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タイトルどおりなのですが、世界中の有名な作品に対して、極めて本物そっくりに作られた精巧な贋作が多くあると聞きます。

専門家が見れば大体は区別がつくそうですが、中には判断が難しいのもあるようです。

仮定の話で申し訳ないのですが、どんなに精巧に作られたものでも、例えばダビンチ本人にモナリザの贋作を見せれば、たちどころに 「本当にそっくりだが、これは私が描いた物ではない、とんでもない贋作だ!」 と、一目で分かるものなのでしょうか?

あるいは有名な書道の掛軸があって、実は精巧な贋作。 この場合でも数百年前に書いた作者本人に見せた瞬間、やはり 「何だ、この偽物は!」 となるのでしょうか?

「何でも鑑定団」 の解説では、筆の運びとか勢いとか、墨の濃淡とか、色々な角度から鑑定するようですが、もしそれらも全て完璧に真似した贋作があった場合でも、作者本人なら一目で分かるものなんでしょうか?

逆に、もしかして 「ええっ! これは ・・・」 と、自分が実際に描いたものかどうか本人でも区別が難しい、あるいは騙される場合って、あるのでしょうか?

この辺、とても興味があります。

A 回答 (3件)

とてもよく出来た贋作では、本人すら判断できないものがあると思いますよ。


魯山人も工房作で自分の作品との違いを判断できなかったものもあったと聞いています。
本人自体も沢山の作品を造り、さらに工房で同じ様な作品も造っている作家の作品は分からない場合もあるのではないでしょうか?
柿右衛門なども本人作と工房作は陶印が違いますが、仮に陶印を本人作と同じ様にすれば、本人に見せても判断が難しいものも出てくると思います。

絵画では特に腕の立つ弟子が師の作品を真似て画いた作品では、元々師弟の関係なので作風が似ていますし、実際分からなかったという話はよく聞きます。
長沢芦雪が師の円山応挙本人が画いた作品と自分が画いた作品を並べ、応挙に指導を願ったところ、応挙は自分の作品だと分からず自分が画いた方の作品に対し苦言を言ってしまい、後で大目玉を食らったという逸話もあります。

それとは逆のパターンで、横山大観がある作品の真贋の是非を求められた時「この作品は私より上手いので書名してあげましょう」と自ら箱書きをしてあげたという逸話があります。昔気質の豪傑な方だったのでしょう。
同じ様に谷文晁は自らの印章を他の弟子達が勝手に使えるようにしていたと聞いたことがあります。
つまり大観にしろ文晁にしろ、作者公認の贋作が世に出ているという事です。

またまた逆のパターンで、横山大観本人の作であることは100%間違いないのに、東美(東京美術倶楽部)で真跡とは頑として受け付けてもらえなかったという話もあります。
大観の作品に間違いない確固たる証拠のあるものだったので、この事実は権威のある機関といえどもその判断の信憑性は怪しいということが露呈したということでしょう。(これはもう誰もが分かっていることですし、東美などの鑑定機関の権威の問題なので、質問の主旨とは違うまた別の話になってくるのですが・・・)

いずれにしろ人間の判断なので、他人が見るよりは判断ができる可能性はあるでしょうが、逆に細かな特徴を研究している他人に判断させたほうが正しい場合も時にはあるのが真実ではないでしょうか。
やはりその作品の出来により、分かる場合も分からない場合も様々なケースがあるのだと思います。
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この回答へのお礼

有難うございました。お礼が遅くなり、すみません。

精巧な贋作の場合は、作者本人にも判断出来ない場合が結構あるのですねえ。
丸山応挙の例はとても興味深いです。

東京美術倶楽部については、素人なのでよく知らないですが、権威主義が蔓延っているかも知れないですね。研究機関によくあるパターンかなと思います。

今まで何となく作者本人なら即座に判断がつくはずと思っていたのですが、どうもそうとは言えないケースもあると分かりました。
でも作者公認の贋作があるというのは、作品に対する考えがきっと我々とは全然違う次元にあるのでしょうね。
とても勉強になりました。

お礼日時:2008/12/09 09:36

以前ちょっと東郷青児が師と仰ぐ藤田嗣二の贋作を見抜けなかったことを調べていて、「贋作天国ニッポン」というサイトに行き当たりました。


http://web.soshisha.com/archives/fake/index.php

この第4回に以下の記述があります。

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 第2回でもちょっと触れたが、日本画の大家、平山郁夫氏のスケッチ画《アフガニスタン人の肖像》の模写絵を描いて警察に捕まった芸大受験生がいる。父親が院展の画家で、受験生が修業のために描いた模写絵を商売人が本物として売っていた。それを買ってしまったという画商の失敗の弁を聞こう。
 「あの作品はある交換会で競り落として、私が始めたオークションのカタログに載せたんです。ところが、これはどうもおかしいという声が出てきて、元の売り主をたどっていったら、どうも院展の画家の息子が描いたもので、ブローカーが画学生に頼んだらしいということがわかった。そっくりにできているもんでね。そんなこと俺知らないから、250万円くらいで落札した。平山さんのところへ絵を持って行ったんです。贋作かどうか見て欲しいと言って。そしたら彼もすぐにはわからなかったのか、玄関で待っててもなかなか出てこないんだ。本人でもすぐには見抜けないほどの出来映えだったんだろうな。最終的にこれは偽物だということで、会を通して返しました。その話が新聞に出たんですよ」
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質問者さんへの答えとしては、
「明らかにわかる場合もあれば、わからない場合もあるだろう」というところでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございました。お礼が遅くなり、すみません。

へー、平山画伯も自分の作品化どうか、一目では判別出来なかった事が実際にあったのですねえ。
精巧な贋作になると判別が難しいわけですね。
ご本人でさえそれですから、鑑定士が騙される事があるのは仕方無いでしょうね。
贋作は芸術作品を扱う時に避けて通れないリスクかも知れませんね。

お礼日時:2008/12/09 09:17

本人の方が判断できない場合の方が多いかと思います。


少なくとも私は小学生の頃に書いた習字の作品を、名前がなければどれが自分のものかさっぱりわかりません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
私も子供の頃に書いたノートの字を見ても、自分が書いたものかどうか
分かりません。
でも、芸術家の場合は ・・・

お礼日時:2008/12/05 12:51

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