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はじめまして質問させていただきます。
今、任侠映画に興味を持っている学生です。

本日池袋の新文芸坐を訪れました。
随分前に改装された、とのことで大分洗練された場所ですね。
当時、オールナイトで任侠映画を見られていた方、いらっしゃいましたら感想をお伺いしたいな、と思います。当時沢山の学生の方々でにぎわい、掛け声をかける人もいた・・・との話を伺いました。 今私も学生なのですが、どうも当時の映画館の様子をとても想像だけでは思い浮かべられない・・・ということで、質問です。

当時の映画館の様子(どれ程混んでいたのか・オールナイト鑑賞後はどうしたのか)、集まる方の傾向、映画を見て何を思ったか、胸焦がれるものがあったか・・・。どんなことでも構いません。当時の熱気というものを伝えていただければ幸いです!どうぞよろしくお願いいたします!

(ネットで調べると、新文芸坐については数多くレビューがあるのですが、その前の文芸坐についての情報は、一部の感想に少し触れられている程度なので、そこのところを詳しくしりたいと思います。池袋に限らずとも、他の場所で見られていた方も!オススメの映画もありましたらぜひ!)

目を通していただきまして、ありがとうございます。
ご協力お願いいたします!

A 回答 (1件)

あ、世話になったオッサンです。

任侠とか、特撮を見にいきました。

まず、大前提として「ぴあ」が創刊されたのが大きかったのです。隔週金曜、170円。みんな楽しみにしていて、映画好きは「今週の上映リスト索引」をみるわけです。それで、気に入った作品があったら、GO!

汚い小屋でしたよ。で、売店にロクなものがない。当時はコンビニも珍しかったので、駅の売店でキャラメル買っていくと、エネルギー源になりました。ペットボトルなんかありませんから、水分ほしい人はポット必需品です。

任侠映画ですが、文芸地下の時はあまりその筋のエライかたはこなかったようです(一番館で封切りの時は、エライ方が来られたそうです。抗争していても映画館は中立地帯という約束がありました)。
チンピラさんはたくさんいました。サングラスしたまま映画が見られるのかなあと、当時高校生だった私は思ったものです。平気で館内でタバコ吸っていましたし、通路に新聞紙ひいてあぐらかいて、ワンカップ大関とスルメ持っている人もいました。

東映のロゴだけでまず大拍手です。で、タイトルで拍手。キャストで健さんがでると拍手喝采口笛鳴りまくり。その他キャスト・スタッフロールが変わるたびに拍手拍手。で、健さんが最初に現れたシーンで拍手喝采雨あられ、池部良のときも、ヒロインのときも、悪役のオヤブンの時もみんなノリノリでした。当然、池部と健さんが雪のなか、歩いていくと歌が流れる、そのときも拍手です。異様な熱気です。で、健さんがとどめ刺すと、当時は「健さん!」「日本一ッ」当然拍手喝采です。
チンピラさんたちは感激しています。なんか一人で「健さんは、健さんはなあっ」とか言っている、感極まっている人もいます。私のような物好きもいました。

特撮の時もだいたい同じことがおきます。ただ、今で言うオタクの人がメインなので、チンピラさんはいません。で、入り口に同人サークルの人がスペース借りて、特撮関連の同人誌売っていました。コロッサスとかがありましたね。コミケがこんなになる前のお話です。

で、まあ東宝のロゴがでると拍手で、以下同じですが、とくに拍手がすごくなるのが「特殊技術 円谷英二」「監督 本多猪四郎」の時なのが、健さんと微妙に異なります。

で、特撮の時に必ずいたのが、テープレコーダー持っている人でした。ビデオはこの直後からレンタルがガンガン出始めるので、せめて音だけはほしかったんですね。
特撮は何本立て、なんてやりましたから
「次のは見たことあるから、おれロビーで寝てくる」
「おう」
という会話が成立します。新聞は必須でした。みなロビーに、ゴロゴロしていましたね。

あとは、カリオストロの城のときも、同じことがおきます。うる星やつら、のときも、同様だそうです(アニメは行きませんでした)。

なつかしい。千年も昔のことのようです。いや、年寄りの昔語り、失礼いたしました。
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