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皆さんは、担ぎ屋というと、どんなのを考えられるでしょうか。
通常、主に地方で取れた農作物や海産物などを町まで担いで行って売る人たちのことだろうと思うのですが、これには、女の方がとても多いような気がします。
また、時代と共に、だんだん減って来てしまっているということですね。
さて、これとは別に、正月などに人の家に現われて、その家にあるいろいろな物や人たち、話していることなどを縁起をかついで誉めるというような人たちがいるらしいですが、そんな話、聞いたことある方いらっしゃるでしょうか。
その、担ぎ屋と呼ばれる人に担いでもらうと、その年一年、幸せになれるという言い伝えから、担ぎ上げて貰っている人たちがいたりするというのです。
この担ぎ屋、昔から、とても背の低い人たちが多かったとか…そんなようなことらしいです。以下のURLに、そんなような事が書かれているようですが、本当でしょうか。ちょっと興味あります。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=16128&pg …

A 回答 (1件)

ご質問のものとは違うのかも知れませんが、私はわりと「万歳」に似ているような印象を受けました。



万歳というのは平安時代の頃に始まった一種の祝福芸で、正月に家を訪ね歩いては長命や招福に関するようなめでたい言葉をおもしろおかしく聞かせる芸のことです。家を訪ねてまわるので門付芸などとも言われます。

近世になって定式化してからは、だいたい太夫と才蔵と呼ばれる二人組みで鼓を打ち鳴らしながら、にこやかに面白おかしく「家は末広がりに」とか「鶴のように長命で」といっためでたく縁起のよい言葉をテンポよく言いながら舞うのが主になっています。

万歳はもともとは最初に「寿ぎ」、つまり言霊(コトダマ)による祝福を行うのが先で、その続きに余興として芸能を添えていたそうです。しかし段々と時代が下ってきて言祝ぎの呪力が信じられなくなってくると、面白おかしい後半の芸能部分だけが独立的に行われるようになったとされます。字は違いますが、現代の「漫才」の源流はここにあります。

尾張万歳や三河万歳などが有名で、近世には徳川家との関係から武家屋敷にも出入りしては芸を披露することが多くあったようです。そうなってくると立場上当然、担ぐというか、いわゆる「ヨイショ」のような内容も多くなったのではないかと思います。

背の低い人、というのはちょっとわかりませんが、万歳は中世の頃はおもに川原者とか夙の者などといわれる層、被差別民が担う芸だったとされます。通常の世界の外にある人たちの体を借りて神がこの世に託宣をもたらす、という感覚があったのでしょう。異界のものが神の媒介になる、ということです。

推測ですがこういう感覚を踏まえると、通常の背でない、というあたりに、差別感覚は払拭しながらも少し「神からもたらされるもの」「通常の世界の論理を超えたもの」という感覚が保持されている…と考えられるようにも思います。
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この回答へのお礼

 こんにちは、neil2112さん、どうも、お返事を戴けてとてもうれしいです。僕の方でも、どうやって調べたものかと考えていましたが行きづまっていました。

【万歳というのは平安時代の頃に始まった一種の祝福芸で、正月に家を訪ね歩いては長命や招福に関するようなめでたい言葉をおもしろおかしく聞かせる芸のことです。】

 なるほど、何となく、担ぎ屋さんに少し似ていますね。

【近世になって定式化してからは、だいたい太夫と才蔵と呼ばれる二人組みで鼓を打ち鳴らしながら、にこやかに面白おかしく「家は末広がりに」とか「鶴のように長命で」といっためでたく縁起のよい言葉をテンポよく言いながら舞うのが主になっています。】

 この、めでたい言葉をテンポ良く言いながら舞うというのも、そうだなあと思いましたね。

【しかし段々と時代が下ってきて言祝ぎの呪力が信じられなくなってくると、面白おかしい後半の芸能部分だけが独立的に行われるようになったとされます。字は違いますが、現代の「漫才」の源流はここにあります。】

 えっ、そうなんですか。何だか、担ぎ屋さんから思わぬ事を勉強させて戴いた感じですね。このお話しとは関係ないかも知れませんが、バンザーイ、と言いながら両手を上にあげたりするの、明治時代に誰かがはじめたとか聞いたような気がしますね。

【尾張万歳や三河万歳などが有名で、近世には徳川家との関係から武家屋敷にも出入りしては芸を披露することが多くあったようです。そうなってくると立場上当然、担ぐというか、いわゆる「ヨイショ」のような内容も多くなったのではないかと思います】。

 これは、もともと身分の差に関係なく縁起をかついでいたものが、変化して行ったというところにとても説得力を感じる気がします。

【万歳は中世の頃はおもに川原者とか夙の者などといわれる層、被差別民が担う芸だったとされます。通常の世界の外にある人たちの体を借りて神がこの世に託宣をもたらす、という感覚があったのでしょう。異界のものが神の媒介になる、ということです。
推測ですがこういう感覚を踏まえると、通常の背でない、というあたりに、差別感覚は払拭しながらも少し「神からもたらされるもの」「通常の世界の論理を超えたもの」という感覚が保持されている…と考えられるようにも思います。】

 と、そのまま引用してしまっていますけれど、各地にこの、担ぎ屋と呼ぶのが正しいかは分りませんが、いろいろな万歳というような人たち、または、地方独得の呼び名を持った、こんな人たちがいたのかなあと考えたりします。この話題、お正月に限定したものかどうか迷うところですが、縁起をかついで家を回って歩く人たちのことを聞いたことのある方や、エピソードなどが聞きたい気がしています。ひき続き宜しくどうぞ。

お礼日時:2003/01/31 00:49

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