ができませんね。

そしてここまで目標と反対に現実が進んでいるというのも
面白いですね。

お礼日時:2008/12/07 02:47

いろんな方が倫理的なことを述べていますが、私はお金をあげるケースを述べましょう。





◆お金を出す学校もある◆
過去に成績優秀な生徒には報奨金を出すといった学校もありましたよ。どこの学校かは忘れてしまいましたが、私立学校であり成績1位の子には10万円ほどが支給されて、その学校は競争率がグンと伸びたようです。



◆お金以外に十分もらっている◆
また、お金がもらえないということですが、学校いにいる生徒の学校教材・学費・学校設備利用・保険・補償・権利など学校に属している子にはこれだけのものが与えられているのです。現金ではもらっていなくとも、現金以外にはたくさんの ”金銭的価値” をもつものが与えられていますよ。恵まれすぎていて気づいていないだけです。



◆”奨学金”◆
◆”特待生”◆ 

これって完全に現金もらっているじゃないですか?学校にもいろいろありますが、価値のある子供には十分お金が出ています。現金をもらえない子供は、ちょっと嫌な言い方ですが ”お金を出すに値しない” と判断されているからです。




◆結論◆
子供は恵まれすぎているほどに金銭的価値のあるものをもらっています!文句があるなら特待生や奨学生に認められるほどの価値を見せてください!
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この回答へのお礼

お金を出す学校もある。
という事例は大変興味深いです。
その学校のケースを調べたいので、もし学校名を
知っていたら教えてください。

お金以外に十分もらっているというのは、
それをインセンティブとして子どもに自覚させる仕組みが
ないのが問題ですね。恵まれてるかどうかは本人の認識しだいですから。

奨学金、特待生にかんしては、私自身、中学から高校までは特待生で、
大学生の間は年間の学費以上の奨学金を給付でもらっていましたが、
それがインセンティブになるということはあまり無かった気がします。

どちらかというと、勉強ができない、する意欲がない、必要以上に向学心を持たない子どもに、この制度がうまく機能する気もしますね。
NYの事例でも、黒人、ヒスパニックといったドロップアウトの多い層向けに導入されていたみたいですし。

お礼日時:2008/12/07 02:43

子供を物で動かすのは良くないという昔からの考えがあるんでしょうね。



昔テレビでみた実験ですが、子供に報酬として物を与えた場合と、ただ褒めたり賞状を与える場合とでは、物を与える場合には回数が増えるほど報酬を大きくしていかないとインセンティブ効果が小さくなるのに対して、褒めたり賞状を与える場合には回数が増えても初めと同じ報酬でインセンティブ効果が維持できたそうです。

幼稚園児くらいの子供が実験対象だったので、ある程度成長した子供にも同じことが言えるかは分かりませんし、詳細な実験条件がわかりませんので、まあ、参考程度に。
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この回答へのお礼

その実験は面白いですね。
人間、欲求は大きくするのは簡単ですが、
小さくするのは難しいですからね。

ただ、インセンティブ効果が小さくなるというのが、
どれくらいかわからないとこの制度の導入効果はわかりませんね。

お礼日時:2008/12/07 02:36

大学、今後は大学院ぐらいじゃないと、本当に世の中に役に立つ人材か分かりません。

あまり小さいころから、多額のお金や品物が与えられるのも問題です。金銭感覚が麻痺したり、金のためにしか動かない人間になり、公共性のない社会人になる恐れがあります。

確かに途上国では人材不足が著しいので、小さいうちから優秀な子供を引き抜いて奨学金やエリート教育をすることろがあります。しかし、エリート教育では国家への奉仕も叩きこまれ、より厳しい管理や評価を受け続けます。親元から引き離され、遠い都市でスパルタ教育を受けることもあります。

どちらも、あまりほめられたものだとは思いません。親が子供にご褒美をあげるだけで十分です。

日本は教育システムが既に確立しています。途上国とは違います。確かに、一部の人材が不足していますが、それは高等教育のレベルで奨学金を出せば十分だと思います。
また、受験競争がなくなり、教育レベルが落ちています。でも、みんなにお金を配るより、一度確立した教育システムのほころびを治す方が先です。全国統一テストでもやって、絶対基準で卒業資格を審査すればいいんです。これで、怠けている連中が震え上がって勉強を始めるはずです。
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この回答へのお礼

>日本は教育システムが既に確立しています。途上国とは違います。確かに、一部の人材が不足していますが、それは高等教育のレベルで奨学金を出せば十分だと思います。
また、受験競争がなくなり、教育レベルが落ちています。

結局教育レベルは落ちているんですよね。


別に教育水準を上げるためのほかの施策を聞いているのではなく、
金銭的インセンティブ制度の妥当性を聞いているのですが。

>あまり小さいころから、多額のお金や品物が与えられるのも問題です。
金銭感覚が麻痺したり、金のためにしか動かない人間になり、
公共性のない社会人になる恐れがあります。

解答者様の思い込みでは?比較的多額のお金や品物を手にすることが多い上流階層が世襲的に支配層に定着するのが社会の常ですが、
支配層に公共性が無かったら、コミュニティがすぐに崩壊します。


正直、ここまで反対意見しかでないことに驚きを隠せません。

なぜ、賛成意見がでないのでしょうか・・・?

お礼日時:2008/12/02 01:32

特定の企業が書生さんとしてお金をだしてあげるのはありでしょう。


将来その企業に就職して、一定水準の利益に貢献できるのが前提です。
人的投資としてはモデルケースがあるかもしれません。
(学生の企画・プレゼンにお金を払うとかあった気もします)

そうなると契約形態としては個別契約で就職することが前提となり
履行できない場合は、投資金額以上の違約金が発生することに
なるでしょうか。
また、ある一定水準の成績以下になった場合も同様に違約金を
はらう必要がでてくるかもしれません。
正直いうと個人としてはリスクが高くて、そんな契約はあまり
好まれないと思います。
なぜなら成績が優秀であれば、その企業に就職するよりもっと
高収入を得られる企業に就職する可能性がひらけるからです。
企業側も投資以上の収益を期待しての施策ですから、かりに
違約金が入ってくるような場合でも他の企業にとられてしまうのでは
割が合わないためあまり積極的には資金を投入できません。

結局、どう転んでも市場原理からいってあまり有効な案ではないので
取り入れられることがないだけでは?

では国がやれば?という論法ですが、国が個人に投資するのは
官僚の海外留学制度の失敗などからいっても、ないことはないですが
成功する可能性はひくいと思います。
実際税金から投入するのであれば、能力の低い人のお金で、
能力の高い人が勉強するという矛盾のある社会構造になりますね。
能力の高い人は、自らの実績をもって自己投資をする機会が
あるのですから、そんな無駄なシステムは必要を感じません。

もともと国立大学など、安い学費にたいして優秀な人材があつまった
という経緯もありますが、全体の流れとしては、安い価格で人を
あつめる必要はないというのが日本の趨勢ではないでしょうか?

他の方もおっしゃっていますが、そもそもが個人の能力にお金を
払うということはこの資本主義社会にはありえません。
すべては貢献度によって支払われるべきです。
どんなに能力が高いプロスポーツ選手も、出場機会がなく、
貢献度がひくければ減俸されるわけです。

お金を基準で考えるのであれば、どこまでいってもお金がついて
くるということを理解すれば実現性を検証できるかもしれませんね
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この回答へのお礼

>結局、どう転んでも市場原理からいってあまり有効な案ではないので
取り入れられることがないだけでは?

下のお礼にも書いたように、NY市の事例など成功事例があるので、
「有効で無い」という解答は意味がありません。

>実際税金から投入するのであれば、能力の低い人のお金で、
能力の高い人が勉強するという矛盾のある社会構造になりますね。

いえ、能力の高い人の税金が、次世代の能力の高い人に還元されるという
効率的な社会構造になります。
国を経営体とすれば、無駄なシステムではないのでは?

>すべては貢献度によって支払われるべきです。
その財が、信用財(保険など、実際の貢献度が死ぬまでわからない商品)
や経験財(使用してみないと価値がわからない商品)である場合、貢献度はどのように図るのでしょうか。
実際資本主義経済の市場の中で、このようなリスク型商品にも
きちんと値がついて取引されていますが、
人材にこの考え方が用いられない理由は?

それこそ成績をまだだしていないスポーツ選手に
契約金のばらつきがあるのは、なぜか考えてみてください。

お礼日時:2008/12/02 01:23

そもそもなぜ報酬は金銭的なものでないと駄目なのですか?


自らの人生における選択肢の獲得も十分な報酬になりえると思うのですが。

良い成績を取ろうと努力をした人に対し、何らかの見返りが合ってしかるべきだというのは理解できますが
それは成績として、あるいは進学における選択肢の広さとして還元されています。
そもそも努力の結果のインプットである知識自体が最大の報酬といえなくもないのでは?
後の部分はFllisyさんとほぼ同意見です。

そして高等教育になればなるほど「勉強するの目的」が人によって変わってきます。
それを考慮せずに一律に評価することは意味がありません。
また、常に同じ人だけが好成績をとるわけでもありませんし、好成績の定義自体不確定なものです。
不確定な定義において結果を表彰すること自体が理不尽ですし、成績はあくまで結果であり
その成績が次の半期あるいは一年でも同一レベルであるという保障がありません。

若干質問者の趣旨とはずれますが、千葉大学(だったかと思います、うろ覚えですいません)の一部の学部では
成績評価を試験による評価ではなく、BSC的手法を用いて評価する、という手法を採用しているようです。BSCに関しては参考URLをご覧ください。

私立学校でも入試の成績で授業料や入学金の減免を行うところがあり金銭的報酬思考は確かに存在はします。
しかし、在学時の成績に対して行えないのは経営側から見てリスクしか残らないからです。
上位5人を表彰したとして、その表彰金はどのルートであれ最終的には学費から支払われるはずです。
学費は全生徒から徴収するわけですから、表彰された5人以外には必要以上の経費が上乗せされているわけです。
であれば表彰金を設定したことで大多数の生徒にとっては微々たる物かもしれませんが損失を蒙ることになります。
そうなればその学校を選ばなくなるのは当然であり、残るのは表彰される5人のみ、となってしまえば経営が成り立たなくなります。
そもそも経営視点から見て致命的な構造欠陥をもっているのです。

判りにくくてすいません。

参考URL:http://www.itl-net.com/qpr/qpr1.html
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この回答へのお礼

インセンティブとして、お金は一般的に使われますよね?
それがなぜ教育に使われないのかというだけの話です。
経済学のカテゴリーで質問をしているのもこのためです。

成績が不安定なのは、企業に勤める社会人も一緒ですし、
企業そのものも一緒です。

一応MBAで学んでいたためBSCについては
理解をしているつもりですが、成績評価にどう使うかが
よくわかりません。
生徒自体にゴール設定をさせるということでしょうか。
今回の質問とどう関係しているのか、よくわかりません。

また、授業料、入学金減免と、表彰金は、
学校経営において、経営側から見たら全く同じ物のように思えるのですが。
奨学金がある学校が選ばれなくなることは、ありませんよね?
よって、経営視点から見て構造欠陥はないのではないでしょうか。

お礼日時:2008/12/01 04:10

語弊や表現の歪み等の可能性を考慮し、参考意見にします。


>>自分以外誰の利益にもなってないからです。勉強が。
>長期的に見ると、社会システムを維持するという観点で
>社会的利益を生むために時間と努力をさせられているわけですよね。
>そのシステムを現在運営している側の大人から子どもに
>なんの報酬も与えていないのはやっぱり虫がいいように思えてしまいますけど。

勉強という行為は労働ではなく学習であり、学ぶ本人以外の他者に対する利益は一切発生しません。
確かに国は、社会システムの維持に必須な人材を育てる為に、勉強を義務としている面も存在します。
そして、強制である代わりに、本来本人が金銭を支払って獲得するべき学習環境を無償で提供しています(実際にはいくらかかかりますが、授業料は無料です)。
言わば授業料の免除が、強制的な勉強(またはその時間)への報酬、という事になります。

それは親の負担が減るだけ、と言われるでしょうが、
親の財布と別に子供の財布がある国は、先進国の富裕層に限られます。
実際、「勉強したいのにお金がないから勉強できない」という状況は、発展途上国には溢れていますから、
親の負担が、というのは一般論にはいい例ではないと思います。

強制されるのが嫌であるならば、日本と言う国家の庇護を一切受けない環境にする必要がありますが、日本国民である以上、それは実質不可能でしょう。
『日本国』というコミュニティに参加し、その恩恵・庇護を受ける代わりに義務が発生します。
国が国民を保護する代価に、義務・税金という報酬を受け取っているわけです。
つまり、既に労働-報酬の形が出来上がっているので、これ以上は有益で無いという事でしょう。

義務教育でない公立高校・国立大学も同様です。
広義的には国の発展のために、上質な学習環境を非常に安価に提供しているわけです。
良い勉強する環境を安く売ってあげるから、ウチの国発展させてね、と。
あるいは、
この国の発展に貢献するから、良い学習環境を安くしてね。
ということ。

まとめれば、
国の庇護を受ける代わりに、勉強(など)を強制する。
勉強を強制する代わりに、その勉強に対する代価は免除する。
『国による庇護・恩恵』を『個人の自由』で買っているわけです。


ちなみに、私立学校は考慮外。
あれは完全に営利組織なので、報酬制度をとっても問題無いとは思います。
ただ、世間一般で常識・モラルとされている概念から逸脱している行為なので、風当たりと出費が強くなります。
そして営利組織は、出費(リスク)に見合う収入(リターン)が期待できなければ、それを実行はしません。
>私立の学校でも、進学率等が学校経営に非常に大きな影響を与えます。
これが、出費に見合う形で収入になるのならば、実行するでしょう。
ただ、扱うものが人間、しかも子供、そして不確定なテストの結果、となると利益は安定ではありません。
そして営利組織は、利益が安定しないもの(しかも長期実施が必要な)物には手を出しません。
つまりは、
社員の給料を上げてヤル気を出させ、業績を上げようとする。
上がった業績が上げた社員の給料より多いならば、給料は上げますよ、
ということ。

長文なので意図が歪んだ文章になっていないか心配ですが、これにて。
回答になれば幸いです。

この回答への補足

>親の負担が、というのは一般論にはいい例ではないと思います。

すみません、一般論でなくても結構です。
日本、もしくは他の先進国でということを想定しています。
実際、事例に挙げたのはどちらもアメリカです。
(NYの事例では恩恵をうけたのは比較的貧しい子どもたちのようですが)

子どもに直接インセンティブを与えないのはなぜかという議論と考えてください。

補足日時:2008/11/30 19:10
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この回答へのお礼

>まとめれば、
国の庇護を受ける代わりに、勉強(など)を強制する。
勉強を強制する代わりに、その勉強に対する代価は免除する。
『国による庇護・恩恵』を『個人の自由』で買っているわけです。

私の考えている解答に近くなってきています。ありがとうございます。

>私立学校は考慮外。
あれは完全に営利組織なので、報酬制度をとっても問題無いとは思います。

そうですよね。
こう考えていくと、疑問に感じるのは
学力の高い子どもを手っ取り早くつくるために、
こういう国家的な実験、もしくは一部地域で実験的ににやった
事例は教育史上ないのかということです。

こんなに簡単なシステムなので、長い教育史上思いつかない人間がいないわけがありません。
今このシステムが採用されていないということは、
過去なんらかの失敗があったのでしょうか?それとも、実施前にわかる重大な欠陥があるのでしょうか。

>長文なので意図が歪んだ文章になっていないか心配ですが、これにて。
回答になれば幸いです。

解答者様の解答は、国と個人の関係について論じる
政治論や、社会構造の視点に偏っている気がするのですが、
国家やコミュニティを経営するというプラグマティックな観点から、
こういったことを試験的にでも行わない理由はなんなのだろうか
というのも疑問の一つです。

経済学や心理学の思考実験としてもすぐに思いつく類のものと思うので、
すぐに解答がでると期待していたのですが、まだ解答に至りませんね。

ご回答には、感謝致します。

お礼日時:2008/11/30 18:59

 >大人は、会社の利益のために働くことで給料をもらいます。

なぜ、子どもには、同じ理由で報酬が支払われないのでしょうか。
 大人は会社に与えた金銭的利益の中から報酬をもらいます。子供は誰に金銭的報酬を与えているのですか? 

 >学校の機能として、将来、国家を背負う優秀な国民を育てるという側面があると思うのですが
違います。国民に必要最低限の教育を平等に与えるのが義務教育の学校・国家の役目、望む者にはさらに勉強出来る場として公立の高校・大学があります。

 >学校で優秀な成績をおさめるということが、国家の利益につながる
 必ずしも利益になりません。不確定要素です。一番国家の利益になる人は、勉強など出来なくてもたくさん税金を払ってくれる人です。学生は消費税しか払っていませんから。

 優秀な人間であれば将来それに見合った報酬の得られる仕事に就くことが出来ます。教育はその為の投資とも言えます。なにか勘違いしている様ですが、国家の目的は国民の平和で安全で豊かな生活を達成する事です。教育はその一環で、生活に必要な知識や力を与える場です。報酬を与える場ではありません。報酬などと語るのは誰の世話にもならず、自分で自活出来る様になってからにして下さい。
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この回答へのお礼

では、なんで学力低下が、ニュースになるのでしょうか。
それも、他の国と比べた相対的な学力で一喜一憂するのはどうしてでしょうか。
みんなが勉強できないと、将来の国際競争力が下がるという議論が多いのはなぜでしょうか。

>優秀な人間であれば将来それに見合った報酬の得られる仕事に就くことが出来ます。教育はその為の投資とも言えます。

これって、資本主義の国に生まれたらの話ですよね。自分で経済システムを選んで生まれてこない子供たちに、教育という場でトレーニングをしているのは、投資ともいえますが、国家の徴兵制度と大して変わらないともいえるのではないでしょうか。

>報酬などと語るのは誰の世話にもならず、自分で自活出来る様になってからにして下さい。
この文からは、質問者が学生であると勘違いしているような印象を受けますが、
質問者は社会人で、自活しています。

お礼日時:2008/11/30 16:13

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