プロが教えるわが家の防犯対策術!

ひつまぶし は何度見ても ひまつぶし、ツケが回る は ケツが回る、
ビザとマスターは ピザとマスタード・・・
こういうことなら馬鹿だねーと笑い話ですみますが、
似たような思い違いを仕事や日常生活で繰り返すと、かなりへこみます+不安になります。
どうやら思い込みが激しいのか、と思いますが、
こうした思い違い・思い込みのメカニズムを説明した心理学の理論ってあるでしょうか。
あるいはこれは病気・・・お医者さんにかかったほうがよいでしょうか?

A 回答 (2件)

指摘されれば間違いだと気が付くし、学び直せるんですよね?


あまり気に病まなくても良いんじゃないでしょうか。性格だと思えば…。林真理子さんも質問者さんのようなお悩みを自著に書いていましたしが、それでも作家として成功していますし、同類は意外にいると思います。

例えば我が家の息子ですが、小6の今でこそ作文など文章を書くときに、「~でした。」を「~でしった。」等と余計な促音を付けて書いたり、「ジュース」を「ジュス」と伸ばさずに書いたりと言うことはなくなりましたが、一時期は学習障害と診断されていました。

漢字は書き取りの段階で既に間違っていることが多く、よく棒が一本多かったり、抜けていたりで、全体のイメージだけで書いている様で細部は良く見ていません。
文章を正確に書き写すのも苦手です。ローマ字を書くのもかなり怪しいです。
(でも、知能はちゃんと平均以上あるのです。)
更に、幼い頃は多動症も疑われていました。

多動症の方は、小学校低学年のときに神経の医師が、
「取り立てて気に掛けることはないだろう。障害と言うほどのものではありませんよ。(診察室から出て行くそぶりをみせても)この子はちゃんと戻って来ますしね。多動症だとそのまま何処かに行ってしまうんです。息子さんはこの年齢の子供としては正常範囲です。男の子は中学に上がるぐらいまでに、大抵の場合落ち着いてくるものです。」と言っていました。

また、学習障害の方は小4の時だったでしょうか、心理の医師が、
「もう(障害だとは)心配しなくて良いですよ。漢字は繰り返し、数をこなして覚えることです。」と言うので私が、
「では、何故ここに通い続ける必要があるのでしょうか? うちの場合はてんかんの後遺症があったから、それ以前の状態に、本来の能力に近づけるためですか?」
と続けると、次のような返答がありました。
「そうです。あたらしい神経回路を作るためですよ。子供の脳はそれまで使っていなかった部分で損傷した部分を補うことが出来るんです。」

大人になるとすぐ「~障害」だの「~症候群」だの病気の様に大騒ぎしてしまうけれど、息子の二人の担当医は、その言葉を嫌っているようでした。
私も元々は、こういう言葉にはあまり関心はありませんでしたが、息子が幼い頃、脳炎を患いその後遺症で“てんかん”になってしまい、“てんかん”がまた、多動症や学習障害を引き起こすことがあると言うことを知り、当時はひどく神経質になっていました。
脳炎になってしまったのは、早く適切な治療を受けさせてあげなかったからだと悔やんでいたのと、“てんかん”になると性格が変わることがあると聞いていたので…。

事実、息子は勘が良くて、空気を読める子、要領の良い子という印象があったので、病後、性格が変わってしまった様で初めの一年ぐらいはショックでした。
――今、この回答を書くまで忘れていましたが。もちろん、今の息子も大好きですが心の片隅で、“あの子はどこへ行ってしまったんだろう。”なんて勝手なことを考えていたことを思い出しました。私の所為で“あの子”は何処かに行ってしまったと、つい考えていたのです。ちゃんと記憶は息子の中で繋がっていますし、息子は現実に一人なのに…。こんなことを考えると“二人”に申し訳なく思います。


話がそれてすみません。でも、きっと病気だなんて思わない方が良いと思います。私が神経質にキーキー騒ぐのを辞めたら、息子の勉強嫌いも改善されました。苦手だ苦手だと責めると負担になって、反って出来なくなると思います。その分どこかにカバー出来る才能があると思いますよ。ちゃんと気が付くことも出来て、健康なら全然病気じゃないと思います。
ホントのところ医者に大丈夫だと言われても、うちの子はまだ発達障害の傾向があるように思えますが、そんなことを考えると生死の淵から帰ってきてくれた息子や、命を救ってくれた先生や看護婦さんに申し訳ないです。生きているからこそ、出来ることがたくさんあるんですから。
そして、誰だって生きている内は日々勉強なんですものね。
質問者さんもうちの息子も“勉強のテーマがはっきりしている”と言うことですよ。テーマが分かっているだけでもみっけものですよ! 
努力は続ければきっと実ります!! 
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この回答へのお礼

あまりに遅い御礼ですみません。ご回答ありがとうございました!
はい、あまり深刻に考えすぎないことにします。
自分で問題を深くしてたかも・・・
ご回答、ありがとうございました!

お礼日時:2009/02/26 17:19

思い違いを無駄したと思わないで人生2倍生きたと思ったらどうでしょう。

多くの人は思い違いを覚えている余裕がないので自分は思い違いをしていないと錯覚しているのが実情でしょう。おそらく思い違いをしたと言って落ち込んでいる割には大失敗していないのではないですか。余計なものが見えない方が集中充実しているとも言えますが、一得一失という禅語もあります。自動車の運転などでも同じことがあると思います。思い違うのは余裕の表れとも言えると思います。むしろ思い違いを楽しむくらいで良いのではないですか。私の知人に「ウ○ンの力」という強壮剤を読み違えて「ウ○コの力」という商品が出たか!と一瞬愕然としたという人がいます。結構ちゃんとした人です。
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この回答へのお礼

すっかりお礼が遅くなり、すみません!回答いただけてうれしいです。
ありがとうございました。
そうかー考えすぎか。それは確かにあると思います。
身近に、私が見ても私以上の人がいますが、その人は反省もしなければまったく何にも気にも留めず日々すごしています(だから同じコトを何回でもやる)。あーはなりたくないなーという思いもあり、私は治したい!と思ったというのもあります。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/26 17:18

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