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皇室の贅沢について

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  • 質問者:garcon2000
  • 投稿日時:2008/12/16 09:46
  • 困り度:暇なときに回答をください

皇室とは、すなわち、王権の継続(残滓)的なものと認識しています。なので、当然贅沢(ハイソ、セレブ)という生活様式を継承することになっているようです。

しかし一歩翻って、人間宣言したあとの天皇陛下や、それに伴う皇室の方々は、「人間」になったのはいいが「庶民」になることはなかった。もちろん最近その傾向に行こうとすることはありますよ。しかしベースは「庶民」とはどうしても一線を画さねばならぬ、という意識は変わらないと思います。

ではなぜ、「身分」は特別であって、「生活」は庶民であってはいけないのでしょうか?そこらへんの公団団地にでも天皇陛下、皇室の方々は住んでいけないと言うことがあるでしょうか?そうであるほうが、よりすばらしいことではないでしょうか?

あくまで「庶民」じゃないよという市政を頑なに守り続ける皇室と言うものに対して、どうしても共感できないでいます。

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  • 回答者:jamiru
  • 回答日時:2008/12/29 15:46

日本の国鳥はトキだったっけ。

トキを実際に見れば分かるが俊敏ではなくゆっくりと飛び立つので美しいと思われがちだが、そのゆっくりな羽ばたきと目立つ色でとても目立ち襲われやすい。
何時襲われるのか分からないので絶えず警戒心を持って緊張感がある。

庶民というのはいつからトキになったのかね?
ああ、トキのように警戒心や緊張感があるから、豪邸に住んでセ○ムをつけたり、一日中電気をつけっぱなしにしたり、ゴミ屋敷で要塞化してるのですね。わかりますw
自己保身に長け、自己中で他人を見ず知らずでスルーで自己責任を押し付ける社会というのはこういうことですねw
絶えず緊張感があるのですぐにキレる。

庶民というのは木々に集まる小鳥のようなもの。
皇室は小鳥を大事にしているんだけどね。
小鳥をスルーするハイソ、セレブと一緒に考えるのは止めた方が良いよ。

何処に住んでいるのかわかりませんが野鳥観察でもしてみたら?
優雅に飛んでいるように見えるけど大変なんだよ。
それに比べて、小鳥はいつも楽しそうにしてるでしょ?

今の日本人にはこういう感性が失われているのかもね。

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この回答へのお礼

おっしゃること、なかなか妥当な印象ですね。
おおらかさがあって、そこいらのセレブとはわけが違う。そいつは確かなことだと思いますよ。

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  • 回答者:anachronism
  • 回答日時:2008/12/29 11:10

> 超国民的な暮らしで象徴も何もない。

なるほど、庶民とはかけ離れた六本木ヒルズに住んで、毎日豪勢な食事をしているくせに、相対する人の気持ちなど微塵も気にかけず、Tシャツで人前に出ているような人のほうが、あなたにとっては「国民的」で、普段の食事のメニューはわれわれとたいして変わらないけれども、相対する世界中の人たちに日本の恥と思われないために、きちんとした姿をして笑顔を絶やさず、この国の「象徴」としているほうが、あなたにとっては「象徴でもなんでもない」暮らしなんですね。

たしかに「ぼろは着てても心は錦」といいますが、心が錦の人は、必要も無い場所でわざわざ錦を着たりはしませんが、逆にその場その場の意味も弁えずにぼろを着て歩いたりはしないのです。日本人は、他のどの国よりも礼節というものを重んじる国です。きちんとした服を着て、きちんとしたふるまいをするというのは、礼節の基本中の基本です。相対する人のために、己のために贅はつくさず、それでいて不快にさせない身だしなみを整えること、それでこそわが国の象徴と言えます。

見た目に金を使えない人は確かに仕方ありませんが、それなりの場に出るならばそれなりの格好をするのが良識というものです。逆に、それなりの格好をしてこないことは「失礼」に他ならず、今の天皇家は「失礼」にあたらないようにしているだけのことです。

あなたも、仮にそれなりの財産を蓄えていても、人前に出るときにはTシャツで平気な人なのでしょう。それを世間では「礼儀を知らない」というのです。それを「恥」と感じることは、日本古来の美徳の一つであり、恥を知らないあなたのような考え方は、到底日本の象徴にふさわしくはありません。

要するに、今の天皇家を見て「超国民的」などというのは、日本人というものをわかってもいないくせに人を見かけだけでしか判断できない人だけであって、世界中のほとんどの人には、天皇家というのはわが国の象徴としてきちんと見えているのです。
あなたが天皇家に「共感」できないのも無理はありません。あなたがそういう人だというだけのことですから。

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  • 回答者:marocoro00
  • 回答日時:2008/12/22 17:22

No.3様と同様ですが、生活は至って質素です。

好きなモノを食べるより、健康に気を使った食生活ですから
和食中心の一般家庭と同じような食事だそうです。

実際にレシピの公開や記者会見時の質問で何をお召し上がりになったか
よく仰られてますよ。
私が記憶しているのは「いわしの丸干」ですが。
もっと豪勢な食事をしてると思っていたのでびっくりしたのを覚えてます。

それと豪華に見える洋服ですが、本人の希望はあまり取り入れられません。その時その時の公務にふさわしい服をコーディネートする人がいます。こういう人がいること自体、贅沢に思われるかもしれませんが必要です。
なぜなら国ごとの違う習慣なども頭に入ってて、場を弁えた服をチョイスするのは並大抵ではないからです。
法事にド派手なドレスで行ったら顰蹙でしょう?
日本は相手の文化を重んじる国です、とアピールする為にそういった人たちがいる訳です。

権力や威厳のお話が出てましたが文化はどうなのでしょうか?
既に皇室のみ継続している文化が数えきれません。
また、皇室の為に存続できている工芸品などもあります。
ただでさえ、後継者難で潰れていく日本の文化を支える為にも
必要かと思います。

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この回答へのお礼

そのいわしにしても、そこらのスーパーで売っているものではないでしょう。和服にしろ洋装にしろ、ディスカウントのインドネシア産ではない。文化は美術家たちが中心に廻ればいいのです。

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No.14ベストアンサー10pt

  • 回答者:kchtsysh
  • 回答日時:2008/12/20 23:17

 皇室を必要だと考えている人の殆どはあなたの考えに共感できませんし、あなたがこうあって欲しいという状態は一体どうすれば可能なのだろうか?(つまり基本的に不可能なことなのでばかばかしい話だ)と思っています。
 反対に不要だと思っている人は、皇室を解体してしまえば良いと思っていますから、これまたあなたとは噛み合いません。

 彼らにはプライバシーはなく、病気や下血の量までが報道されます。
 また、国家の象徴であるために、身の危険にさらされることすらあります。昭和38年には島津貴子さん(既に皇籍を離脱していた)の誘拐未遂事件も起こっています。
 このような立場で、一般庶民を同等の生活をしろ、というのは、周囲の「一般庶民」に迷惑をかけろ、だとか、皇室の方に「一般庶民とは比較にならない危険を一般庶民並のガードの下で甘受しろ」と言っているのとなんら変わりはありません。

 果たして
1 周囲の一般庶民に迷惑をかけず
2 皇室のメンバーであるための危険から現在と同等に守ることができ
3 他国からの敬意をこれまで通り受けることができ
4 なおかつ、他国から「あんな扱いをして日本は恥ずかしくないのか」と呆れられることもない
 こういった状況があなたの希望する条件下で可能なものでしょうか

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この回答へのお礼

日本が先駆けになればいいのではないですか。身分徳が高い人たちが、庶民の暮らしをしている!これこそ非核宣言異常の世界の範であるというように。

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  • 回答者:gootaroh
  • 回答日時:2008/12/18 17:12

No.8様に同意!
>(他国の来賓をお迎えする立場の人間が、貧乏ったらしい格好では、国の恥になりますね)

これに尽きるでしょうね。元首ファミリーですから、日本国民を代表するお立場です。庶民になることはありません。「外交儀礼」というものがあり、それを守らないと世界から相手にされません。

逆に、もし、外国の国賓(国賓とは元首級の賓客)が庶民的な格好をして来日したり、公団住宅に住んでいたりしたら、どう思いますか?

普通は相手国が「なめとんのか?」と怒り、国交断絶でしょうね。その上で、相手国からなめられます。「トップがこれでは、一般国民のレベルはもっと低いんだろうな」って。

かつて、ホリエモンが、どんなに偉い人の前でも常にTシャツ姿だったことで、世間知らずの若者たちは絶賛していましたが、普通の社会人は「アホか」と冷笑していたものです。

社長がアレですからね。ライブドアの社員全体もそう見られていたことでしょう。それと同じです。トップたるもの、一定の良識、常識、気品が必要なのです。

>あくまで「庶民」じゃないよという姿勢を頑なに守り続ける皇室というものに対して、どうしても共感できないでいます。

・これは、皇室にトップ(元首ファミリー)であることを求めない、という意味ですよね。もとより憲法改正が必要ですが、それは置いたとしても、それはそれで一つのご見識ではあります。

ただ、では、代わりに誰が元首になればよいのか、という話です。断っておきますが、総理大臣程度では無理ですよ。あくまで行政府のトップにすぎませんので。最高裁長官?国会の両議長?総理も最高裁長官も任命するのは天皇です。国会の議長にいたっては天皇の任命すらありません。

「三権の長」の「権」とは「国家権力」の「権」です。権力とは、権威を与えられて初めて正当性を持つのです。権威と権力の両方をずっと持つ者を「独裁者」といいます。米国大統領は行政府の長であるとともに元首でもあるので、両方を持っていますが「ずっと」ではありません。最長8年です。

では日本の場合、その権威を持つものは誰か?憲法の規定うんぬん以前に、日本では古来から天皇だけなのです。権力というのは、かつては武力、現代では選挙で勝ち取れますが、天皇は世襲ですから、権威だけは絶対に皇族以外の誰にも持てないのです。

このように、権威と権力を分割することにより、日本は独裁者の出現を防いでいたのです。憲法なんてたかだか60年程度。この権威権力二分制は比べ物にならないくらい長いですよ。この日本が世界に誇る知恵を簡単に手放すのでしょうか?

あんまり表面的なことだけで簡単に物事を決めつけないでくださいね。日本はそれなりに長い歴史を有していますので、それぞれに理由があるのです。

なお、「人間宣言」とおっしゃっていますが、原文をお読みになったことはありますか?マスコミや教科書などのフィルターを通さず、そのまま素直に読んでみてください。

これは、1946年(昭和21年)元日に出された年頭所感のことで、正式には「新日本建設に関する詔書」といい、「人間宣言」とはいいません。今風に訳しましたので、終戦からわずか4ヶ月半後という時代背景も考慮の上、読んでみてください。

>>
新年を迎えました。振り返れば、明治天皇は、明治の初めに、国是として「五箇条の御誓文」を発せられました。それはこういうものです。

(「五箇条の御誓文」引用)

明治天皇のお考えは私心がなく、そのとおりであり、何も付け加えることはありません。私はここに誓いを新たにして、国家の運命を開きたいとと思います。当然なすべきこととは、この御趣旨にのっとり、旧来の悪習をやめ、国民の意思をのびのびと育て、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、これらにより国民生活の向上を図り、新日本を建設することです。

各地が被った戦争による被害、戦災に遭った人たちの悩み苦しみ、産業の停滞、食糧の不足、失業者の増加といった現状には、本当に心が痛みます。そうはいっても、国民が現在の試練に直面し、かつ、一貫して文明を平和に求める決意が固く、十分にその結束を全うすれば、ひとり日本のみならず、全人類のために輝かしい前途が開けることは間違いありません。

そもそも、家族を愛する心と、国を愛する心は、日本においては特に強いものです。今はまさにこの心を広げ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をするべきときです。思うに、長きにわたる戦争が敗北に終わった結果、国民は、ともすれば、焦り、失意の淵に沈んでいる傾向があります。言行の激しくなる程度が一段と増し、道徳の気持が非常に衰え、そのため、生き方などの考え方が混乱する兆しがあることは、本当に心配です。

しかしながら、私は国民とともにあり、常に利害を同じくし、喜びと悲しみを分かち合いたいと思います。私と国民との絆は、終始、お互いの信頼と敬愛とで結ばれているものであって、単なる神話や伝説に基づくものではありません。つまり、「天皇は神」とか「日本国民は他の民族に優越する民族であり、世界を支配する運命を有する」といった架空の観念に基づく絆ではないのです。

政府は、国民の試練と苦難を和らげるため、あらゆる施策とその実現のための取組に万全の方法を講ずべきです。同時に私は、国民が直面する難題に立ち向かい克服するために、また、産業、学問、芸術の振興のために、ためらわず前進したいと思います。国民がその生活において団結し、助け合い、許しあう気風が高まれば、十分に伝統に恥じない真価を発揮するでしょう。これらは、国民が、人類の福祉と向上に対する絶大な貢献になることは間違いありません。

一年の計は元旦にあり。私は、私の信頼する国民が、私と心を一つにして、自らを奮い立たせ、励まし、大きな事業を成し遂げてほしいと強く願います。
>>

このうち「しかしながら」の段落の「つまり」以降のみを抜き取って「人間宣言」と言われているだけです。

全文を読むと、「私は神ではなく実は人間なのです」という趣旨ではなく「戦争に負けて大変だけど、これからも一緒に頑張りましょう!」という趣旨であることが分かりますでしょう?

「人間宣言」とはマスコミが言っているだけです。ちょうど、政治家の発言の一部だけを切り取って「失言」とあおり、辞職に追い込むパターンと全く同じです。前後の発言、全体の趣旨を踏まえた上で、自分で判断しましょう。

現在ではもはや神格化は否定されていますが、国民に対しこのような「励まし」を言えるのは、現在にあっても、(選挙の影響を受けない「権威」であるところの)天皇と皇族以外にあり得ず、とても公団住宅に住んでいる人にはできません。

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この回答への補足

権力と威厳は大いに結構なんですが、庶民の生活をしてなおそれを保つと言うわけにはいかないのだろうか?と言う疑問でした。私はその点では結構ホリエモンに共感できます。

この回答へのお礼

公団住宅だろうと、襤褸家だろうと、いくらでも「権威」はついて廻ります。外側を見るからいけないのです。ぼろをまとっても王子は王子に見えるという格言もあります。
マスコミの人間宣言の取り扱いは、そのように不当なものだと始めて知りました。こういう不正はいつの世にも耐えないものですね。

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  • 回答者:anachronism
  • 回答日時:2008/12/17 07:49

天皇は、日本と日本国民の統合の象徴である、と、日本国憲法に定められています。それにふさわしい品位を保っていただくことは、当然必要です。公団団地にお住まいになっていて、諸外国に対して「これが日本国の象徴です」と、誰がいえますか。

今の天皇家は、別にベルサイユ宮殿みたいな御殿に住んでいるわけでもありません。それどころか、公用車ひとつとってみても、いったい何年使いまわしていたと思います?

世界各国の王家と比べても、天皇家は不相応な贅沢をしているとは思いません。むしろ、日本という国の象徴として、ふさわしい生活を送っておいてもらわなければ、私は日本人として恥ずかしいです。

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この回答へのお礼

それこそが、象徴でしょう。超国民的な暮らしで象徴も何もない。王は権限であると言うことを明言するならば、どんな豪奢な暮らしをしても、まぁ矛盾しないでしょうね。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:jamiru
  • 回答日時:2008/12/17 01:36

天皇陛下は騙されて京都から大阪へ。なんて大嘘つかれて江戸城へ拉致監禁されたたんだぞ?

それに日本国籍を持ってないので庶民にはなないのだが。

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この回答へのお礼

京都に帰るのが1番だと思いますね。新政府の傲慢さはひどいものです。

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  • 回答者:kadowaki
  • 回答日時:2008/12/17 01:03

ギャルソン2000さんには、「近代短歌俳句は堕落ではないだろうか」のご質問をなさったときにも回答させていただきましたが、もう少し、ご自分の先入観や思い込みから自由になったり、その根拠をより深く掘り下げていったりした方が、ご自分の考えにもより深みや奥行きを与えてくれそうな気がします。

>皇室とは、すなわち、王権の継続(残滓)的なものと認識しています。

う~ん、「王権の継続(残滓)的なもの」という捉え方では、他国の王制と異なる天皇制独自の歴史についても、日本人の精神構造をも侵蝕している独特の問題についてもなかなか見えてこないかもしれませんね。
それよりは、高校の日本史の教科書をちょっとひもといただけでも、日本の天皇が実際に世俗的な権力の頂点に就いていた期間というものがいかに短かったかという事実に思いを馳せてみた方がはるかに興味深いような気がしてなりません。

>人間宣言したあとの天皇陛下や、それに伴う皇室の方々は、「人間」になったのはいいが「庶民」になることはなかった。

う~ん、日本国民にしても、戦前・戦中・戦後に関係なく、天皇が「人間」であることは科学的には分かりつつ、同時に天皇を一種の「神」のごとく尊崇してきたのだと思います。
その意味で、「庶民」なんかになってもらっては、その存在意義自体が消滅してしまうのではないでしょうか。
だって、もしも天皇が「庶民」になったとすれば、世俗的な最高権力者(関白、将軍、首相等)が権謀術数を尽くす上ではたいへん不都合だからです。

また、地震の被災地などを世俗的な最高権力者たる首相と実質的には全く権力を持たない天皇とが共に見舞いに訪れたとき、罹災者たちの方ではいずれに対してより感激し、感涙にむせんだかを想い出してみませんか。
こうした平均的国民の反応の違いの原点にあるのは何か?について徹底的に考えてみれば、天皇は「庶民」と同じ生活をすべきなどと言うより、むしろ天皇制それ自体を廃止すべきだと言った方がはるかに筋が通っているような気がします。

なお、敗戦直後に書かれた坂口安吾の『堕落論』には、当時の文化人・知識人たちの唱えた浅薄な天皇廃止論をはるかに凌駕する、とても鋭い天皇廃止論が説かれています。
しかも、たとえ天皇制を廃止したところで、われわれはあまりにも人間として弱すぎるがために、必ず新たな別の天皇を担がないではいられなくなるはずと断言しております。

安吾に言わせれば、日本人一人一人にとっての「天皇」とは、必ずしも現天皇制にもとづく「天皇」であるとは限らない、しかもそのことについてわれわれ自身がなかなか気付こうとしたがらないということのようです。

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この回答へのお礼

公団に住んでいて、自身でぶっつぶれてしまって、家が無くなった人の気持ちがよくわかって慰問に行く、それが本当の感激を呼ぶのではないでしょうか?
いくら神だろうと、そこに贅沢とか庶民から超越した暮らしと言う付録がつかなくてもいいわけです。その「存在」だけでよい。むしろ庶民いかの暮らしをしたとてつもない存在、それこそ真でしょう。

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  • 回答者:ryuken_dec
  • 回答日時:2008/12/16 23:02

>贅沢(ハイソ、セレブ)という生活様式を継承

天皇である時点でハイソ、セレブは間違いないと思うのですが・・・
天皇がハイソサエテティでなければ誰がハイソサエティ?
天皇がセレブリティでなければ、誰がセレブリティ?

という大きな疑問があります。



それはさておき、ランドマークにはランドマークとしての役割があります。
戦の時の大将旗などは戦力としては全く役に立ちませんが、それが大きいことで戦意を呼び起こしたり、憧れを抱かせたりと様々な効用があります。

皇室の生活だけでなく、様々なセレモニーなどもそうです。そういう大きな分かりやすい何かがあることで、注目を集めたり、何か影響を与えたりする効果があります。

それこそ、オリンピックやワールドカップなんてただのスポーツイベントですが、そのためにいろいろすることで様々な効果が得られるのと同じことです。


皇室があのような生活をしていることで、対外的にも価値あるものとして認められています。皇居へ招待と言って公団住宅では各国首脳で大激怒する首脳もいるでしょう。
また、天皇シンパといいますか、天皇を神のように崇める人たちもいます。天皇が庶民のような生活をするようになれば、彼らは激怒するでしょう。彼らのような人を満足させることもできます。

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この回答へのお礼

逆に、皇室に対して、本当に親しみを感じるようになる条件が、大多数の国民と同じ暮らしをしているという真の「象徴」にあると考える人もいるのです。

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  • 回答者:passward
  • 回答日時:2008/12/16 22:04

(終戦後)国有地(皇居を含む)など、数十兆円も国家に寄付していますので
それなりの待遇は当たり前でしょう。
外交官100人分の効果など、多額な恩恵を出している以上
それなりの扱いは当たり前ですよ?
(他国の来賓をお迎えする立場の人間が、貧乏ったらしい格好では、国の恥になりますね)


イギリス王室などと比べ、非常に質素であり
日本の国力から考えれば(諸外国から見れば)信じられないレベルといわれています。
一応(形式上)「民」ではなく「支配者」ですよ?
(王や皇帝の身分は支配者層で、民は下っ端w)

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この回答へのお礼

贅沢するのが当然と言う思考がどうしても常識になっているようです。それは必要性なのか、慣例なのか、迷うところです。

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